夏祭りと郷土史
釧路太郎
第1話 夏祭りと郷土史 前編
転勤でやってきたところは小さな町ではあったが、それなりにお店も揃っているので暮らしやすかった。家のそばにある歩いて行ける商店街の中には気軽に入れる店も多くあったので独り者で転勤族な俺にとっては住みやすい町であった。
毎週水曜日に通っているラーメン屋のレジ前に貼られているポスターには週末に近所の神社で夏祭りが行われることが書かれていた。曜日が間違えてあったのか日付自体が間違えていたのかわからないが、ポスターに書かれている日付の上にシールを貼って正しい日時を知らせていたのだ。
「夏祭りに興味ありますか?」
ラーメン屋のバイトの女の子に聞かれたのだが、特に興味を持っていなかった俺は何とも気の抜けた返事を返してしまっていた。
「あんまり人混みは得意じゃないんでね。祭りの雰囲気は好きなんだけど、行こうとは思わないかな」
「そうなんですか。せっかくこの町に来たんだから参加すればいいのに。私は昼間に町内会のパレードで参加するんですよ。今年はちょっと気合入れて衣装とかも手作りしたんですよ」
「へえ、そうなんだ。どんな感じなの?」
「それは内緒ですよ。実際に見てのお楽しみです。って、興味無いんだったら見に来ないですよね。すいません」
「いや、人混みは嫌いだけどさ、パレードを見るくらいだったらどこか空いてる場所もあったりするでしょ?」
「まあ、あるにはあるんですけどね。人がいない場所ってのはそれなりに理由があるというか、あんまりお勧めできない場所だと思いますよ」
「まあ、土日は仕事も無いから起きれたら見に行くよ」
「それって、絶対に見に来ないやつですよね」
「どうだろうね。他のみんなも参加してるの?」
「そうですね。この商店街の人達はほとんど参加してますよ。タバコ屋のおばあちゃんは高齢なんで見てるだけですけど、それ以外のお店の人はみんな参加してますね。あ、古本屋さんだけは毎回不参加ですけど」
「なんで?」
「なんでって言われましてもね。私も理由はわからないですよ。小さい時から古本屋さんだけは参加してないなって思ってただけですし、単純に古本屋さんが一人でお店をやってるとかそう言う理由なんじゃないですかね」
俺が小さいころに住んでいた町内会でも夏祭りなんかはやっていたのだけれど、商店街を練り歩くようなパレードをしていたという記憶はない。何か出し物をやっていたような気はするのだが、小さかった俺は屋台の食べ物やクジなんかに夢中で他のモノなんて視界には入りもしていなかった。
そう考えると、祭りにも色々な種類があるんだなと思ったのだった。
金曜日の夜にいつもの中華料理店で軽くつまみながら酒でも飲もうかと思っていたのだが、明日から始まる祭りの準備をしているためなのか臨時休業となっていた。
他の店も同じように臨時休業になっているので俺の晩酌はおあずけとなってしまった。どこか開いている店が無いかと一縷の望みを託して商店街を歩いてみたのだが、営業しているお店は祭りに参加しないという古本屋しかなかったのだ。
古本屋では腹は膨れないけれど何か面白いものが見つかるかもしれないなと思って中を覗くことにした。
古本屋と言って思い出すのは漫画やゲームなんかも取り扱っている店なのだが、この商店街にある古本屋は昔ながらの個人経営店と言った感じの品揃えで、漫画も最近のではなく俺が生まれたころのモノの方が多く、その手のモノが好きな人なら泣いて喜びそうな商品ラインナップであった。
他に目につくものと言えば、やたらと古い地図であったり古そうな洋書が本棚いっぱいに収まっていたのだ。何となくその中の一冊を手に取ってパラパラをめくって見たのだが、俺は英語が得意なわけではないので単語の意味は分かってもどういう事が書かれているのかという事は理解できるはずもなかった。
「あんた、その本に興味があるのかい?」
何度か定食屋で見かけた事のある初老の男性が話しかけてきたのだが、どうやらこの男性はこの店の主らしい。古本屋の主人だと気付かなかったのはこの男性がスリーピースのスーツを着こなしているからなのだ。古本屋の主人がスーツを着ているとは思いもしなかったのだ。
「ちょっと気になってみてみたんですけど、内容はさっぱりわからなかったです」
「そうなのか。英語がわかるなら見てもらいたい本があったんだけどね、英語がわからないなら気にしないでくれ」
気にしないでくれと言われてしまうとその本がいったいどういうモノなのか気になってしまう。だが、それを聞いたところで俺は内容を理解することは出来ないだろう。英語のテストや試験では点数はとれていた方だと思うのだが、実際に英語を使って会話をしたり文章を書いたりという事は、もう出来ないと思う。単語だけで良いのなら多少は会話になるのかもしれないが、英語の文章を理解するのにはかなりの時間をかける必要がありそうだった。
「どんな本なんですか?」
「さあ、それがさっぱりわからないんだよ。挿絵も表も無くただただ英語が書かれているだけの本なんだ。文法もメチャクチャなようでインターネットを使って調べてみてもこの本自体が出てくることは無かったのだ。もしかしたら、呪われた本なのかもしれないね」
「へえ、そう言うの気になりますね。ちょっと見せてもらう事って出来ますか?」
「それは構わんが、見ても意味が分からなくて混乱するだけだと思うぞ」
カウンターの上に置かれていた一冊の本を持ってきたご主人は本を開いて俺に手渡してきた。
開かれたページに書かれている単語の意味は分かるのだが、それぞれが独立した単語であって文章として成立していなかった。前後の繋がりが全くなく、動詞がひたすら続いていたと思ったら名詞が続いていたりしていた。まるで、覚えた単語を順番に並べているだけのようにも思えてしまったのだ。
「どうだね。これを見て何かわかるかな?」
「さっぱりわからないですね。単語の意味は分かってもなんでそんな風に繋がっているのかってのがさっぱりわからないです。これって、ちゃんとした本なんですよね?」
「この本は戦後間もなくの頃にイギリスで出版された本だという事は分かっているのだが、この本を出版した会社はとうの昔に倒産していてね、この本を調べているのは世界中でもそんなにいないみたいなんだよ。外国には何人かいるみたいなんだけれど、日本では私以外に興味を持った人はいなかったみたいだね」
「俺も少し興味ありますけど、たぶん俺じゃ解読することなんて出来ないと思いますよ。何か法則性でも見つかれば話は別ですけど、俺にはその糸筋すら見つけられないと思いますね」
「まあ、そうだろうね。時間をとらせてしまって悪かったね。何か他に気になるものでもあったかな?」
「気になるというか、この辺の昔の地図とかってあったりしますか?」
「地図だったら色々あるけれど、新聞社が十年くらい前に出したこの町の史料が一番わかりやすいと思うよ。そっちも見てみるかい?」
ご主人は俺の返事を待つこともせずにすぐ後ろに積んである郷土史を一冊俺に手渡すと、同じものを自分も手に持って中身を確かめるように眺めていた。
「こいつはね、新聞社の創立五十周年で刊行されたものなんだ。小さな町の新聞社にしては立派なモノだろ。見た目だけじゃなくて中身も立派なんだよ。ほら、カラーページも充実しているからね」
確かに、言われている通り立派な作りをしている。中身も軽く見てみたのだが、歴史資料としてもコラムとしても面白そうな本であった。重量感もあってじっくりと読んでみたくなるような一冊だと感じた。
「この町の事を知るにはちょうどいい一冊だと思うよ。どうだい、一冊買ってみるかな?」
「そうですね。ちなみに、これはおいくらですか?」
「お兄さんが買ってくれるというなら五百円で良いよ。定価が約一万円なんでお得だろ。新品の方が良いって言うんだったら新聞社に行けば喜んで売ってくれると思うけど、ここで買ってくれるかい?」
見たところ状態も悪くないし使い込まれている形跡もない。この町の事が気になっている俺にとってふさわしい一冊なんじゃないかとも思って、俺はご主人に勧められるままこの本を買うことにした。
「そう言えば、ご主人は祭りに参加しないんですか?」
「見には行くよ。ただ、パレードなんかには参加はしないね。ああいうのは見てるのが一番気楽でいいよ。祭りの歴史なんかもコラムに書いてあったと思うから、そこだけでも祭りが始まる前に見ておくといいんじゃないかな」
俺は古本屋のご主人にお礼を言って店を後にした。先ほど薦められた郷土史の他にこの地域の歴史書も売ってもらったのだが、そちらは連休になったら手を出してみようかな。この地域の事を知ってからでも遅くはないだろう。
普段は寄らないコンビニで今夜の酒と軽くつまみを買って家路についていたのだが、その途中にあるバス停に女性が一人立っているのが目に入った。
こんな時間にバスが走っているのかと思って道路の向こう側にあるバス停をぼんやりと見ていたのだが、街灯の近くにあるバス停だというのにそこに立っている女性の顔が見えることは無かった。
なんとなく商店街で働いている人ではないんだろうなという感じはしたのだが、俺も全ての店を知っているわけでもないので確信はなかった。
あまりジロジロとみるのも感じが良くないなと思った俺はそのまま視線をバス停のある方から自分の進む道へと戻したのだが、道路を挟んですれ違う時に何となく反対車線にあるバス停を見てみると、そこに立っていた女性と目が合ってしまった。
うすぼんやりと見える表情は少し硬いようにも感じていたが、こんな夜に知らない男に見られてはそうなるのも無理はない話だと思う。俺はなんとなく会釈をして通り過ぎたのだが、そのまま視線を俺の前方へと移したのでどんな反応を見せてくれたのかはわからなかった。
じんわりと汗をかきつつも、もう少しで家に着くという事もあって足取りはそこまで重いものではなかった。ひとまずシャワーでも浴びてから晩酌でも始めようかなと思いながら赤信号で止まっていると、すぐ近くからバスのエンジン音とプシューという空気の抜ける音が聞こえてきた。
この時間でもバスは走っているものなのだなと改めて思ったのだが、同じく信号待ちをしているバスの車内を何となく見てみると、何人かの乗客の姿が目に入ってきた。先程のバス停にいた女性もこのバスに乗っているのかなと思っていたのだが、目の前の信号が青に変わってしまったので一人一人の顔なんて確認することは出来なかったのだ。
バスに乗っている人の顔を見たこところで誰かもわからないんだよなと心の中で思いながらも、俺は今すぐにでもシャワーを浴びて良く冷えたビールを飲みたいと思っていたのだった。
短時間なら冷凍庫に入れておいても問題はないだろうと思いながらも、心配性の俺はいつもよりも素早くシャワーを終えてしまうのだろうな。疲れをとるにはちゃんとお風呂に入った方がいいとは思うのだけれど、こんな暑い日は手早くシャワーで済ませるのもありなんだろうな。そう思いながら俺は自分の住むアパートへ向かうのであった。
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