殺し屋犬井

紅月れいじ

チャプター2 地下鉄

読みながら聴くのにおすすめのBGM:Stayin’ Alive


 午前1時30分。都市部から遠く離れた郊外の地下鉄駅のホーム。電車を待つ人は誰もいない。車掌の停車アナウンスが構内に響き渡る中、暗闇の向こうからライトのまばゆい輝きを放ってやってくるのは、その日の終電車だ。ホーム端から車体が見えてきたころにはブレーキがかかり始め、スピードが少しずつ抑えられ、レールと車輪の擦れる音と車体の揺れる音ががたがたきぃきぃ混じりつつ、やがて完全に動きを停めた。8両編成の車両は当然のようにホーム指定の停車位置に収まる。空気の抜ける音と共に、各車両の扉が開く。いつもなら降りる人間など居ない、無人の1分間。しかしその日は足音が7つ。先頭車両から、一言で形容するなら柄の悪い男たちが6名。4両目から、真っ赤なスーツを着た女性が1名、ホームに降り立つ。男たちは全員、その女性を注視していた。その異様さに注視せざるを得なかったと表現するべきだろう。ウェーブの掛かった緑色の長髪。幼い印象を抱かせる円らな瞳。メイクも薄く、目を引くのは微かに桃色の小さな唇。可愛らしい外国の人形のような印象を与える顔からはアンバランスな印象の長身に、仕立ての良いスーツ。そしてスーツに見合わないスニーカー。ちぐはぐなのだ。フォーマルなのか、カジュアルなのか、パンクなのかまるで分からない。

「あ?6人?まあいいか」

 眉をひそめ、鬱陶しいものを見るように表情を歪めた女性が男たちを指さしながら、口を開く。一瞬で顔の印象が可憐な少女から酷くやさぐれた不良少女に豹変した。男たちはその間に歩を進め、女を取り囲むようにして距離を測っている。

「姉ちゃん、何者だよ」

 男の一人が口を開く。ライダージャケットに濃い髭面、真っ黒いサングラスをかけたその男は6人の中で最も威圧感があり、年かさで、リーダー格のような印象がある。

「俺たちは取引のために来たんだけどよ」

 男の手には大ぶりなアタッシュケースがぶら下げられている。

「んなのアタシは知らねえよ」

 女は両手をひらひらと動かしながら、答える。

「アタシはただこの駅に降りた男を6人殺せって言われてんの」

 リーダー格が失笑の声を漏らし、それに合わせて他の男も笑う。

「大雑把な仕事だな。マト間違えてたらどうすんだ。偶然この駅に降りる不幸な男がいるかもしれねえ」

「見るからに柄の悪い6人だから、間違えない、って東海林しょうじが言うんだよ。アタシの相棒な」

 間違いないだろ、と続ける。

「じゃあ、俺たちは嵌められたのか。取引は無しか」

「そうなんじゃねえの?」

 お前らの事情なんて心底どうでもいい、という様子で女がぶっきらぼうに答える。

「姉ちゃんさ、殺し屋だってのに、俺たちの不意を打ったりしないし、あっさり取り囲まれたり、そのクソ生意気な態度だったり、なんなんだ?」

 リーダー格が話すのと同時に、女の背後に立った1人が、女の頭を鉄棒で殴りつける。携帯していた折り畳み警棒だ。男たちがこれまでごく自然に振るってきた、不意の暴力。なんてことない日常会話をしながら、合図もなく阿吽の呼吸で殴りたい人間をすぐに殴ることができる、後ろ暗い世界の人種の得意技。抵抗する間もなく、女は打撃を頭に受け、体を僅かにぐらつかせる。数秒して、液体の滴る音がする。頭が少し割れたのか、緑の髪に赤黒い差し色が入る。

「あー。容赦ねえなお前ら」

 女は平然とした様子でそこに立っている。男たちはそれぞれの得物を取り出し、女に距離を詰める。ナイフ、メリケンサック、警棒、ナイフ、ナイフ。リーダー格はにやにや笑いながら、懐から取り出した煙草に火をつけ、紫煙をくゆらす。弱者を虐げながら、暴力に泣き叫ぶ姿を眺めながら、幾度こうして一服を楽しんだことか。男の恍惚の表情は、まだ首から上が女の飛び蹴りによって胴体からちぎれ飛んで吹き飛んだことを理解していない。

「こないだカンフー映画を見たんだ。平和主義の拳法家でよ、戦う前に相手の意思を確認するんだ。本当に戦うのか?って」

 リーダー格の胴体から噴き出た血を背に浴び、女の髪が、顔が、どんどん赤黒く染まっていく。

「相手が殴ってくるまで手を出さない。シビレたね。アタシも平和が好きだ」

 格闘家のように構えを取って、女が唇を尖らせる。あちょー。

「でもよお、その拳法家はどう頑張っても戦った相手を殺しちまうんだ。強すぎて」

 男の1人が踏み出してくる。右手に持ったナイフの柄を女が蹴ると、ぽき、と音がしてナイフが宙に舞い上がる。

「アタシもだ」

 女がナイフを掴み、ゆったりと歩きながら横凪ぎに振ると、目の前の男の喉が裂けて血が噴き出す。首を両手で必死に抑えるが、血は止まらず、ごぼごぼと溺れるような声を上げながら、膝をつき、倒れる。

 次はナイフを持った男その2とメリケンサックの男が同時に向かってくる。メリケンサックの男はボクシングのファイティングポーズを取る。それを見て女は笑い声をあげる。

「良いな、ボクサーもいたよその映画」

 女は楽しそうに、見様見真似でボクサーのように動き、迫ってきたナイフの男その2の突きをスウェーで躱して顔をジャブで2、3発殴りつけ、頭を掴んで、首を捻り折ると、そのままメリケンサックの男と対峙し、お互い同時に右ストレートを繰り出す。互いの拳は相手の顔に直進し、鈍い打撃音が響く。女の腕の方がわずかに長く、叩き込まれた拳は男の顔面を陥没させていた。メリケンサックを填めた拳は女の鼻先を撫でて、ゆっくりと地面に落ちていく。倒れた男の首を、念のため踏みつけて、感触で絶命を確かめると、残りは2人。

「またナイフか。芸がねえな。あのカンフー映画でもナイフ使うチンピラはいたけどさ、すげー弱かった。追い込まれたらナイフ投げちゃってよあぶねえな!バカ!」

 女の顔めがけて飛来したナイフを真剣白刃取りの動きで掴み取り、飛んできた方向に投げ返す。ナイフはナイフ男その3の顔面にしっかりと命中した。残りは1人。警棒の男は、女から逃げようとホームから駅舎に繋がる階段に向かって走っている。

「おい!お前にぶん殴られたのすごく痛かったんだぞ!逃がすわけないだろ!」

 女は大声でそう叫びながら走って男を追いかける。しかしすでに距離があり、男は構わず階段を駆け上がる。

「こんばんは」

 階段を駆け上がった先には、1人の男性が立っていた。黒いスーツに丸めた頭とサングラスの長身痩躯の男は、階段を駆け上がり息も絶え絶えの警棒男の胸を蹴りつけて、地獄に帰らせる。警棒男はせっかく上った階段を転がり落ち、全身打撲の痛みに呻き声をあげる。暫く悶えたのち、目を開くと、真っ赤な女の顔が目の前にある。

「おかえり」

 警棒男はどうにか逃げようとして体を起こそうとするが、女に肩を押さえつけられていて、どうしても起き上がることができない。万力で固定されたような恐ろしい重圧が肩にのしかかり、身動きが取れない。

「お前、アタシの売り文句を知ってるか?」

「たすけて。たすけてください」

「違う。違う不正解。『生還率0%』だ。パニック映画ぽくて良いだろ」

 女が警棒を振り上げ、振り下ろす。この動作は念入りに十数回行われた。断じて殴られた私怨ではなく、念のためだと後に語っている。


「終わったか」

 ホームの椅子でぼうっとした様子で座る女のもとに、駅舎に居た男が歩み寄る。

「シャワー、飯、睡眠」

 男を一瞥してすぐ前を向き、それだけ呟く。

「近くにビジネスホテルがある。そこで汚れを流して寝ろ。始発で帰るから飯は我慢しろ」

「えー。あと頭痛い」

「見たところ傷は浅い」

 女が男の方を見て唇を尖らせる。

「そこは大丈夫か、だろうが」

「そうか。大丈夫か?」

「大丈夫に決まってんだろ」

 男が微かに笑う。

「お前はいつでも大丈夫だったな。犬井」

「そうだよ。アタシはいつでも大丈夫なんだよ。東海林」

 東海林は犬井の隣の席に座る。

「帰るのめんどくせえよ。なんでこんな田舎駅を現場にしたんだ」

「ここの駅そばが美味いんだ。帰りに寄りたい」

「バーカ」

 犬井は頭を東海林に寄りかからせて、目を閉じる。

「寝るわ。ホテルまで頼む」

「嫌がらせだろう」

「嫌がらせだよ」

 すぐに静かな寝息が聞こえてくる。東海林は大きなため息をつく。

「スーツ、新品だったんだがな」

 犬井の髪から滴る血が、東海林のスーツに少しずつ垂れ、しみ込んでいく。効果的だぞ、お前の嫌がらせは。犬井を喜ばせたくないので、心の中で呟く。

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殺し屋犬井 紅月れいじ @rageman5

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