聴取者たち

James B. H

聴取者たち

 ある日、父が古ぼけたラジオを抱えて帰宅した。

「どうしたの、それ?」と、これはぼく。

「拾ったんだ」

「拾ったってどこで?」

「墓参りの帰りにゴミ捨て場で」父は誇らしげだった。

「気色悪い、やめなよ!」

「いやあ、これが案外と悪くないかもしらんぞ」

 が、それからしばらく父はラジオと格闘していたが、電源が入っても音は鳴らず、どの局に合わせても、ノイズすら聞こえてこない。カセットテープを入れても同様である。

「よーし、こうなったら徹夜だ」家じゅうの工具という工具をかき集め、父は謎の情熱でラジオの修理に取りかかった。

「それはいいけどあんまりトンテンカンテンやらないでよ」

 父とぼくはその頃、ちょうど格安のアパートを見つけて引っ越してきたばかりだった。まだすべての住人を知っていたわけではないが、引っ越し前も父はたびたび騒音だの、廊下で肩をぶつけただのぶつけられただの言っては隣人と揉めていたので、これはそれなりに根拠ある警告である。しかし父はうるさそうに六角レンチを振りながら、「とっと部屋へ行け」という仕草をしたあと老眼鏡をかけると、またラジオの復旧作業に戻った。

「おれが若い頃は長幼の序を守ったもんだ、対していまの連中はなんだ?」去り際に、はたしてぼくへの当てつけなのか職場の愚痴なのか、父がそうこぼしたのをよく覚えている。


「じつに素晴らしい内容だ」朝食の最中に父が、やや興奮気味に言った。

「まあおまえも学校から帰ったら聴いてみるといいよ。ラジオを取りに行くだけならおれの部屋に入ってもかまわんから」父は引っ越してきてから自分の部屋に人を入れるのを好まなくなっていたから、この発言はかなり意外だった。

「素晴らしいってなにが?ただのラジオじゃん」

「いやあ、あれはただのラジオなんかじゃ……」父は、もはや的確な言葉すら浮かばないほどに上機嫌なのかそう途中まで言うと茶を飲み干した。

「ヒントをやろう」出社間際、父は玄関で靴を履き終え、靴ベラでぼくを指した。

「たとえいまの生活がどれほど報われなかろうと、そんなことに価値を置くこと自体がそもそもまちがっている。さ、さ、いまはこれだけだ。ところで高校生活はどうだ?むろん最高に決まってるよな!」父はそれだけ言い残して出かけてしまった。

さっそくぼくが父の部屋から持ってきたラジオをかけると、ゆうべ同様になにも聞こえなかった。

「そんなはずはないんだがなあ」帰宅した父にそのことを伝えると、なぜか嬉しそうな顔をしている。

「また壊れたんじゃないの?」

「まあ聴いてみるさ」


 それ以来、父はまるで取り憑かれたようにラジオの虜となってしまった。どうも話を総合してみると、父が聴いていると主張するのはどこかの局から流れてくる内容でもなければ自分で入れたカセットの曲でもないらしい。父がヒントだと言っていた、なんとなく流行りの新興宗教じみた内容がどの周波数に合わせても聴こえてくるようで、明らかにおかしい。が、毎晩のように父が「これは一人で聴くのがいちばんいいんだ」と言って部屋に籠りきり、小一時間したあとラジオをこちらに渡し、ぼくはルーティンワークのごとくになんとか聴いてみようとするのだが、いっこうに成果は上がらなかった。

 父はといえば「きっと報われる、そう近い将来に」だとか、「なにもかも下らない、しかしそんな風に見えてもそれ自体に意味がある」だとか歌を口ずさむように言っては、あいかわらずラジオを聴くことのできないぼくへの優越感からか、にんまりと笑ってばかりいた。あれだけ以前はカリカリしていた父の精神が明らかに安定しつつあったことは喜ばしかったが、ぼくが隙を突いて高校卒業後の留学を仄めかすと、途端に「ダメだダメだ」の一点張りとなり、いつもの父へと戻ってしまうのだった。

 先に結論を言えば、ぼくはラジオを捨てた。墓参りの帰りに拾ってきた段階でそうすべきだったが、父にしか聴こえないラジオなど明らかにふつうではないからだ。ちょうど父の出張中のことで、帰宅したらどんな剣幕を見せるか恐ろしくもあった。出張だろうが旅行だろうが、よその土地へ行くのを嫌う父は帰宅するといつも機嫌が悪い。だがなんと父は後日、またべつのラジオを裸で抱えて玄関先に立っていた。

「ダメじゃないか」そう優しく切り出す父の顔が却って不気味だった。

「夢の中で女が教えてくれたんだ、顔は覚えていないが。おまえがラジオを捨てちまったから新しいのをあげますってさ」父はまたそれっきり部屋に籠ってしまった。


 やがて父は自殺未遂を起こしたが、すんでのところでぼくが発見してなんとか踏み留まらせた。明らかにラジオの影響に決まっている。ラジオを捨ててもまたべつのラジオが戻ってくるとあっては壊すしかないが、それをやると逆に父の精神状態がどうなるか不安でもあるし、妥協策としてぼくは、いまのラジオとよく似たのを買ってきてすり替えることにした。高校生にはかなりの奮発である。念のために店で動作確認をお願いしてみたが、なんの問題もなかった。つまりふつうにどの局も聞こえるし、カセットの再生もできるという意味で。

 しかし残念なことにラジオを父に渡すと、途端に謎の声だけが聴こえる怪しい再生装置へと様変わりしてしまった。

 

 そんな中であるとき、不動産屋がアポなしで訪ねてきた。あいにくと父は長期出張中だったが相手はこのぼくに用があるのだという。というのも、幸い父の自殺未遂は事件化するレベルのものではなく当然ぼくは他言しなかったが、どうも父があちこちでみずから吹聴したらしく、怪訝に思ったアパートの住人が不動産屋にタレ込み、こうして慌てて駆けつけてきたのだ。

「じつを申しますとね……」不動産屋は明らかに言いにくそうだった。

「おたくさまの借りられた部屋では以前に女の方が亡くなっていまして」

「ひどい!だから安かったわけですか?」

「あいすみませんです。ですが以前借りられた方にはなにもございませんで……」不動産屋は明らかに言いにくそうだったが、そのときぼくにはピンと来たことがあり、こう訊ねてみた。

「その前の人、全室使っていましたか?」

「はい、たしかに」

「いま上がってもらえます?」

 ぼくは不動産屋と一緒に父の部屋の前まで行き「この部屋も?」と訊ねた。すると相手は表情を強張らせて、「そうです」と答える。

「たしか物置きにされていたかと思いますね」

「ねえ不動産屋さん、その女の人ってこの部屋で死んだんじゃありません?」

「まあ、ええ……」不動産屋はなぜ分かったのかとしきりに不思議そうにしていた。


 後日ぼくは逸る気持ちを抑えつつ、父が外出する隙を狙い、例の部屋でラジオをかけてみた。すると案の定、ノイズまみれで歪んでいながら明らかに女の声がこう言っている。

「……そうしてあなたはいずれ、近い将来、なんであればいま、静かな死の世界を待ち焦がれるようになります。いまはお父さんのラジオを興味本位で盗み聴きしているだけだとしても」そこでぼくは電源を切った。

 とにかく、これで答えは出たわけだ。問題はラジオではなく部屋にあり、いま正にぼくは父がどうしてあれほどまでおかしくなっていたのか、その理由を知った。たしかにラジオの声が放つ言葉には、ほんのわずか耳にしただけでも魅了されてしまうものがあった。じつに危険なことだ。


「……その肉体から解き放たれたあなたを待つのは太陽も光もない暗い土地です、しかしそれは哀しむべきことではありません。静かです、すべてが静けさに包まれているのです。あなたは従来行ってはならないとされている土地、人みな恐れ遠ざける土地にみずから進んで赴くという勇を鼓すのです。かつて会ったことのある人々も、まさか会うことになるとは想像だにしていなかった人々もそこにはいるでしょうし、ザラついた肉体の舌では決して味わうことのできぬ食べものや飲みものが、こうしているいまもあなたを待っています……」

 ラジオの内容はといえば、始終こんな調子だ。じつに危険かつ魅惑的なその誘いに、つい辛抱が利かなくなってしまうのも道理というもの。

 だがぼくの場合ちょっと事情がちがっていた。これはとてもぼく一人で独占しておくには惜しい内容に思えたのだ。おかげで長期出張から戻りすっかり正気に還った父とは揉めに揉め、引っ越しが決まったその日に家を飛び出したあげく、いまや路上生活を余儀なくされている。だが、ぼくはいずれあの部屋へ舞い戻るつもりだ。

 なぜならば、ぼくは全世界の人々に、いわゆる死なるものの真相を告げるべきだといまではすっかり信じきっているのだ。絶望は希望へ、苦しみは喜びへと反転し、すべてが逆さまとなってみな死の世界へみずから足を運ぶ心意気を示すことが当たり前の状況に、いずれはなるだろう。

 とはいえまだ計画は始まったばかりだ。いまのぼくにできるのは、こうして記事化された文章で世にことの真相を伝えていくことだけである。まずは祈ってみよう、取るに足らぬ躓きごときで嘆き哀しんでいるきみたちのために。

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聴取者たち James B. H @kulbalka1868

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