第1話-終 悪役令嬢は真理を暴いたあとのやるせなさに身をゆだねる


■王都アヴローラ「紺碧の宮」大玄関 エルタ小月(8月)10日 22:00



 貴族やお付きの者たちが大勢出入りする玄関ホールの片隅で、私とユーリスは家の馬車を待っていた。普段なら控えの部屋で待っていればよいのだけど、私達は一刻も早く立ち去りたかったから、ここでこうして待っていた。足元のいくつかの大きなカバンといっしょになって、私も何かの荷物のようにここに置かれていた。

 人々は、私達には目をくれず、ただ慌ただしく行き交う。私達は薄暗い隅っこでそれを眺めていた。

 取り残された。放っておかれた。見ないものにされた。

 ユーリスが手を黙って差し出す。ユーリスはいつもそう。私がして欲しいことをしてくれる。私はその手をゆっくりと握った。そうしたら、ふいに湧いていた寂しさが薄れていった。握った細い手の暖かさをずっと感じていた。


 「私を憎めばいいのに」


 ユーリスがそっとつぶやく。


 「そんなことできませんよ、もう」


 そう言い返すと、私は少しだけ手を強く握った。

 しばらくそうしてたそがれていたら、誰かが私の肩をつついた。


 「ファルラちゃん」


 その声に振り向くと、顔に柔らかい脂肪の塊を押し当てられる。


 「ちょっと。イリーナ、苦しいです……」


 私より頭ひとつ大きいイリーナ。そのせいで抱きしめられると、ちょうどぴったり顔がそこに挟まってしまう。

 抱きしめながらイリーナが深々と溜息をする。その溜息の意味はわかっていた。社交界に受け入れられず、怒った父によって魔法学園へ捨てられた私へ、最初に声をかけてくれたのが彼女だった。周りから嫌われてばかりいる私に、「この子はほんとに……」と呆れられて、心配されて、見守られている。

 イリーナからもがき出ると、私を見て嬉しそうに彼女が言う。


 「かっこよかったわ、ファルラちゃん」

 「どこがですか」

 「ビシッて言ってやりましたよね。ビシッと。あの王子は私もあまり好きではありませんでしたし」

 「言いましたが、こちらは首の皮一枚です。たぶん、これからも」

 「大丈夫よ、きっと」

 「イリーナの大丈夫は怖いんですが」

 「あら、そう?」

 「あのね、イリーナ。頼みますから私が死にそうになっても、王族にだけは手を回さないようにしてくれますか?」

 「うーん。37のミスリル鉱山。56の武具工場。フレリア海に広がる豊かで広い土地。どれかひとつでも差し出せば、きっと誰でもお許しになると思うのだけど」

 「ほんとやめてください。あなたは学園にいたときも、青い犬事件で……」

 「だって、面白いんですもの」

 「もう……」


 この大富豪様には何を言ってもこうだ。くすくすと隣でユーリスが笑ってる。


 「ファルラちゃん、うちへしばらく来ない? 部屋ならたくさんあるから」

 「そりゃ、たくさんあるでしょうとも。家もたくさんあるでしょうし」

 「なら……」


 私はそれ以上何も言わせないように、イリーナの唇を人差し指でそっと触れた。


 「いますぐイリーナの家に行くと、いろいろ迷惑がかかると思うのです。わかりますよね?」


 何か言いたそうにしていたけど、やがていろいろ考えたようだ。

 今日私がやったことは、ジョシュア殿下の裁量を超えている。いずれ国王陛下の耳に入り、何かしらの裁定を下されることだろう。そのとき私が罪人とされたら、それをかくまったイリーナもただでは済まない。

 しばらくして、私はそっと彼女の唇から指を離す。


 「わかってくれたら、私は嬉しいです」

 「うん……。そうね……」


 あきらめた顔になってイリーナはそっと私を離してくれた。


 「私はあなたたちが大好きなんだから。いつでも私を頼りなさいな、ファルラちゃん」

 「そう言って……。イリーナには面白いほうについてくだけでしょうに」

 「そうよ。でも」


 彼女が花を散らしたようににっこりと笑う。


 「たぶんファルラちゃんは一生面白いと思ってるわ」


 イリーナはいつもそう。

 それでも、まあ……。

 私はこの優しさに何度も助けられている。


 「そう。ありがとう」


 そっけなく言うと、ユーリスが「照れてるんですよ、この人」とか余計なことを言い出す。私がむっとして、ユーリスのおでこを叩こうとしたときだった。


 「失礼、お嬢様」


 私に声をかけたのは、ファランドール家の本宅に仕えている家令のジョルジュだった。立派な黒い髭が今日も良く整えられている。

 めずらしい。普段別宅に暮らしている私達とはめったに会わないその人が、うやうやしくお辞儀をしていた。


 「ファルラお嬢様。馬車の用意が整いました」

 「わかりました」


 それを聞くと、少し安心したようにイリーナが私達に手を振る。


 「じゃ、またね。ファルラちゃん」


 ホールへと歩き出すイリーナ。去り際に投げキッスを私へ寄越した。もう、恥ずかしい……。

 暗闇に隠れるようにジョルジュが低い声を出す。


 「それと」

 「なんでしょうか?」

 「お父上が別宅でお待ちです」


 ああ、そういうことか。ジョルジュは、私達が逃げ出さないようにお目付け役として来たんだ。

 あれだけの貴族が来ていたんだから、父の知り合いはいただろう。もしかして本人自身もあの場に来ていたかもしれない。

 いずれにしろ、我がお父様、フェリドス・ファランドール侯爵閣下は、先ほどの出来事を知るに至り、不出来な娘にまたしてもたいへんお怒りなのだろう。


 ユーリスが心配そうに私の手を握る。

 私は安心させるようにユーリスの頭をやさしく撫でてあげた。


 「大丈夫ですよ、ユーリス。行きましょう。私がお父様と直接お話しします」




■王都アヴローラ 屋敷街を行くファランドール家の馬車の中 エルタ小月(8月)10日 22:30



 別邸へと向かう馬車に揺られながら、私は隣に座るユーリスに笑顔で話しかけた。


 「証拠集め、本当に助かりました」

 「ファルラったらひどい。もう、たいへんだったんだから。カフスボタンを王子の部屋から盗みに行ったとき、魔術返しばっかりで、しっちゃかめっちゃかで、私の髪が少し焦げたんですよ?」

 「王宮ですからね。不届き者の撃退には余念がないのでしょう」

 「だから、たくさん褒めて欲しいんです。これは褒めるべきです」

 「はいはい」


 頭をちょっと撫でてあげるだけで、ユーリスはすぐに嬉しがる。

 そこがかわいいとこなのだけど。


 「ファルラの役に立った?」

 「もちろんです」

 「良かった! なら、もっと撫でもいいんですよ?」

 「いくらでも撫でてあげます。あれのせいで、みんな話してくれましたし。まさか先生がこの事態を利用してくるとは思いませんでしたけど」

 「……本当に?」

 「うん。まあ、良い方向にはなりましたし。めでたしめでたし、ってことにしましょう」


 そう言って話を切り上げたかった私を無視して、ユーリスが私を問いただす。


 「いつからなの?」

 「ハロルド殿下がお茶会に来たときにおかしいと思っていました。生徒会長とお揃いのカフスだと気づいたときにはっきりと。病弱な兄殿下ですって。とんでもない。生徒会長もその日にはいろんな理由をつけて学園にいませんでしたし。案外死にたがっていたかもしれませんね。好きだけどどうにもならない恋人。そんな人に殺されたのなら、ハロルド殿下には本望だったのかも。私としてはカフスボタンを使って、ファランドール家から穏便に追い出されるようにハロルド殿下へお願いしようと……」

 「違うよ。この話はもっと前から始まっている。それをファルラは知ってたんだよ」

 「そうですか?」

 「ひとつ質問していい?」

 「なんでしょう?」

 「アルザシェーラ家の企みをハロルド殿下に伝えたのは、ファルラ、あなたですね?」


 ふふ。うふふ。

 私はうつむいたまま笑い出す。


 「なにしろ私は名探偵でも悪役令嬢ですから」


 ユーリスが心配そうに声をあげる。


 「ファルラ、私は……」

 「あなたとふたりで暮らすためにはなんでもします。あの月夜に誓ったとおりに。私を殺しに来たあの日に。そうでしょう。ユーリアス・アルザシェーラ」


 ユーリスは仲間を売った。私と生きるために。

 私は婚約者たちを騙した。ユーリスと生きるために。


 「ファルラなら、その智謀を生かせば、王宮でも列強各国とも渡っていけるのにね」

 「いやですよ、そんなの。王妃なんか荷が重いし。安穏とした生活をふたりでしかったから、こうしたんです」

 「でもさ。王家と結婚、裕福な家庭、才能を発揮できそうな場所、地位と名誉。みんな捨てちゃったんだよ。私なんかのために」

 「なんか、って言わないように」

 「そうだけどさ……」


 まったくユーリスのくせに。心配なんてしなくていいのに。何も考えなくていいのに。


 「ほら、ファルラ、おいで」


 少し躊躇していたら、ユーリスが私の手をつかみ、引き寄せながら抱きしめられる。身をゆだねながら、その温かみを私はゆっくり感じていた。目を細めたユーリスがやさしく話しかける。


 「つらくないの?」

 「なにがですか?」

 「もう、意地っ張りなんだから。つらかったらいつでも抱きしめるって言ってるのに」

 「そんなでもありません」

 「ほら、つらくなったらぎゅーだよ」



 ユーリスはこの子はもうという顔をしながら目を細めて微笑んでいた。

 私達は苦しさの中で抱き合いながら生きてきた。

 お互いのぬくもりだけを信じて。

 彼女を抱きしめながら、彼女に包まれながら、私達は深く温かい泥へとふたりで沈んでいく。


 ユーリスの耳元にある一滴の竜の血のような耳飾りを間近に見つめる。同じものをつけている私の耳元へ、そっとユーリスの手が触れた。

 それはあのカフスボタンと同じ意味を持っていた。


 ……もう戻れない。戻る気はしない。

 これは、ふたりで決めたことだから。


 馬車が暗い通りを進んでいく。

 私達と同じような、その先がわからない、もがき苦しむような暗闇を。


 「あと、どれぐらい時間が残されているのでしょうね……」


 私がぼんやりそうつぶやくと、ユーリスは少しだけとまどって、それから私の服をぎゅっとつかんだ。


 「たぶん、あと1年ぐらい……、です……」


 胸元でそう言うユーリスの寂しそうな顔を、右手でやさしく持ち上げる。ゆっくりと目をつむるユーリスにそっと唇を重ねた。1年もしたら、もう触れることができなくなる、その柔らかな唇に。




■王都アヴローラ ファランドール家別邸 エルタ小月(8月)10日 23:00



 屋敷に馬車がついた。すぐに家のほうから明るい色の服を着た馬丁がやってきて、馬を手際よく落ち着かせる。

 やがて執事のセルジオとメイド長のアンナが明かりを持って、私達を出迎えに来てくれた。あれ、何も言わない。ふたりとも押し黙っている。うーん、これはよくない兆候だ。

 セルジオの手を黙って取り、馬車から降る。暗闇の中、ぼんやりと建っている屋敷を見上げる。

 さて、どうしたものか……。


 玄関の扉をアンナに開けてもらい、中に入る。


 「お帰り。我が愛娘よ」


 うわ。さらに良くない兆候だ。めったに人を出迎えるなんてしないお父様が、玄関までやってきた。しかも、かなりニコニコとしている。

 これはかなり怒っている。

 私はあえて神経を逆なでるかのように丁寧にお辞儀をした。


 「こんばんは、お父様。ファルラは、ただいま戻りました。ジョシュア殿下から婚約破棄を言い渡されて、それはそれはとても楽しい舞踏会でしたわ」


 とてもニコニコと微笑んでいた父が、拳を握りしめて私に近づいてきた。




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