ステージ
竹部 月子
ステージ
ドアが激しく閉められる音がした。課長は帰ったのだろう。
「モノに当たるなっつーの」
保冷剤を頬にあてていた
「……すみません」
やっと声にできたのは、恥ずかしいほど小さい謝罪。
「何で謝んのよ、
「先輩が課長に殴られるなんて……」
「カッとなるとああなの、去年の新人も怒鳴って辞めさせたんだから。病気よビョーキ」
こんな企画書ゴミだ、提出してきたオマエも会社のゴミだと、激高する課長の前で、ただ縮こまっていることしかできなかった自分。そこに結城先輩が割って入って、代わりに叩かれてしまったなんて、情けなくて涙が出そうだった。
「あん時のお礼だと思って?」
唐突な言葉に、まるで何のことか分からず首を傾げると、先輩は胸ポケットから煙草を取り出し、給湯室の換気扇を指さした。戸惑いながら強のスイッチを押すと、彼女は保冷剤をシンクに放り投げ、ぷかりと紫煙を吐き出す。
その行方を追うようにしばらく天井を見上げていた目が、くるりと急にこちらを見つめた。
「好きだったんだ、高校のとき」
「……へ?」
僕が口を開けたまま固まると、先輩は足をバタバタさせた。
「ひどっ、もしかしてあたしを追っかけて入社してきた? ってほんのちょっと期待したのに」
確かに結城先輩は、高校の先輩でもある。だけど僕が1年の時の3年生で、部活の先輩でもないから、まるで接点が無いはずだった。
「学祭の時のステージ、急にさらって悪かったね」
「あ……ああ、あああ!」
フラッシュバックした記憶に、つい大声で叫ぶ。
吹奏楽部は学校祭フィナーレの最終リハ真っ最中。そこにバチコーンと扉が開いて、ものすごく派手な格好の人が顔を出す。
「ギターの二人がバックレた! この子貸して、15分で返すから」
手をとられ、僕はアルトサックスをつかんだまま音楽室からさらわれた。
流行りの歌だからできるできると無責任な励ましを受け、ステージに立たされたものの、もちろん結果は散々。学祭なのに「ひっこめ」とブーイングが飛ぶほどだったのに、人さらいの先輩はとても楽しそうに歌っていた。
当然、その後ヘロヘロで合流した吹奏楽部のフィナーレもひどいもので、しばらく落ち込んだのを覚えている。「あれ3年生だよ、怖かったでしょ」と、部員は同情してくれた。
「……あの時の人は、髪がピンクで、まつ毛は虹色でした」
真っ黒な髪を結わえた先輩を見つめてそう言うと、彼女は震える手で煙草を携帯灰皿に押し付け「そりゃ、ウィッグとつけまだよ」と言う。
「お礼が言いたくて呼び出してもらったんだけど、来てくれないしさ、卒業まで見かけるたびに目で追ってた。淡い恋だったわ」
にしし、と歯を見せて先輩は笑う。
知らない3年から体育館裏に来いという呼び出しを受けて、全力で逃げた僕は、多分悪くないし、こっちだって秘かに探した。誰かに聞かなくても、見つけられるような気がしていた。
だけど歌姫は制服の群れに埋没して、見つからない。すぐに冬が来て、彼女はおそらく卒業してしまって、その後がむしゃらに練習した部活は全国大会まで行った。
なのに自分が卒業文集を書けと言われたら、一番最初に思い出したのは、あの最低のステージ。飛び跳ねながら笑うように歌う、ライトに輝くピンクの髪だった。
「好きだった」という声を反芻すると、ようやく自分の胸にせり上がってきていたものが、「許せないな」という感情だったことに気が付く。
「……明日、課長に結城先輩に謝って下さいって、言います」
拳を握った僕を見て、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
「女の部下になんか絶対謝らないし、今度こそ瀬川が殴られるよ」
「その時は、せめて先輩の分だけでも殴り返します」
結城先輩は、くぅっ、と嬉しそうな声を出し、僕のデスクまで大またで歩く。
「いいね! でも、社会人だもん、これで殴り返そう」
ゴミ箱に放り込まれた企画書を、会議テーブルに置いたので、僕も傍まで歩み寄る。
「凶器を使うのはどうかと……」
「絶対いい企画だもん、プレゼンに間に合わせ……」
ハモった声に顔を見合わせ、勘違いに僕は赤面し、先輩は爆笑した。
既に時刻は深夜だというのに、疲れも眠気もやってこない。後ろから画面をのぞき込んで指示してくれる先輩を、急にひどく意識してしまっているせいだと思う。
「ね、明日のプレゼン終わったら、飲みに行く?」
「はい、喜んで」
言いながら振り返ると、彼女はいたずらっこのように目を輝かせていた。ああ、ホントにあの時の人だと、深く納得する。
「二人で、でも?」
「……はい。喜んで」
ステージ 竹部 月子 @tukiko-t
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