第7話 逃がし屋

 ◇


(ああ。ああ――――――――――)


 ――刺しちゃった。


 人を、この手で、刺してしまった。


「はは、ははは……」


 もう言い逃れできない。


 足元に広がる血溜まりに、騎士のくぐもった呻き声が吸い込まれていく。

 切れたのは、腹部なのか太腿なのか。それすらもわからない無我夢中の一撃だった。


 騎士はどうやらかろうじて生きているらしい。

 それがせめてもの救いか。


 だが。ここで、命を狙ってきた相手の手当てをしてやるほど、僕もお人好しじゃない。

 宿では愛璃が待っているし、明日にはこの町を出るつもりだ。長居は無用。


(この怪我じゃあ、明日までに立ち上がることは難しいだろうな……)


 ……やってしまった。


 でも、これでいいんだ。


 僕は、僕の助けたいと思った人を助けられた。

 少なくとも、シアノさんと頭領は助かったんだ。


 これで……これで……


(あああああ――――――――――)


 僕は、なにかに打ちひしがれるように、その場を後にした。


  ◇


 部屋に戻ると、愛璃がベッドで荷造りをしていた。僕が帰ってきたのに気がつくと、ぱたぱたと駆け寄って「大丈夫だった?」と顔を覗き込む。


 ああ。いつ見ても、愛璃は可愛いな。


「永くん? なんだか顔色が……」


「え? ああ、お酒を飲んだからかなぁ……?」


「お酒?」


「この世界では十四歳が成人年齢なんだって。だから、僕らが飲んでも合法さ。そもそも、この町にはそんなことを気にする人なんて誰もいない」


「そうなの? でも、どうして急にお酒なんて……」


「なんか、飲みたい気分だったのさ。あー、なんだか暑くて、火照った感じが残ってる……」


 違う。

 これは、どきどきとして止まらないこの動悸は。


 ――罪悪感だ。


 ダメだ。どうにかして忘れたい。

 今日の出来事、この手に残る、人を刺した感触を。


「永くん……?」


 上目遣いで心配そうにこちらを覗き込む愛璃。

 パジャマ代わりのキャミソールと、この地で買った安物の短パンが、今日はやたら色っぽく見える。


(ああ、やばいな……)


 これは、人間の持つ防衛機制なのだろうか。


 辛いことから目を逸らすために、僕の神経がその他の欲求を刺激しているんだろう。

 さっきから、愛璃を見るとムラムラとしてしょうがない。


(ダメだ。今日愛璃ちゃんと同室で寝たら、きっと僕は彼女を襲う……)


「ちょっと、出掛けてくるね」


「え!? こんな遅くに、また……?」


「明日の朝には戻るから。ちゃんと鍵かけて寝るんだよ」


 僕が、入って来れないように。


「待って、永くん! どうしたの!? 待って!」


 呼び止める愛璃を振り払って、僕は宿を出た。

 適当に町をふらつき、目についた娼館に誘われるように入る。


 幸い、金ならそこそこ持っている。


 愛璃にセクハラをした商人のおじさんが、「お詫びに、コレで嬢ちゃんに可愛い服でも買ってやりな」と言われて、服やら旅の荷物やらを買い揃えた余りがあったのだ。

 愛璃からも、「私はもう十分だから、あとは永くんの好きに使って」と言われている。


(まぁ、たまにはいいだろ……)


 誰でもいい。

 どうにかして、僕の頭を真っ白にしてくれ。


 誰か。助けて。


 縋るような思いで僕は娼館に入り、童貞を卒業した。


  ◇


 翌日。僕と愛璃は廃れた宿場町を出て、南行きの行商馬車に乗せてもらうことに成功した。


 娼館で相手をしてくれた女性が、


 『裏の人しか知らない定期便があってぇ、運が良ければ乗せてもらえるかもよ。きみカワイイ〜から教えてあげる』


 『え。いいんですか?』


 『女をモノ扱いしないお客は久しぶり。嬉しくなっちゃったから、そのお礼ね♡』


 と、紹介してくれたのだ。


「馬車、乗れてよかったね!」


 愛璃が晴れやかな笑みを浮かべる。


 カタコト、と馬車に揺られること一時間。愛璃は退屈すぎたのか、俺の肩に頭を預けてうとうとと眠りに落ちてしまった。

 長い黒髪が風に揺れて、頬に当たってくすぐったい。


(……可愛い。まさに、天使の寝顔だ……)


 僕は口元を緩ませつつ、しなだれかかる柔らかさに癒された。


 しばらくして、僕らは図書館のある街、ビブリアーデの隣町に到着した。

 勿論、この行商も裏の人間だ。この町も地図には名のない町である。最低限の宿屋と酒場。本来であれば、およそ町と呼べるようなシロモノではない。


 表の人間がたくさん闊歩していて各所のセキュリティも厳しいビブリアーデに入るには、なにかと準備が必要らしく、行商さんは今回は立ち寄るのを見送るそうだ。


「あんちゃん、その歳で何をしちまったのかは知らねぇが、嬢ちゃんと仲良くな」


「もちろんです。道中、馬車に乗せていただいてありがとうございました」


「……! 代金は貰ってんだ、礼なんざ要らねぇよ。ああ、慣れねぇなぁ。これはいけねぇ」


 どこか恥ずかしそうに頬をかきながら、行商のおじさんは去っていった。


「永くん、これからどうするの? ビブリアーデの図書館で調べものをするんだよね? 私は、もっとこの世界の文字が読めるようになりたいな」


「とか言って、もうほとんど読めてるじゃないか」


 宿屋での滞在中や馬車での道中で魔法の本を読み耽っていた愛璃は、魔法の習得はできなかったようだが、挿絵とその説明から推測して、かなりの言語を理解できるようになっていた。


「愛璃ちゃんは昔から頭がいいね。すごい」


「ええっ!? そ、そんなことないよ……私はただ、少しでもいいから、永くんの役に立ちたくて……」


 もじもじと、髪の毛先を弄る姿がぐう可愛い。

 それに、状況が状況とはいえ「永くんの役に立ちたい」なんて言ってもらえるなんて……


 生きててよかった。


「ビブリアーデは、研究を生業とする者を中心とした学術都市。二級魔術師ゲスツィアーノの邸宅もあるらしい」


「二級? それって、すごいことなの?」


 行商さんに聞いた話によると、この国のギルド所属冒険者にはランクがあって、二級は上から二番目。一級は、剣士とか魔術師とか、各職で世界に五人もいないから、二級の魔術師は世界でも十本の指に入るすごい魔術師だ。


「あいつは市民の憧れになるような功績や肩書きを持っているようだけど、危険な奴だ。できるだけ避けて、最低限の目的だけを果たそう」


 ……と。真面目な顔で告げたけど。

 次の瞬間、僕のお腹はくぅ、と情けない音をもらした。


「ふふふっ! 長旅でお腹すいちゃったね。とりあえずお夕飯にしようよ! 私、あの薄くて甘いピタパンてやつ好きだな。ここの酒場にもあるかなぁ?」


 フォローするように、笑顔で手を引く愛璃が可愛い。


 この町で唯一の食事処である酒場に入ると、夕食にはまだ早いのか、店内は閑散としていた。


 だが。唯一席に腰掛けていた先客が、ぎょっとしたように目を見開く。

 薄氷のような水色の髪に、宝石を思わせる紫の瞳……


「……シアノさん?」


 尋ねると、シアノは勢いよく椅子から立ち上がった。


「あ、あああ……あんた、どうやってあの衛兵から逃げて……?」


「まぁ、色々とがんばって……?」


 できれば思い出したくない過去だ。

 だが、界隈では屈指の裏稼業グループに所属するシアノ相手には誤魔化しきれなかった。


「がんばって……? アレはそんなんでどうにかできる状況じゃなかったはずだ。私はてっきり、捕まって数日は取り調べを受けるもんだと……」


 そこまで口にして、シアノは思い出したように頭を下げた。


「あ、あのときはっ! ありがとう……ございました……!」


「そんな、頭をあげて。助かったならよかったよ。本当によかった……」


 それでこそ、僕もがんばった甲斐がある。


「あのときは、民間人だから取り調べられても大丈夫だって、あんたの言葉に甘えて逃げ出してごめん。おかげで、頭領も、私も……ふっ、ぐすっ……」


「……シアノさん?」


 鎮痛な面持ちで涙を流すシアノに、嫌な予感が全身をかける。


 ねぇ。どうして泣いているの?

 頭領は……どこ?


「まさか……」


「あのあと、町を抜け出したのはいいんだけど、持ってた馬でふたつ隣の町まで行ったら、新しい追手が待ち伏せしていたんだ。それで、頭領は、私を逃すために……うう、ううう……」


「ウソだろ?」


「ジョン=ゴリアーティ……おとうさんの、アーティ組は……壊滅した。生き残りは、私だけ」


「!」


 突きつけられる事実に言葉を失う。


 『壊滅』?

 あんな、優しくてあたたかい人たちが?


 脳裏には、豪快に笑う頼もしい頭領の顔が浮かぶ。


 『がはは! おめぇも飲め飲め、シアノの旦那ぁ!』


「……そんな」


 ウソだ。ウソだと言ってくれ。


 僕の心は、壊滅の二文字に冷え切っていく。

 だが、目の前のシアノは、それとは対照的に瞳に炎を宿らせて。拳を握りしめた。


「許せない! 私は、ゲスツィアーノ……奴らをぶっつぶせるだけの力が欲しい……! そのために、力を貸してよ、【逃がし屋】」

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