第3話 ナイフと魔法と筋肉
クレシアスを刺したナイフを手にした愛璃に、目を見開く。
「愛璃ちゃん……まさか……」
――それで、誰か刺すつもりなのか?
いや、刺すまではいかなくとも、脅すとか……?
ひやりとする僕の予感に反して、愛璃は「ちがうよぉ!」と明るい笑みを浮かべる。
「このナイフ、装飾がとっても綺麗でしょう? きらきらしてて、宝石がいっぱいついてる。ひょっとしたら高く売れるんじゃないかなぁ~って……」
誰かの持ち物を売ってしまうことを申し訳なさそうに、「でもしょうがないよね」感を滲ませながらそう言う彼女に安堵した。あんな、きみを襲ったクズ野郎のことなんて気にすることないのに。真面目だなぁ。
(ああ、やっぱり愛璃ちゃんは愛璃ちゃんだ……)
ナイフで誰かをまた刺すなんて。
僕の頭の方がどうにかしていたみたい。
◇
クレシアスのナイフは、街の質屋で驚くほどの高値で売れた。
これならご飯はもちろん、宿に連泊して仕事を探すくらいは可能な額かもしれない。
それくらい、僕らは潤沢な資金を手に入れた。
一応、売る前にナイフは隅々まで調べた。
紋章やイニシャル、その他、持ち主の情報に繋がるようなものがないかどうか。
僕も咄嗟にクレシアスのネックレスをくすねてはいたが、アレは明らかに紋章付きだった。王家なのか、貴族の家紋なのかはわからないけれど、そんなものをほいほい売るなんて危険だと、土壇場になって気が付いたのだ。
危なかった。あのままネックレスも売っていたら、盗品なのがバレバレだ。
あっという間に僕らの居場所が割れてしまう。
(クレシアス……あいつは一体、どこの何者だったんだ?)
それ次第では、今後の身の振り方を考え直さなければならない。
奴が王族なら全国的に指名手配されるだろうし、たとえどこに逃げようと、捕まって処刑されるまで追いかけられ続けるだろう。
一方で、そこまで身分の高くない貴族なら捜索はそこそこに打ち切られ、逃げおおせるかもしれない。善良な部下を脅したりする奴の性格の悪さから考えれば、下手をすれば感謝されたりするかもな。「おかげで邪魔者がいなくなったよ」と。
(はは。さすがにそれはないか……)
安易に楽観的になるのはよくない。
ナイフを売ったお金で、パンとハムっぽい何か、飲み物を購入した僕らは、宿屋で一息ついていた。
ツインベッドに各々寝転び、そのまま、睡魔に引きずり込まれるように眠る。
愛璃と同室で眠るという緊張や高揚よりも疲労が勝っていた僕は、愛璃の「おやすみ、永くん」という優しい声に促されて目を閉じ、翌朝、目を覚ます。
「……あ。もう、朝……?」
ぴちち、と愛らしい鳥の鳴き声に身体を起こすと、隣のベッドで横になっていた愛璃と目が合った。
愛璃は横向きにこちらを向いたまま、「おはよう」と呟く。
艶のある長い睫毛をぱちぱちとしばたたかせて、僕を見つめる。
シャワーを浴びて綺麗になった髪がベッドの上にこぼれて、制服を洗って干しているせいでやむを得ずパジャマ代わりとなった、キャミソールの胸元から覗く谷間が色っぽい。
(――なんか、同棲してるみたい……)
そのやり取りに不覚にも多幸感を覚えてしまう僕だったが、愛璃の目の下には濃いくまが浮かんでいた。
(愛璃ちゃん……やっぱり気にして、眠れなかったのか……)
まぁ、気にするなっていう方が無理だよなぁ。普通。
僕はできるだけ柔らかい笑みを浮かべて、愛璃に声をかけた。
「少し休んだら、図書館のある街を目指そうか」
「え……図書館?」
「うん。」
図書館を目指すのは、言語を取得するためだ。
この町は幸か不幸か治安がそこまで良くないらしく、貧相な身なりの者やならず者っぽい人たちが路地裏を闊歩しているような町だった。
だから、「文字が読めない」とジェスチャーで伝えても、店の人間は慣れた様子で対応をしてくれた。
この世界では、学がなくて字が読めない人もざらにいて、普通に生活している。できている。
新たな発見だった。
でも、やっぱり字が読めないのは不便だから。
「まずは図書館に行って、字が読めるようにならないと」
「そっか。元の世界への帰り方を見つけるのにも、字が読めないとだもんね……」
そう。今の僕らは、帰還への手がかりを探すどころか、その一歩にも満たない状況にある。その事実に、愛璃は顔を暗くしたが――
(でも、僕は……)
どうせ、元の世界に戻ったところで、僕は勉強も運動も中の下。
だとしたら、このままなし崩し的にこの世界で愛璃と暮らし、人生を共に歩んだ方が幸せなのでは――?
そんな打算的なことを考えるくらいには、僕は驚くくらいに落ち着いていた。
端的にいえば、元の世界への未練があまりなかったんだ。
大好きな幼馴染の愛璃がこちら側にいるんだ、あちら側の世界に用はない。
それどころか、他に顔見知り――頼りのない愛璃は、僕を全面的に信頼してくれている。それが嬉しい……と思ってしまうくらいには、僕は愛璃が好きだった。
小学校の中学年くらいから、一緒にいる機会の減ってしまった幼馴染。
愛らしく魅力的に成長した愛璃は、学校では僕が混ざれないようなカースト上位のグループに身を置いていたけれど、それでも、冴えない僕に昔と変わらぬ優しい態度で接してくれた。
だから……
「僕は、クレシアスが何者だったのか、この紋章について調べたいと思っているんだ」
懐から金のネックレスを取りだすと、愛璃は一瞬「いつの間に」みたいな顔をしていたが、ナイフを持ってきていた自分も同じようなものだと気がついたのか、何も言ってこなかった。
「図書館で、紋章のことを調べる。それで僕らの今後の身の振り方も変わる。質屋や町の人に聞くのはよくない。もしこのネックレスが王家の――とんでもない代物だったら、『どうして持ってるんだ』ってなるから」
「た、たしかに……」
「どこかの町、ゆかりの地で同じ紋章を見かけるか、どうにかして自力でたどり着くしかない。だから図書館を目指そう。これが、この世界の歴史を記した書物に載っているような紋章かどうか、確かめる必要がある」
「うん……!」
そうして僕らは、図書館のある街へ向かう準備を整えるべく、数日だけこの街に滞在することにした。
大きめの鞄や現地に馴染む服、日持ちのする食料や地図を手に入れて、基本的な買い物の仕方やこの世界の流儀を学ぶ。
そんな中、気づいたことがひとつあった。
この世界の人間にあって、僕たちにないもの。
それは、魔法を使える力ではない――体力だ。
買い物をしている際に、すれ違った親子が話しているのを聞いた。
『お父さん。僕も、大きくなったらゲスツィアーノ様みたいな偉大な魔術師になれるかなぁ?』
『ああ、なれるとも。父さんは勉強が嫌いだったから魔術師にはなれなかったけど、父さんの中にもトーヤの中にも
『え~! ニンジンはやだ~!』
みたいな、ハートウォーミングな他愛ない日常会話を。
つまり、この世界で魔法を使うのには、特殊な潜在能力も神や精霊の加護も必要ない。万人の体内には等しく魔力が流れていて、勉強次第で偉大な魔術師にもなれると……
『トーヤにも魔力が流れてる』と言った父親はそのとき、息子の心臓あたりをとんとん、と優しく叩いていた。
僕は、なんとなくだが、この世界における魔力というものが、人間の血液に近いものなのではないかと理解した。
だが。
誰かから逃げるためには、戦う力もそうだが、後にも先にも走る力。体力が必要になるだろう。
僕はそれを、昨日、この身を以て実感した。
だから僕は、トレーニングを始めた。
買い物や情報収集を終えて宿屋に戻って、腹筋背筋、その他諸々三百回。
なんだかペースが落ちてきたな……と思ったら、腕立てしている僕の背中に、愛璃に乗ってもらう。
「え、永くん……その……重くないの?」
「いや……はあッ。これくらいが……うぅ……ちょうどいいんだよ……」
重みは増したが、ペースもあがった。
疲労を吹き飛ばす柔らかさ。
愛璃パワーさまさまだ。
「ほんとに大丈夫……?」
筋トレを終えて、そのまま部屋に寝そべっていると、愛璃が綺麗になった制服を畳み終えて、心配そうに声をかけてくる。
耳に髪をかけながら覗き込む様子、その優しい声音が愛おしい。
「シャワー浴びてきたら? シャツ、洗っておくよ。今日はお天気もいいし、窓辺に干しておけばすぐに乾くと思う」
「ありがとう。じゃあ、ちょっと浴びてこようかな」
汗に濡れたシャツをその場で脱いで手渡すと、愛璃は少し赤面しつつ、それを受け取った。
「ううん、こちらこそいつもありがとうね、永くん」
(なんか、新婚みたいだな……)
シャツを手に、宿屋に常設の洗い場へ向かう背中をぽやーっと見送って、僕はシャワー室に入った。
愛璃は、部屋から出る直前、シャワー室の扉が閉まったのを確認して、手にしたシャツに顔を顔を埋める。
(永くんの匂いがする……)
そう意識すると、ぽーっと、顔や身体が熱くなって。
愛璃はしばし、そのシャツに残る余韻を楽しんだ。
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