第4話 セクハラおじさんはぶん殴る

 ときたま街に立ち寄る行商人の話から、図書館のある街は、ビブリアーデという王国内でも有数の学術都市だということがわかった。


 異世界ならではというべきか、この国は古めかしい中央集権の、いわゆる王政によって成り立っている国らしい。

 王都はここからみっつ北の街。

 僕らの滞在しているこの小さな宿場町は、地図にも載らないようなはしたの町。砂漠に点在する、水の枯れかけたオアシスのような場所だった。


 端的に言って治安は最低。

 少し路地に入れば、昼間から酔っ払い同士が喧嘩していたり、娼婦が色を売っているような町だ。


 当然、王によって統制された騎士団や、それらとときに協力体制を敷いて各地の魔物を退治するギルドの支部もない。


 ギルドというのは、騎士団や教会の重んじる古い伝統や窮屈さから逃れたかった者たちが、彼らの手の行き届かない小さな町を守る名目で立ち上げた自警団のようなものがルーツだという。

 なので、本来ならばギルドというものは、王家や騎士団、教会などとは仲が良くないとされていた。


 しかし、ビブリアーデは、王家によって管理されていながら、その住人のほとんどがギルドに所属する魔術師という、叡智のもとに身分を気にせず誰もが集うような、変わった学術都市だった。


「魔法……やっぱり、そういうものがあるんですね。一度でいいから見てみたいなぁ」


 調理と護身用にいいナイフはないかと立ち寄った行商のおじさんにそう呟くと、髭を剃り損ねて三日目くらいのおじさんが、「ああ、あんた魔法を見たことがないのかい? あはは! どこの田舎出身だよ!」と小気味よく笑う。


「デキの悪い俺にはとんとわからねぇが、魔術師サマっていうのは、自分や他人の魔力を使って便利なことをしてみせるんだ。ときにはおっかねぇ攻撃魔法なんたらってのも。俺も、一か月近く雨の降らなかった砂漠のとある町に来た魔術師サマが、杖ひとつで雨を降らせるところを見たことがあるぜ。あれにはたまげた!」


「へぇ、雨を。すごいですね」


 僕らの世界ならありえない。

 すぐさま特許申請か、軍事、人体実験用に各国がこぞって確保に乗り出すだろう。


「なんでも、精霊の声に耳を傾けるとか、式を組み立てるとか……それすらよくわからねぇが、魔術師の中にも、魔法を使う方法とか使い方ってのが色々あるらしい。魔術師だからって全員が全員精霊の声を聞けるわけでもねぇらしいし、中には、文字すら読めねぇのに全部を感覚的にこなしちまう天才とかも多いとか。そういうのは大体アレだな、教師や研究職には向いてねぇから、ギルドや教会に拾われて持ち上げられて、便利にこき使われてるみてぇだ」


 うーん。ブラック。


 さすが異世界。


「お兄さん、アレかい? 魔法に興味があるのかい?」


 正直、興味がないといえば嘘になるが、できるだけ早く遠くに逃げたい今の僕にそんな余裕はない。

 だが、僕の顔には「ちょっと興味がある」と書いてあったようだ。

 おじさんがにんまりと、行商鞄の奥底から一冊の本を取り出した。


「コレ、こないだへべれけに酔った銀髪の魔術師にポーカーで勝って貰ったんだけどよ。あいつ、身なりはいいくせして財布持ってないとか抜かしやがって……あまりの酒癖の悪さに、連れてたメイドが先に帰ったとかなんとか、コレを寄越しやがったんだ。なんかの魔法のことが描いてあるんだと。つっても、読んでも俺にはさっぱりだったし、兄ちゃん、いるか?」


「え? いいんですか?」


 思わず胸が躍る。

 今は読めなくとも、いずれ魔法に関するものを読んでみたい。

 そう思うくらいには、魔法というのは僕にとっては憧れの存在だった。


「今なら、隣にいるべっぴんな姉ちゃんのパンツチラ見せでいいぜ。もちろん、お触りはナシだ」


 僕はおっさんを素手で殴った。

 思いきり。

 ぼぐっ! っと景気よく。


 愛璃のパンツを見せろだって?

 そんなん許すわけないだろう。


 パンツを見せろと言われた愛璃は、僕の行動に口元を手で覆って慌てた様子だった。

 どうしてそんな驚いた顔をしているの?

 まさか、パンツくらいなら見せるつもりでいた? 背に腹は代えられないって?


 ダメでしょうが。どう考えても。

 僕が嫌なんです。


「ってー-!! 痛ぇ! 兄ちゃん、見かけによらずいいパンチするじゃねぇか!」


「謝ってください。愛璃ちゃんに下衆な視線を向けたことを」


「ああ、ああ……わかったよ、すまねぇな。ったく、冗談のつもりだったのに(半分本気)。にしてもあんた、よくもまぁ間髪入れずに、あんたの倍はタッパと筋肉のある俺を殴れたもんだよなぁ」


「え? あ。いや……つい、条件反射で……」


「気に入った」


 そう言って、おっさんはなぜか僕らにその本をくれた。

 一応、酒が一杯飲めるくらいの、およそ相場には見合わないであろう金額だけを受け取って。


 夕食を買い込んだ僕らは宿に戻り、シャワーを浴びて、ベッドに寝転んでその本を眺める。


(……読めない)


 なんか、ところどころ挿絵があるけど、なんだこれ?

 小さな丸と丸が線で繋がって、直線だったり曲線だったりを描いてる……


「点と点を、線でつなぐ魔法?」


「へ?」


 声の方を振り向くと、シャワーを浴び終えた愛璃が、濡れた髪を拭きながら本を覗き込んでいた。

 ふわりと香るせっけんと、お風呂あがり愛璃のいい匂い……


(近っ……)


 やばい。どきどきしてきた。


 動揺する僕を気にせず、愛璃は僕の寝そべっていたベッドにもぞもぞと入り込むと、隣にうつ伏せになって、枕元のランプを頼りに一緒に本を読もうとする。


(あっ。近っ。肩、触れて、全身……うわ……!)


 って。それどころじゃないや。


「愛璃ちゃん……読めるの?」


 問いかけると、愛璃は「なんとなくだけどねぇ」と、まさかの返答をした。


「ほら、この文字。左右と上下、似たような記号が組み合わさってできてるでしょ? これ多分、母音と子音の組み合わせなんじゃないかな?」


「??」


「これって、韓国語と似てるんだよ。あ。ほら、私、韓流アイドルとか好きで、韓国語勉強したりしてるから……」


 ぽっ、と頬を染める愛璃が大変可愛らしいですが。

 なにそれ? えっ。

 愛璃ちゃんは、賢い可愛い愛璃ちゃんだと常々思っていたけれど。

 まさかここまで頭がよかったとは。


 動揺を隠しきれない。


「愛璃ちゃん……そんなに韓流アイドル好きだったんだ?」


 いま、そこ重要か?

 とは思ったが、言葉が口をついて出てしまったんだからしょうがない。

 確かに、愛璃は休み時間にイヤホンをして音楽を聞いていることが多かったけど……


 韓国語勉強するほど好きだったんか。

 知らなかった。


「そっか。へぇ……そっかぁ……」


 大好きな幼馴染が、イケメンアイドル好き……

 なんかちょっと凹む。


「私が韓流アイドルを好きなのは、ボーカルのレイが永くんにちょっと似てるから……」


「えっ?」


「なっ、なんでもないヨっ!」


 そういって、愛璃は「シャツ、取り込んでくるね!」と去ってしまった。

 僕は、手元に残った魔法の本を、もう一度眺める。


(点と点を、線でつなぐ魔法……ねぇ)


 よくわかんないや。


 ぱたん、と本を閉じて、夜風に当たろうと窓に手をかける。

 すると――


(こんなところに、蜘蛛の巣?)


 窓枠に、無数の銀色の糸が絡まっているのが見えた。

 正確には、絡まっているというより、真横に何本か糸が張ってある。


(朝はなかったのになぁ……)


 この部屋、よほど働き者の蜘蛛が住んでいるらしい。


 僕はその銀の糸を、特に気にすることなく振り払って窓をあけた。

 プツン、と糸の切れた音がして、窓枠の左右が光った気がする。


(なんだろう……?)


 蜘蛛がいるのか? まさか二匹?


 異世界の蜘蛛なんだから、身体が光ることもまぁあるんだろう。

 害のある毒蜘蛛でないなら、これといって退治する必要もない。もともと蜘蛛は益虫だしな。


 だが、そのふたつの光は蛍のようにチカチカと淡く点滅して、次の瞬間には見えなくなってしまった。


 僕の脳裏には、愛璃のきょとんとした声が浮かぶ。


 『点と点を、線でつなぐ魔法……?』


(えっ?)


 まさか……これが?


 勉強すれば誰にでも魔法が使えるっていうのは、本当だったらしい。

 いや僕、勉強してないですけども。


 僕、天才だったんか。


(すご! 魔法……!)


「…………」


 束の間の歓喜に沸いた僕は、しーんと静まりかえる部屋で我に返った。


 ……こんなん、どうやって使えっていうんだよ。


 蜘蛛の糸が一本張れたからって何になるんだ。

 指一本で切れちゃったしさぁ。


 わけわからん。


(……とりあえず、身体鍛えるか……)


 僕は、愛璃が部屋に帰ってくるまで腕立てと腹筋をすることにした。

 兎にも角にも、まずはこのもやし体系をどうにかしたい。

 願わくば、韓流系の細マッチョ。


 いざってときに愛璃を抱えて走れる、筋肉こそ。

 努力と期待を裏切らない。

 ――正義だ。

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