第2話 ふたりだけの逃避行
いくらここが異世界とはいえ、殺人が罪に問われないかも、なんて考えはただの現実逃避に過ぎない。
僕の考えや常識が正しければ、十中八九投獄され、なんらかの罪に問われるだろう。
騎士や馬車などが存在していることから、文明レベルは僕たちのいた時代よりも未発達。ともすると、冤罪なんて日常茶飯事。拷問とかいう最悪の文化も残っているかもしれない。
離れたところで待機しているはずの騎士が戻ってくる前に、僕らはできるだけ遠くへ逃げなければ。
幸か不幸か、ここは森。
いくら馬車でも、森の中へ逃げてしまえば追いつけないだろう。強さ的には、騎士>魔物。それはついさっきこの目で確かめた。
それに、護衛の騎士としてはクレシアスの遺体を放置しておくわけにもいかないはず。
犯人探しはその後だ。
僕らは異邦の転移人。あの騎士以外、誰も顔を見られていない。
あいつさえ躱せれば、なんとか助かる見込みはある……
僕は、次第に冴えてきた頭を回転させて考える。
(愛璃のためだ。これから僕らがどうにかしてこの世界で生き残っていくためには……)
ふと見ると、金髪の少年――クレシアスの首から金の首飾りが千切れて転がっているのが見えた。
純金だろうか。見るからに高価なものだとわかる。
事故で殺してしまったクレシアスは、そこはかとなく貴族っぽい出で立ちの少年だった。
(背に腹はかえられないか……)
少しでもいい。せめて、この世界のお金に換えられるものが欲しい……
僕は、そのネックレスを咄嗟にポケットにしまい込んで、愛璃の手を引いた。
愛璃は、まだどこか戸惑いながら、上目遣いで問いかける。
「……自首したら、罪が軽くなったりしないかな? ほら、これって正当防衛ってやつになったり……」
「正当防衛……」
確かに、先に手を出したのはあちら側だ。
強姦と殺人……どちらの方がより悪いとか、罪の大きさを比べるわけではないが。
だが、ほぼ直感的に、僕にはそれで済むわけがないということがわかっていた。
正当防衛? そもそも、そんなものこの世にあるのか? しかも相手はいかにも権力のある高貴な身分。もみ消されるのがオチだ。殺される。
罪が軽くなることに賭けて自首するなんて、リスクが高すぎる。
「……ダメだ。やっぱり逃げよう、愛璃ちゃん」
「永くん……」
「僕と来て」
……大丈夫。僕に任せて。
なんて言う勇気も自信もない。
けど、僕は愛璃ちゃんが好きだから。
このまま別れて互いにどこかで野垂れ死ぬより、最期まで一緒にいたいと思った。
それに、心優しい愛璃ちゃんのことだ。今は気が動転していて色々なことが考えられなくなっているかもしれないが、きっと夜が明ければ、事故とはいえ人を殺めたという事実に耐えきれず、自死してしまうかもしれない。
そんなの嫌だ。
どうしてあんなクズのために、愛璃ちゃんが死ななければならない?
もし愛璃ちゃんがそんなことをしようとしたら、僕が隣にいて、止めないと。
どんなかたちでもいい。
僕は彼女に生きていて欲しい。
そう、これはただの、僕のわがままだ。
「行こう」
さぁさぁと降りしきる雨の中、僕は幼馴染の手を引いて、行くあてもなく走り出した。
◇
クレシアスの馬車は、停まっていた向きからして街道を南から北へ向かっていたように見えた。
「長旅で疲れた」とも。
だとすれば、僕らは反対の南を目指す。
この世界に四季があるのか知らないが、衣服や食料などの装備が心許ない僕らは、下手に北へ向かって極寒地方の洗礼を受けるよりも、南の方が生き残れる可能性が高い。そもそもの生物として。
ひとつ隣の町……だと、追手が探しに来る可能性が高いな。たとえ強攻策だとしても、今晩中に「人間の足では無理だろう」と思えるくらい、ふたつみっつは離れた町へ行かなければ。
無理でも、やるんだ。やらなきゃ逃げた意味がない。
(徹夜で歩けば、なんとかなるか……?)
しかし、僕よりも少し後ろをとぼとぼとついてくる愛璃ちゃんは、肉体的にも精神的にももう限界。
僕は、思い切って彼女の前にしゃがみ込んだ。
おんぶするために。
「愛璃ちゃん、乗って」
「へっ……?」
「ちょっと、その……身体が当たっちゃうかもしれないけど。もう立っているのも辛いでしょう? 僕がおぶるよ」
「え? でも……」
「ごめん、僕じゃイヤだった?」
「そ、そうじゃなくて……! だって、永くんだってふらふらじゃない! いくらなんでも、私のためにそこまでさせられないよ……!」
そう言って、踏ん張る足に力を込め直す姿がいじらしい。
(ああ、やっぱり愛璃ちゃんは可愛いな……)
「いいから、乗って。僕でよければ」
「僕でよければ」と付け加えたせいで、おんぶを断ると僕自体を拒否しているように聞こえてしまう。
よほど僕のことを嫌っているわけでもない限りは乗ってくれるだろう。そういう作戦だ。
愛璃ちゃんは想定通り、おずおずと僕に身体を預けてくれた。
「ごめんね……ありがとう、永くん」
ぎゅう、と後ろから首筋にすがり、頭を預ける。その柔らかさとあたたかさに、不覚にも顔が熱くなってしまう。
僕は、どきどきとする胸の鼓動を隠すように、小さな声で呟いた。
「…………しっかり捕まっててね」
「うん」
こうして僕らの、ふたりだけの逃避行は始まった。
◇
すやすやと背中から寝息が聞こえてくる頃。とうの昔に疲れてきって、今にも倒れそうなはずなのに、僕の神経は冴えに冴えていた。
(愛璃ちゃん……)
思ったよりもおっぱいが大きい。
幼い頃から誰もが羨む美少女で、思春期に入ってからはスタイルのいいその肢体も羨望の的だった。
それがずっと背中にしなだれかかっている。
あったかくて、柔らかくて、呼吸と共に心地良さそうに胸が上下して……
僕の中によくわからない活力がドバドバと溢れ出した。
正直、今はそんなこと考えている余裕なんてないはずなのだけど。
これがハイってやつなのか。
色んなことがありすぎて、一周回って僕もおかしくなってしまったみたい。
おかげで、およそ一日をかけた翌夕方頃には、みっつ隣の町に着くことができた。ふたつ隣なら御の字だと思っていただけに、これには自分でもびっくり。
僕も、やればできるじゃないか。
夕暮れに染まる中世風の街並み。
いや、この廃れ具合は、どちらかというと西部劇にでてきそうな感じだな。
大きな通りを挟んで、左右に商店や飲食店、酒場が建っているのがなんとなくわかる。
町の入り口にある案内板らしきものの前で、僕らは立ち止まった。
「字……読めないね」
困ったように見上げる愛璃に、僕も困ったように頷いた。
僕の知ってるラノベだと、文字はなぜか自然と読めることが多かったんだけどなぁ……
僕らには、女神の加護ってやつがないのか。
となると当然、チート能力とかもないんだろう。
でも、今思えば騎士とかクレシアスの言葉は普通に理解できたし、会話もできてたし……それがせめてもの救いか? なんてハンパな加護。しかもそれ以外は何もない。
困ったな。
本当に身ひとつで異世界にきてしまった。
「仕方ない。外国に来たと思って、ジェスチャーで、ひとまず休める場所を……」
瞬間。視界が揺らいで身体がバランスを崩す。
「永くん……!」
愛璃が、華奢な身体の全部を使って僕を抱きとめた。
二十云時間にわたって僕を励ましてくれていたおっぱいが、今度は顔を包み込む。
「あ。ごめ……!」
咄嗟に謝るも、もう全身に力が入らない。
謝罪さえもがもごもごと谷間に吸い込まれていく中、愛璃がふわりとした声を出す。
「……私のためにありがとう、永くん。無茶しすぎたんだよ、もう限界だよ。宿に入ってお休みしよう?」
「え。宿? それって、もしかしてふたり一緒の部屋……?」
「もう! こんなときに何言ってるの? 同じ部屋でいいに決まってるでしょ?」
「え……」
ぶっちゃけ全然よくないと思うけど。
でも、愛璃がそれを許してくれることが嬉しい。
「あ。宿代どうしよう……」
「だよねぇ。でも、今度は私に任せて」
そう言って、愛璃は通学鞄から一本のナイフを取り出した。
それは、クレシアスを刺したナイフだった。
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