世界最強の【逃がし屋】

南川 佐久

第1話 僕がきみを逃す

「はぁっ……はぁ……」


 もうダメだ。


 どれくらい走っただろう。

 走りすぎて、息なんてとっくのとうに切れてしまった。


 走れども走れども、目の前には木、木、木……

 雨で視界も足場も悪いのに、この深い森を抜けられる気がしない。


 僕らは、いつもどおり学校へ行って、校門をくぐったはずなのに。

 異世界転移……なのか?

 見るからに、僕らの住む町……世界とは、かけ離れたところに来てしまった。


 だって、さっきから物凄いスピードで、角が生えて涎を垂らした狼の群れが追いかけてくる。あんなのどう考えたって、魔物モンスターってやつだろ。


 奴らは、転移したことに呆然とする僕らの前に数匹の群れであらわれて。ハイエナのように連携しながら、今も追いかけてくる。

 正直、幼馴染の愛璃あいりとふたりでこうして、数十分にわたって捕まらず、逃げられていること自体が奇跡なのかもしれない。


「はぁっ……はぁ……」


(ダメだ、もう――!)


 息が続かない。


(それに何より――)


 僕は、隣で同じように――いや、僕以上に息を切らして、今にも倒れ込んでしまいそうな愛璃に視線を向ける。


「がんばれ、愛璃ちゃん! 走れ! 止まったら終わりだぞ!」


 その声援に、愛璃は枝がかすってスカートが破れ、怪我をした太股を庇いながらも足を速めて、小さく頷く。

 僕らは元来運動部ではないし、身体能力は中の下。

 でも、「食べられたくない」という生存本能――その一心で、ここまでやってきた。


 微々たる違いだが、男である分愛璃よりは体力的に余裕があるであろう僕は、背後を確認しようと振り返る。


 日の暮れた真っ暗な森に、光る眼玉が六つ……

 三匹……


 あれ? さっきより一匹少ない。


「ガァッ!」


 瞬間。角の生えた狼が愛璃の側から襲い掛かってきた。


「愛璃ちゃん!」


 僕は咄嗟に腕を掴んで、愛璃を引き寄せた。


えい……くん……」


 呼吸を乱して、虚ろな眼差しで目配せし、愛璃が「ありがとう」という。

 もうふたりとも、喋る体力すらない……


 すると今度は僕の側から、違うやつが飛び出してきた。


(くっ、ここまでか――!)


 咄嗟に両腕を身体の前でクロスさせると、僕の右脇からすらりと何かが煌めいた。


「せああっ!」


「ギャウン!」


 ……剣だ。


 今となっては獣の返り血にまみれた剣を手にした男の人が、「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。


「「あ……」」


 俺たちは、剣というの存在に怯えながらも、安堵にため息を吐いた。


「ああ、あああ……」


 気が抜けてしまったのか、うまく言葉が出てこない。

 でも、言いたいのは、「ありがとう」なのか「あなたは誰?」なのか。

 僕らはそれすらも判断できないでいた。


「ひどく怯えていらっしゃる。よほど怖い思いをなされたのでしょう。でももう大丈夫。しかし、なぜこんな夜更けに魔物の出る危険な森に? 郊外の別邸からお戻りになるクレシアス様の馬車がたまたま通りかかっていなければ……」


「おーい! うるさい犬の退治はもう終わったのかぁ!? 早く戻ってこいよぉ、置いてくぞ〜!」


「はっ。申し訳ございません、クレシアス様!!」


 その、剣を手にした護衛の騎士(?)さんは、ビシ、と背筋を伸ばして、気怠そうな声の元へと踵を返す。


 しかし何を思ったか、近くの道に停めてあったと思われる馬車から、金髪の少年が降りてきたのだ。

 あくびをしながら大きく伸びをして、「ふぁ〜。馬車の長距離移動って、ほんっと肩凝るわー」と。


「クレシアス様っ!? 危険ですので、中へお戻りください!」


「はぁ〜? 誰に向かって指図してんの? そうならないようにお護りするのがお前の仕事だろ。いいじゃん、魔物もいなくなったんだし、少しくらい外の空気を吸ったってさぁ……ん?」


 端正な顔立ちで、見るからに豪奢な衣服に身を包んだ少年の目が、俺たちにとまる。


「こんなところに人間? つか、随分見慣れない格好してんな。なにそれ、どこの民族衣装?」


 ……それは、俺たちの制服のことだろうか。


「ま〜どこでもいっか。どこの民族だろうが、もうすぐ全部統一されて、俺のものになる。ってことで。お前」


 ビシ、と。蒼い眼差しが、愛璃に向けられた。


「結構可愛いじゃん。胸もデカいし、ちょっと相手しろよ。俺は長旅で疲れて溜まってるんだ、こっち来い」


「は?」


「へっ?」


 わけがわからない。


 何こいつ。


 あまりな展開に、俺も愛璃も言葉を失う。

 しかし、クレシアスと呼ばれた同い年くらいの少年は、異常者を見るような俺たちの視線を意に介さず、おもむろに愛璃の腕を掴んだ。


「きゃっ……!」


「クレシアス様! 無辜の民にそのような真似はおやめくださ……!」


「うっせぇ黙ってろ、雇われ雑兵。別にちょっとくらい遊んだっていいじゃんか。首飛ばされたくなかったら、気ぃきかせて十分〜十五分くらい、あっち行っててくんない?」


「しかし……!」


「最近、息子が産まれたんだろ? 自分にはもったいないくらいの可愛い奥さんが産んでくれたって。ここで首飛ばしていいのか?」


「……!」


 少年が睨むと、騎士は「手荒な真似はおよしくださいね……」と、およそ無意味と思われる忠告をして去っていった。命令どおり、しばし離れて待機するようだ。


 俺と愛璃は、異世界ならではっぽい横暴なやり取りに閉口し、同時に息を飲んだ。


 ……ヤバい。こいつヤバい……!


 愛璃が、ヤられる……!


「愛璃ちゃん、逃げ……!」


「おおっと動くなよぉ。女の首を掻っ切られたくなかったらなぁ……!」


 僕が手を引くより早く、クレシアスは愛璃の腕を掴んで引っ張り羽交い締めにし、護身用のナイフを突きつけた。


「へぇ〜結構イイじゃん。すごくいい」


「んッ……!」


 にやにやと、満足そうに下卑た笑みを浮かべ、愛璃の胸を揉みしだく。疲れきっている愛璃は、まともに抵抗する体力も残っていないようだった。

 それに何より、ナイフに怯えて……


「愛璃ちゃ……! お前、やめろっ!」


「やめろって言われてやめるバカいるわけねーだろ。こんなイイもの持ってんのにさぁ!」


「きゃっ、やめ……!」


 クレシアスに押し倒されて、愛璃が悲鳴をあげる。


「いやっ! やめて……!」


「……ッ。暴れんなよぉ。手元が狂うだろ。ほら、口開けな」


「いやぁっ……!」


 無理にキスしようと迫られて、愛璃は両手を振り回した。クレシアスの顔に手を当て、ぐいぐいと押し戻す。


(くそっ……! 無理に引き剥がそうとすると、ナイフが愛璃ちゃんに……!)


 僕が躊躇しているうちにも、嫌がられたことでひとりでに盛り上がった悪趣味野郎の唇が近づいてきて……


「やめてっ!!」


 愛璃が、自身の顎を押さえつけているクレシアスの腕を掴んで、ぐい、と引き剥がした。

 その拍子に、手にしたナイフがあらぬ方向に刃を向けて……


「ぐっ……ふっ……!」


 クレシアスの首に突き刺さった。


「へ……?」


 ぱたた、と。次第に滝のように頭上から降り注ぐ返り血に、愛璃が目を見開いて震えだす。

 口元を両手で抑えて、恐怖に顔を青くして。


「あ……わ、わたし……!」


 砂袋が転がるような鈍い音を立てて、クレシアスが地面に転がった。


 ――多分、死んでる。


「あ……あああ……!」


 降りしきる雨の中、絶望に打ちひしがれる愛璃の弱くくぐもった声が響く。

 僕も、かける言葉が見つからない。


 これは事故だ。

 誰がどう見てもわかる。


 でも、それをのは、僕しかいない。


 脳裏に、情状酌量の文字が浮かんだ。

 この、わけのわからない異世界にも、警察などの機関が存在するのだろうか。

 そこにいるのはどんな人? いい人? 悪い人?

 「こんなつもりじゃなかった」と訴える愛璃に、耳を貸す人はどれくらいいるのだろうか。


 ぽたぽたと、雨が血だまりを洗い流していくなか、愛璃にがぽつりとこぼす。


「……私を、置いていって」


「!?」


「永くん……お願い」


 静かに涙を流して訴える愛璃。

 その瞳が、俺の身を案じていることなんて、言われなくともわかる。


 艶やかな黒髪は、雨と汗で顔にはりつき、心も身体もボロボロだ。

 長い睫毛がしばたたくたびに、涙と雨粒がこぼれる。


 大好きな幼馴染のこんな顔……できれば一生見たくなかった。


「置いていけるわけないだろ……」


 呟くと、愛璃は黙ってしまった。


 その顔――わかるよ。

 もう、この先のことを考える気力も残っていないんだ。


 愛璃は、今この瞬間に、自分の人生を諦めた。

 俺がいなくなったあとで、クレシアスが残したナイフで自分の首でも切るつもりなんだろう。


 ……わかる。わかるさ。

 だって俺たちは、幼い頃から一緒にいた、幼馴染なんだから……


 俺は、雨にうたれて次第に冷静になってきた頭で問いかける。


「俺が先に行ったとして。愛璃ちゃんはこれからどうするの? こんな、わけのわからない異世界で」


「…………」


「どうやって、生きていくの?」


 問いかけに、愛璃はうっすらと自嘲的な笑みを口元に浮かべる。


「昔、本で見たことがあるの。こういう世界には、娼館?っていうのがあるんでしょう? 若い女の子が異世界に飛ばされて、そうやって生きていくお話を本屋さんで見た」


「…………」


 どうして。そんなことをなんでもない風に言えるんだ?


 僕は、拳を握りしめる。


「それ、わかってて言ってるの? おっさんとスることになるかもしれないよ」


 僕はわざと、歯に衣着せぬ物言いをする。


「自分の父親よりも年のいった、汚くてみすぼらしいおっさんと、スるんだよ?」


「……わかってるよ、それくらい。でも、他にどうしろっていうの……!? 手段なんてないでしょう!?」


 がばっと顔をあげて、「こんな……人まで、殺しちゃって……」と弱弱しく訴える愛璃に、告げる。


「――そんなの、


「!?」


「愛璃ちゃんがそんなところで働くなんて、僕が嫌だ。見たくない。許したくない」


 僕は少しかがんで、愛璃に手を差し出す。


「一緒に行こう。」


 僕の言わんとしていることを理解した愛璃が、大きな瞳を潤ませた。


「永くん……どうしてそこまで、私のために……?」


 問いかけに、思わずきょとんと目を見開く。

 まっすぐに向けられる愛璃の瞳から、自分の視線を少しずらして……


「それは……僕がきみを、す……」


「?」


「す……さ、あっ。すっ……」


 ――ダメだ。言えない。


「お、幼馴染、だから……」


「!」


「……小さな頃からずっと一緒にいた幼馴染がそんなことになるなんて、フツー嫌だろ……」


 下を向いて耳の後ろをかく。

 愛璃からの返答はない。

 俺はその沈黙を、肯定と受け取った。


「行こう、愛璃ちゃん」


 僕は、愛璃に視線を合わせるためにしゃがんでいた腰をあげて、再び手を差し出した。きちんと、ズボンの裾で手汗を拭って。

 愛璃はその手を、きょとーん、と見つめている。


 幼い頃はよく繋いで、公園を駆け回った手。

 小学校の中学年くらいからか、お互いを異性として意識し始めて周囲の目を気にするようになって、次第に繋ぐことはなくなってしまった。


 その手を――


(きみはただ、握り返してくれればいい……)


 たったそれだけ。

 僕に勇気をくれればいいんだ。


「永くん……」


 恐る恐る、けれど確かに握り返されたその熱に、僕の心には火が灯った気がした。


 僕は、か細くて柔らかいその手を握り返して、涙で潤む愛璃の大きな瞳を、まっすぐに見つめた。


「僕がきみを――逃す」





※現在、カクヨム『お仕事コンテスト』応募中です。中編なのでなるだけ毎日更新し、完結までさくっとお届けしたいと思っています。

 異世界ファンタジーは久しぶりの挑戦。よろしければ感想を、作品ページのレビュー、+ボタンの★で教えていただけると嬉しいです!


★   ふつー、イマイチ

★★  まぁまぁ

★★★ おもしろかった、続きが気になる など。


 今後の作品作りのため、何卒、よろしくお願いいたします!

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