第6話 話せない者、伝わらない者

「なぁ兄弟、こんなチャンスはねぇぞ。よく考えてくれよ」

樹に縛られる奴隷商人は自分の境遇なんて気にせずエリックに話しかける。命からがら逃げおおせ目が覚めてすぐに拘束されたにも関わらず、目を爛々と輝かせて溢れ出る涎を飲み込む。

「喋る狼なんて言い値で売れるぜ? それにこの毛並みだ。山分けしたって使い切れねぇよ」

狼が尻尾を小刻みに振りながら耳を後ろに倒す。

「なぜこのような低俗な者を助けた? お前の右手で食べてしまっていいのではないか?」

「そいつは★4だった。その身なりだ、きっと商才は本物なんだろうな」

奴隷商人に背を向けながらエリックは薪に火を着ける。燻った火種が安定した大きさになり、炎の向こうの少女を赤く照らす。揺れる炎を見つめる無表情に警戒や絶望はなく、膝を抱える程度の防御本能が働いているだけだった。

「……これは食えるか?」

エリックが荷から取り出した拳大のパンに目をやるも少女は口を開かない。

「アントーカーに何を言っても無駄だ。そいつらは人の姿をしているだけで頭は獣と大差ねぇのさ。だからこそ、人の言葉を喋る狼なんて信じらねぇ」

少女には目もくれず自分の欲望のままに狼の肢体を撫でるように見やるも、隠す気のない視線に鋭い犬歯と唸り声で狼は応える。

「貴様らが私達の言葉を使っているに過ぎないのだぞ。次に私のことを獣扱いしてみろ、その喉笛を嚙み切ってやろう」

狼の凄みに気圧され奴隷商人は反射的に視線を外し、軽口を叩くのをやめて口をつぐむが、その口元は変わらず下品に歪んでいた。

「シルバ、そいつはいいからこの子を何とかしてくれ」

少女との交流を諦め溜息交じりのエリックは、シルバと呼ばれた狼の為に場所を空ける。

「いい加減ジェイド語を話せるようになれ。この先もずっと私がお前の通訳をするのか」

「シルバを喰えば覚える必要なんてなくなるからな」

抜かせ、と言い放つシルバの低い声は奴隷商人に向けられた嫌悪は孕まず、ただただ面倒くさそうに少女の傍らに寄る。

『カノイ ナイテヘ ハラハ』

それまでぼんやりと火を見つめていた少女の目が大きく見開かれる。シルバをじっと見つめ、ようやくその口を開く。

『タ イスカ ナオ』

シルバは振り向きエリックに向けて顎でしゃくる。再びエリックは手に持ったパンを少女に差し出すも、少女は膝に顔をうずめてしまう。

『イナ イテイ ハハクド』

シルバの言葉に顔を上げエリックを見ては視線をそらしそれを繰り返す。ゆっくりとエリックの方に手を伸ばし、パンを受け取るとしばらく手でその感触を確かめた後にムシリと噛み千切った。

『ダンナハ ナノエ マオ。ダクリエ ハツイ ソ、デバ ルシガシ タワ』

『……アイテ ミ』

少女はギンの言葉に短く答えると、先程までの毅然とした表情が歪み、目に涙を浮かべ始めた。

『カルカ ワカルア ニコ ドハラ ムノンブ ジ、アイテ ミ』

『……イナ ラカワ』

ブルっと身体を震わせ、シルバは奴隷商人に鋭い牙を向ける。

「この少女はどこから連れてきた」

「縄を解いてくれたら教えてやるよ」

今にも食いちぎらんと牙を剥き出しにするシルバを横目にエリックは縄に手をかけ、右手に灯した炎で焼き払う。

「エリック!」

「こいつは商人だ。対価を払わなければ動かないさ。逆に対価を払ってやればちゃんと働く」

奴隷商人が凝り固まった身体を揺すりながら、エリックとシルバと少女を見回す。縄は解かれたものの戦闘力のない自分が依然として窮地に立たされていることを理解し、諦めたように焚火の近くに座る。

「で、こいつの村だっけ? 南西にあるアントーカーの集落から連れてきた」

「それがどこかと聞いているんだ」

「腹が減ったな。オレにも何か食わせてくれたら教えてやる」

シルバは埒があかないやり取りに苛立ちを隠さず、ただし唯一の情報源である奴隷商人を無下にできず、一声吠えることで溜飲を下げた。奴隷商人の相手をエリックに任せ、少女を守るような位置で横になるも尾を大きく振っていた。

エリックは無言で荷からパンを取り出し奴隷商人に差し出す。受け取ろうとするその横っ面を殴り倒し、握ったままのパンは指の跡が残るように窪んでいた。

「足りないようなら何回でも拳を食らわせてやる。せいぜいもったいぶって答えろ」

「……いや、そのパン一つで十分だ。ここから北にあるエサク港から船で南西に1週間、そこから馬車でさらに1週間行けばそいつのいた集落に辿り着けるさ」

痛む頬を撫でながら気休めにしかならない大きさのパンを少しずつ噛み続けながら奴隷商人は地に行程を記した。

「エリック、金はあるのか?」

「あるわけないだろ。また密航するしかないがこの子は……」

少女に言葉は伝わっていない。だが、エリックとシルバが自分を家に帰そうとしているのは理解できた。そして、それにあたり自分がお荷物になっていることにも気が付いている。十分に暖を取れた正面に対し、背中がスッと寒くなる。

「今度こそ対等に取引をしようじゃねえか」

最後の一欠けらを名残惜しそうに口に入れ、じっくりと噛み締めながら奴隷商人はエリックとシルバを見渡した。

「お前ら二人をそいつの集落まで送り届けてやる。もちろん旅費はこっち持ちだ」

「願ってもないな。で、その代わりに今度は何を寄越せって言うんだ。生憎だがもう腹の足しにできるようなものは無いぞ」

「オレと組もうぜ、兄弟。なあに、アンタのことはもう諦めたから安心してくれ」

低く身を屈めながら自分に飛びかかろうと構えるシルバを制するように奴隷商人は弁解をする。

「一緒にウイングマン侯爵をぶっ倒そうってお誘いだ。悪くない提案だろ?」

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