番外編 三度目の正直・前編
メーア視点です。
********
コンコンコン。
王城内の一室に、ノックの音が響く。
「どうぞ」
私に新しく与えられたこの部屋には、以前私が暮らしていた部屋で使っていたのと同じ家具や雑貨が運び込まれていて、居心地が良い。
「失礼する」
扉を開けて入ってきたのは、私の今の婚約者。
私は立ち上がり、扉の前まで歩み出た。
「ヒューゴ殿下」
その秀麗な面輪に浮かぶのは、よそ行きの笑顔だ。
彼は控えていた侍従と侍女に合図を出し、下がらせる。
室内に二人きりになると、彼はふっと相好を崩した。
「メーア嬢。何か、足りないものはないか?」
「ええ、おかげさまで快適に暮らさせていただいていますわ。雑貨類はともかく、帝国からここまで家具を運ぶのは大変だったでしょう」
彼は穏やかに微笑みながら、私をソファーまでエスコートする。
私を座るように促すと、彼も向かい合わせの席に腰を下ろした。
「運べない家具は、同じものを探していただいたり、注文していただいたり――どうしてそこまで?」
「それで君が心穏やかに過ごせるのなら、その程度のこと、苦ではない」
「まあ」
「それに、王族同士の結婚という大きなニュースだ。ファブロ王国は、長年暗く苦しい時代が続いた。この期に城下の職人たちに仕事を依頼し、経済を回すのも大切なことなのだ」
「それもそうですわね」
私が肯定すると、ヒューゴ殿下は嬉しそうに頷く。
この私とて、ベルメール帝国の皇女。
どうすれば停滞していた経済が回り、落ち込んでいた景気が回復するのか。それなりに理解しているつもりだ。
「ですがやはり、お気遣い痛み入りますわ。ありがとうございます、殿下」
経済のことと、殿下に対する個人的な思いは別物だ。
私は深い感謝の気持ちをこめて、殿下に礼を言った。
ところが、予想に反して、ヒューゴ殿下は少しだけ顔をしかめる。
「メーア嬢……いや、メーア。私達は、もうすぐ正式に夫婦となる。『殿下』も、敬語も、やめにしないか?」
唇をつんとして、不機嫌を装っておねだりをするヒューゴに、私は思わずふふ、と笑ってしまった。
不機嫌を装っても、紅い目の奥は笑っている。
「――わかったわ。ヒューゴ」
その表情が、一瞬で華やぐ。
私の前でしか見せない甘やかな笑顔に、私の目元も口元も緩んでゆく。
「ありがとう――メーア」
殿下――いや、ヒューゴは、向かい側から手を伸ばして私の手を取ると、その甲にそっと口付けを落としたのだった。
*
ヒューゴは、そのまましばらく歓談した後、部屋を出ていった。
私も少しずつ公務を手伝うようになったものの、正式に婚姻を結んでいない私には、まだまだ触れない部分も多い。
私とヒューゴが出会ったのは、ヒューゴの父親である現国王が火の力を暴走させてしまった時である。
ファブロ王国にフレデリック様の侍女として潜入した私は、王太子付きのメイド達にまざって、彼の世話を自ら買って出た。
何故、だろうか。
私は、どうして彼を放っておけず、自ら手を伸ばすようなことをしたのだろう。
ヒューゴは本当に優秀だ。
しかし出会った当初、彼は深い孤独を抱えていた。
それがなんだか私自身と重なって見えたのである。
王室関係者のみが閲覧を許される、ファブロ王国の歴史書。
その中で、ファブロ王国建国の祖――初代国王の父親として伝えられている、『凍れる炎帝』。
彼もまた深い孤独の中、最愛を見つけたのだという。
それが運命だったというのなら、私とヒューゴの出会いも運命、だったのだろうか。
なんだか、歯痒い。ふわふわとして、落ち着かない。
――私は、過去に二度、恋に破れている。
ヒューゴに感じているこの想いは、その二回の恋とは全くの別物だ。
それは、今度こそ婚約がうまくいきそうだからとか、そういう単純なことではなく、もっと……。
私は、ふう、とため息をついて、目を閉じた。
そうして、
◇◆◇
それは、七年前のある日。
当時、私は、十歳だった。
私の最初の婚約者、アルバート殿下が、婚約を結んでから初めて皇城を訪れた日のこと――。
アルバート殿下は聖王マクシミリアン陛下の愛息で、私より五つ年上だ。
背中まで伸ばした銀髪を一つに束ね、聖王家の証である金色の瞳は、すうっと切れ長である。
その前に殿下に会った時は、婚約の場だったということもあり、あまりお話しすることが出来なかった。
常に落ち着いてそつなく振る舞っているアルバート殿下は、すぐに私の憧れの存在になった。
スマートでクールな方ではあるが、皇城に住んでいる妖精たちにすぐに気に入られていたし、不思議な雰囲気の方である、というのが第一印象。
聖王都から帝都までは馬車で二週間ぐらいかかるから、そんな憧れの殿下が時間を割いてこちらまで会いに来てくれるのは、すごく嬉しい。
約束の時間になり、城門の近くで私は殿下を出迎えようと待機していた。
立派な馬車が見えてくるのを待っていたが、予想に反して、なんと殿下は空からやって来た。
連れていたのは、従者兼騎士といった出立ちの男性と、私より少し年下の美しい男の子の、二人だけ。
応接室に殿下を案内してから聞いた話に、私は驚かされることとなった。
年下の男の子は、セオドア殿下。八歳だ。
アルバート殿下と同じく聖王家の証である金色の瞳を持っているが、彼の金色はアルバート殿下の金色よりも明るく鮮やかである。
セオドア殿下は、アルバート殿下の
しかし、ある日突然感情を失って、王位継承権も失ったという。
セオドア殿下をまじまじと見つめるが、確かに表情が全く動かない。
少し、気味が悪かった。
アルバート殿下によると、これからセオドア殿下は毎回連れてくることになるとのことだ。
聖王都から帝都まで通常二週間かかるところ、『空の神子』である彼の力なら、三人程度なら二、三時間で来られるらしい。
私は心底すごいと思ってセオドア殿下を褒めたのだが、やはりセオドア殿下は表情ひとつ動かさない。
アルバート殿下はその言葉が気に入らなかったのか、セオドア殿下の態度が気に入らなかったのか、顔をしかめたのだった。
しばらく歓談をした後、アルバート殿下は城内や城下を見学したがった。
その時は私が案内役を買って出て、セオドア殿下をひとり残して色々な所へ連れて行った。
どうやら、アルバート殿下もセオドア殿下が苦手らしかった。
その日以降、アルバート殿下は三人で皇城を訪れるようになったのである。
何度か来訪するうちに私の案内も不要になり、私はセオドア殿下と二人で置いてけぼりを食らうことが多くなった。
寂しかったが、そもそも最初から五つも年下の子供に興味を示すわけがなかったのだと、一人納得する。
婚約者として表向き大切に扱ってくれているだけ。そして、私がそんな殿下に勝手に憧れを抱いただけ。
アルバート殿下は、私に興味がある訳ではなく、帝国に興味があるのだと薄々感づき始めた。
私は最初、セオドア殿下が苦手だった。
表情を全く変えることがない様子が、どうしても不気味だったのだ。
アルバート殿下は作り笑いの中にも感情がはっきり見え隠れするから、セオドア殿下よりずっと付き合いやすい。
私とて社交と人の扱いに関しては物心つく頃から叩き込まれているから、アルバート殿下のようなタイプはまだ御し易いのだ。
――そして、ある日。
私とセオドア殿下の関係は、突如変化してしまったのだった。
(後編につづく)
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