第150話 「ありがとう」


 私とセオはしばしの逢瀬ののち、ボールルームに戻る。

 私は静かに壁際に戻り、セオはそのまま反対側にある来賓席へと向かった。

 来賓席は薄布で隔てられていてよく見えないが、国内外から何人かの客人を招いているようだ。


 全ての令嬢と令息の入場が終わると、入り口の扉は閉ざされ、代わりに玉座の後ろにある扉が開いていく。

 王太子のヒューゴが頭を下げて一歩後ろに下がった。

 集まった貴族たちもみな、ヒューゴに倣って頭を下げる。


 開け放たれた扉から現れたのは――


 長い眠りに落ちていたはずの、国王陛下だった。

 両側を騎士が固めている。

 うまく歩けない国王を、密かに支えているようにも見えた。


 国王は騎士達と共にゆっくり進み、どっしりと玉座に座る。


「皆の者、今年も斯様かように集ってくれたこと、感謝する」


 張り詰めた静寂の中、静かな、しかしよく通る声で国王が祝辞を述べていく。


「本来ならば余が自ら祝福を与えるべきところだが、生憎あいにく体調が優れぬ故、王太子に代わりを務めてもらった。王太子よ、大義であった」


「勿体無い御言葉にございます」


 ヒューゴは丁寧に礼をする。

 国王は目覚めてまだ間もないのだろう、まだ体調が万全ではないようだ。

 だが、今はそんなに顔色も悪くはなく、落ち着いた様子である。


此度こたびは、皆に大切な知らせがある。心して聞くがよい」


 会場の空気が、さらにピリッと張り詰める。

 国王は、会場中を見渡して、重い口を開いた。


「本年をもって、余はファブロ王国国王の座を退くことが決まった。ここにいる王太子ヒューゴが来年、十八歳の誕生日を迎える。その日をもって余は退位し、ヒューゴが次代の国王として即位する」


 ヒューゴが一歩前に出て、一礼した。

 周りの貴族たちも寝耳に水だったようで、声こそ発しないものの、互いに顔を見合わせている。


「退位の理由は三つある。一つは、見ての通り、病である。今後は王領の湖にて王妃と共に静養し、陰から王国を支えてゆくこととなろう」


 正確には国王は病気ではなく、ずっと悪夢と戦っていたのだ。

 まだ本調子ではないのかもしれないが、声にもしっかり張りがあるし、目の輝きも戻っている。

 この調子で回復すれば、静養など必要ないのではないか――周りの貴族たちもそう思ったようで、各々の顔には疑問符が浮かんでいる。


「また、王領の湖は、少し特別な場所である。皆もまだ馴染みが薄いであろうが、我ら王家は精霊とその神子と約束を交わした。今はまだ詳しいことは言えぬが、この約束を守ることは、精霊の加護を授かった王家の責務でもある。我ら王家の誰かが湖に滞在し、この責務を果たすこと――それが王国の、ひいては大陸全体に恵みをもたらすこととなるのだ。これが退位する理由の二つ目である」


 精霊という言葉を聞いて、大半の貴族たちは無理矢理納得することにしたようだ。

 今はまだ言えない、ということは、いつか明らかにされる日が来るのだろう。


 それよりも王領の湖といえば、『天空樹』や、毒の精霊の迷宮が連想されるが――何か関係があるのだろうか?


「そして最後の三つ目だが――王太子は、ヒューゴは、余よりもはるかに、王として相応しい器を持っている。ヒューゴは幼き頃より、、国を動かしてきてくれた。……自慢の息子よ」


 そうして国王は、初めて笑った。

 ヒューゴに向けて、晴れやかな笑顔を向ける国王は、確かにであった。

 国王に父親としての顔を向けられたヒューゴが表情を動かすことはなかったが、僅かに――本当にごく僅かに、その喉が上下する。


 貴族たちは、『余に代わって』という部分の意味が気になったのか、法衣貴族――王城に勤める貴族たちと意見を交わしたくて、うずうずしているようだ。


「以上だ。この後の舞踏会も、楽しむがよい」


 その言葉と共に国王は玉座から立ち上がり、来た時と同じ扉から下がっていった。

 式典が終わり舞踏会の準備のために庭が開放されると、すぐさま貴族たちは顔を突き合わせて噂話に興じ始める。

 来賓席の薄布も撤去されたが、そこには誰の姿もなかった。

 ヒューゴや国王陛下と一緒に、別室で待機しているのだろう。






 準備が整い、舞踏会が始まる。

 国王の姿はないが、王太子ヒューゴと共に、来賓たちもボールルームに戻ってきた。


 セオは、私と目が合うとすぐ、こちらへ向かって来てくれる。

 来賓として現れた美しい貴公子が、デビュタントたちの方へと向かってくる――周りの令嬢も、心なしか色めきたっているようだ。

 けれどセオは周りには目もくれず、真っ直ぐに私を目指して歩いてくる。


 セオは私の目の前で立ち止まると、洗練された流麗な仕草で、私をダンスに誘った。

 私は隣に立つ義父に軽く会釈をして、セオの手を取り、ダンスフロアへと進み出る。



 虹色の髪を持つ幻の令嬢、パステル。

 異国の盛装に身を包んだ絶世の美男子、セオ。

 私たちは、やはり少し目立っているようだ。

 周りからの視線も、囁き声も、少しわずらわしくて顔をしかめる。


「パステル、自信を持って。笑った方が可愛いんだから」


「な、なにを――」


「ふふ、真っ赤なパステルも可愛い」



 セオにからかわれている隙に、周囲の関心は、ダンスフロアの中央へと移る。

 そこにはファブロ王国の王太子ヒューゴと、ヒューゴに手を引かれて凛と歩み出る美しい令嬢の姿があった。


 真珠のアクセサリーが編み込まれた、深い海色の、艶のあるロングヘア。

 胸元から裾に向かってグラデーションが濃くなっていく、青色のドレスを身につけている。

 彼女の耳元と首元には、大粒のガーネットが輝いていた。



 ヒューゴの色のアクセサリーを身にまとい、気高く凛と佇むその令嬢は、私もよく知る人物。

 ――帝国の皇女、メーアだった。



 背の高いメーアは、同じく高身長のヒューゴと見事に釣り合いがとれている。

 高貴なオーラを惜しげもなく振り撒く二人は、そこにいるだけで周囲を惹きつける力があった。


 ヒューゴがメーアの左手を取り、その薬指に口付けを落とす。

 メーアは美しく笑いかけ、ヒューゴも甘い微笑みを返した。



 私が思わずうっとりと見惚れていた、その時。



 私の左手を、セオが優しく持ち上げた。

 セオは、ヒューゴがメーアにしたように、私の薬指に唇を寄せる。

 驚いて目を見開く私に、セオは、とろけるような甘い声で囁く。


「今は、僕だけを見て」


「――!」


 セオがそのまま私を引き寄せて腰を抱くと、楽団の演奏が始まる。

 最初の曲は、ゆったりとしたワルツだ。

 私は、セオのリードに合わせてステップを踏み始めた。


 ――大好きなひとの顔が、目の前にある。

 その金色をうっとりと覗き込むと、セオは嬉しそうに目を細めた。


 言われるまでもなく、私にはもうセオのことだけしか見えない。

 ダンスは苦手だったはずなのに、セオとならいつまででも踊れそうだ。

 練習の時よりもスムーズに、楽しく踊れているのは、セオのリードが上手なのだろう。


「こんなに楽しいダンスは、初めて」


「僕もだよ。――ねえ、パステル」


「なあに?」


「たくさん待たせちゃって、ごめん」


「ううん。――セオ、迎えに来てくれて、ありがとう」


「うん」


「――たくさん頑張ってくれて、ありがとう」


「うん」


「それから――ずっと私を想っていてくれて、ありがとう」


「――うん」


 離れていても、魂が欠けていても、想いは確かに届いていた。

 ずっと私の胸に宿っていた。


 泣きそうな顔で笑うセオに、私はただ穏やかに笑いかけたのだった。



********


 次回、最終話です。


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