第129話 「縁談」
「その……パステル嬢に用意された縁談だが。――相手は、私なのだ」
突然の爆弾発言に、全員の視線がヒューゴに向く。
皆が思い思いに驚く中、ヒューゴは、気まずそうに語り始めた。
「この婚約話は、本来パステル嬢が成人した時に私とパステル嬢に伝えられる予定になっていた。だが、先日、父が一時正気に戻った時があったろう? その時受け取った手紙で、私は一足先にこの件を知らされることとなった。……今まで黙っていて、すまなかった」
「……どうして……? 私、ただの子爵令嬢ですよ。ヒューゴ殿下とは、身分が釣り合わないはずです」
「本来なら、そうだな。だが、こちらとしてもパステル嬢でなくてはならなかった理由があったのだ」
私が疑問を述べると、ヒューゴは申し訳なさそうに眉を下げる。
重く静かな空気を震わせたのは、セオの縋るような、小さな声だ。
「……ヒューゴ殿下……パステルと、婚約、するのですか……?」
「それは、君たち次第だ。だが、長くは待てないぞ」
「僕たち次第って……そんなこと」
セオは溢れそうになる言葉を飲み込んで、目をギュッと瞑る。
ひとつ息をついて落ち着くと、先程より少しだけしっかりした声で続けた。
「……いつまでなら、待って下さるのですか?」
「デビュタント・ボールの当日まで。その日に、私も婚約者を皆の前で発表する」
デビュタント・ボールは初冬……つまり、あと半年ちょっとしかない。
「ヒューゴ殿下……初めてお会いしたあの日、色恋沙汰には興味がないって」
「ああ。だが、それとこれとは別だ。これはある種の契約なのだ」
ヒューゴは、一瞬、切なそうな表情をする。
その視線の向く先は、私ではなく――
しかし、確かめる前に、ヒューゴは下を向いて額を押さえてしまう。
彼はそのまま、婚約が決まった理由について、語り始めた。
「――私は、幼い頃から母が虐げられているのを見てきた」
ヒューゴの母は、ファブロ王国の現国王の側室であると聞いた。
国王の正妃ヴァイオレットが昏睡してしまって、世継ぎを望めなかったために、側室を
「父には、私の母以外にも側室が数人いた。しかし、運が良いのか悪いのか、子に恵まれたのは母だけだった。
母が私を身籠ってからは、父は母どころか全ての側室に無関心になった。執務をしていない時は常に、眠ったまま目を覚まさない正妃ヴァイオレットの元に通っていた。
それでも、唯一王の子を身籠った母に対する、他の側室からのやっかみは強い。実際には父とも全く顔を合わせていないし、母は籠の鳥のような不自由な生活をしていて父の寵愛など受けていなかったのだが……母も、私も、他人――特に女性と顔を合わせると嫌がらせをされるばかりだったのだ。物心つく頃には、私は重度の女性不信に陥っていた」
――分かる気がする。
毒による病も終息し、ようやく手に入れた側室という地位……それなのに寵愛を受けることがなければ、唯一子を身籠ったヒューゴの母にも、ヒューゴにも、当たりが強くなるのは避けられないことだったろう。
しかも、ヒューゴたちを率先して守るべきはずの国王が、無関心だったのでは……悲惨な状況だったことは、想像に難くない。
「そして、さらに不幸なことに、私は火の精霊の加護を受けていた。精霊の加護については王国では機密情報だ。
しかし、幼かった私にはその力を上手く制御することが出来なかった。恐怖や嫌な気持ちを感じると、無意識に身を守ろうとしたのだろう――幼かった私の身体からは、小さな火の粉が舞い出てしまっていたのだ」
神子の魔力と感情には、密接な繋がりがある。
幼い子は感情のコントロールなど上手く出来るものではない。
「少し成長して幼児教育を受け始める年齢を迎えても、火の力をコントロールするのは難しかった。幸い大事に至ることはなかったが、将来を憂いた役人が、秘密裏に縁談を用意したのだ。
私は、婚約者が誰なのかは知らされず、婚約が決まったとだけ――相手は、私の炎に対抗する力を持つ者だということだった。私の力もその者の力も機密事項で、双方が成人するまでその素性を明かさないと」
火の精霊の力は、六大精霊の中でも最も攻撃に特化した力だ。
それを抑えるためには、水の力を持つ者を側に置くのが最適である。
ここまで話を聞いてようやく、ヒューゴが「私でなくてはならなかった」と言ったわけを理解した。
王国には、精霊の加護を持つ者は基本的に存在せず、神子や巫女については国家機密になっているのだ。
「だが、いざ婚約を迎える時に、王国や私がどういう状況かは分からない。そのため婚約に関しては、悪評や噂が立たぬよう配慮もした上で白紙に戻すことが出来るよう、逃げ道もしっかり用意されている。だから、君たちの問題が片付けば、この話は無かったことに出来る」
「無条件に破棄できるものなのですか?」
私は驚いて質問した。
王族の婚約話だ、そんなに簡単に白紙に戻しても良いのだろうか?
「正確には無条件ではない。
まず一つ、婚約を破棄する際は、代わりとなる婚約者候補が存在しなくてはならない。
二つ、婚約を白紙に戻した場合、王家が責任を持ってパステル嬢の面倒を見ることになっている。屋敷なり金銭なり使用人の手配なり、パステル嬢の望みを可能な限り叶えるという契約だ」
「それでは、私に対して好待遇すぎるのでは……? 何故そのような契約に?」
「私がこの話のおかげで、既に利益を享受しているからだ。婚約者の存在を理由に、女性を近づけないようにすることが出来る――すなわち、パステル嬢を隠れ
……まあ、婚約者の名も姿も明かせないため、不本意な噂も出たが……私にとっては女性と関わりを持たないことの方が重要だった」
「不本意な噂?」
「そういえば聞いたことがありました、ヒューゴ殿下は男しょ――」
セオが疑問を呈し、私が以前聞いた噂を口にしようとすると、ヒューゴは遮るように大きな咳払いをした。
「言っておくがそんな気は一切ないからな! それから、女性不信もとっくに克服した。でなければアイリス王女の相手など到底していられなかっただろう……それで、話を戻すが」
ヒューゴは、もう一つ咳払いをして感情をおさめ、先程までと同様に、淡々と話し始めた。
「先程も言ったが、この婚約には逃げ道が用意されている。成人した当人同士の同意があれば、婚約は白紙に戻せるのだ。
だが、王族の私がいつまでも婚約発表をしないでいる訳にはいかない。そのため、契約には破棄が可能な期限が設けられている。その期限が、パステル嬢がデビュタントを迎える日だ」
ヒューゴは、セオの正面へと歩いていく。
背の高いヒューゴが、セオを見下ろす形だ。
セオはしっかり、ヒューゴと目を合わせる。
「いいか――それまでに、聖王国のこと、精霊の樹のこと……君たちの問題を解決するんだ。私にはパステル嬢を幸せに導く義務がある。セオ殿、君がパステル嬢と共にいることが出来ないならば、私は契約に従い、パステル嬢を貰い受けるぞ」
ヒューゴが宣戦布告――否、セオに発破をかける。
セオは決然とした表情で、ヒューゴを睨み返したのだった。
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