第130話 「信じる」


 魔女が城に到着したという知らせが入ったのは、私がヒューゴと婚約していたという衝撃の事実を知り、ヒューゴの話に区切りがついたその時だった。

 私はまだ、うまく気持ちの切り替えが出来ないのだが――まごまごしている間に、魔女は普段通り、眠そうな目で応接室へと入ってきた。


「あれ、みんな、何かあったか?」


「……まあ、色々な。君が気にすることではない。それで、魔女殿。手伝ってもらいたいことがあるのだが……」


「手伝い? 何する?」


「これを見てもらえるか」


 ヒューゴは、氷漬けの棺桶を指し示す。

 第七の精霊、大精霊の神子である魔女の力――因果を司る力なら、この棺桶を見れば過去にフローラに何があったのか、分かるだろう。


 魔女は、すぐさま目に淡い光を宿し、じっと棺桶を見た。


「……どうだ」


「うーん……この子、どうあっても、生まれて来られない運命だった。母親、巫女の力の代償で、痛みを感じなかった。それで、母親、この子の異常、気付かなかった。母親の身体、大きく傷ついた。生きてるのが奇跡」


「巫女の力の代償……」


 ソフィアの手紙には、調香の巫女が力を使うと、視覚と聴覚を除いた多くの感覚が代償になると記されていた。

 フローラは、痛覚を感じられない身体になっていたのか。

 そのせいで医師に診てもらうのも遅れ、結果的にこの子もフローラの身体も……。


「ヒューゴ殿下、今更フローラに情けをかけるのかのう?」


「いや、そういう訳ではない。だが、フローラの犯した罪は、未遂に終わったことや証拠が不十分なこと、さらには外国籍ということもあり、王国では強く裁けないのだ。だからこそ、今後魔女殿の身柄を守るためにもしっかり確認しておきたかった」


「……毒の空瓶はキッチンに捨てられておったし、毒をティーポットに入れたのが誰なのかは証明出来ん。本人が実際にやったことは、アイリスからの依頼でパステル嬢ちゃんに薬を嗅がせて昏倒させた傷害と、王城内への不法侵入。精神操作は証言が取りにくく、立証が難しい……確かに、長く拘束を続けるにはちと弱いのう」


 実際にお茶を用意して毒を飲ませようとしたのも、私を誘拐したのも別の使用人だ。フローラは狡猾に動いていたから、正しく裁くのは難しいかもしれない。


 一方、アイリスは私を監禁した罪や毒瓶を盗んだ罪、王城内に魔物や他者を招き入れた罪がある。

 それ以外の件も、フローラと違って直接指示や依頼を出して大々的に動いていたので、そのうち様々な所から証言が取れるだろう。


「フレデリック殿、聖王国内での罪はどのようになる?」


「うーむ。ノエルズ伯爵を拉致監禁したのは本来なら重い罪になるが、問題はフローラが聖王マクシミリアンと懇意にしているという点じゃな。しかもフローラの目的は、自分と聖王の子を蘇らせることじゃった……となればマクシミリアンが特別な裁定を下す可能性もあるのう。なるほど、確かに魔女の安全を確保する必要がありそうじゃな」


 フレッドは、納得したように何度も大きく頷いている。

 ヒューゴは再び魔女に向き直った。


「それで、魔女殿。この赤子はどうやっても救えないということだな。なら、母親の身体を癒すことは出来るだろうか?」


「……治る確率は、低い、思う。仮に治ったとして、また子を成せるかどうか、分からない。それに、子に恵まれたとしても、また同じ。子が流れないとは、限らない。年齢考えても、難しい、思う」


「そうか……承知した。なら、この件は一旦保留して、検討する必要があるな。それからメーア殿、相談したいことがある。一緒に来てくれるか」


「ええ、勿論ですわ」


 優美な笑顔を浮かべて、メーアは頷く。

 ヒューゴは眩しそうに目を細めて微笑み、メーアと共に部屋の出入り口へと向かう。


 護衛を務めるカイも、二人の後をついて行くようだ。

 ノラはカイの肩にぴょん、と飛び乗り、耳元で何かを囁いた。

 カイは驚いてのけぞり、ヒューゴとメーアから少し距離を取って歩き出した。



 三人と一匹が出て行って、部屋には私とセオ、フレッド、魔女の四人が残っている。

 扉が閉まるとすぐに、フレッドは口を開いた。


「じゃあ次はワシの話を聞いてもらってもいいかのう、魔女の嬢ちゃん。疲れてないかい?」


「うん、あたい、大丈夫」


「すまんが魔女の嬢ちゃん。この間の『天空樹』の件じゃが……」


「あたい、分からない、言わなかったか?」


「そうなんじゃが、あとは大精霊本人に聞いてみるしかなくてのう」


 フレッドはそう言うと、困ったように眉を下げる。

 どうやら、私がいない間に魔女と何らかのやり取りをしていたようだ。

 『天空樹』の話――ソフィアが何をしようとしたかを知るために、神子として取れる方法は思いつかないか、聞いてみたのだろう。


「……どちらにせよ大精霊と会うのはこの二人には必要なことじゃから、精霊の元へ案内してやってくれんかのう?」


「大精霊、地下、深い深いところ、住んでる。世界樹の根、通って行ける」


「世界樹の根? 聖王都から行けるのかい?」


「うん、師匠から、そう聞いてる」


 魔女は頷く。


「聖王都……今はちいとまずいのう。最後の色を取り戻した嬢ちゃんを連れてセオが戻ると、マクシミリアンに捕まるかもしれん。地下深いところ……他の場所から穴を掘って行けたりしないのかのう?」


「闇雲に掘っても、大精霊、拒否する。道、繋がらない。でも、大精霊がこの国に繋いだ特別な道、ひとつ知ってる」


「特別な道?」


「大精霊、あたいのために、地底人ドワーフの道、繋いだ。師匠、大精霊のところから、赤子だったあたい、拾った。けど、その道、すごく狭い。普通の人間、通れない」


「地の精霊の力を借りて道を広げることは出来ないかのう?」


「それすると、崩落する。無理」


「そうか……」


 フレッドは、うーんと唸りながら考えている。

 声を発したのは、意外なことに、セオだった。


「お祖父様、大丈夫。聖王都から行くよ」


「いや、しかし、マクシミリアンが……」


「大丈夫。現状、僕たちが命を狙われる心配はない」


「うむ、セオは確かに命を狙われることはないのう。ワシを除けば、世界樹に充分な魔力を流せる唯一の王族じゃからな。感情がまだ戻っていないフリをすれば安全じゃ。じゃが、パステル嬢ちゃんの方は……」


「マクシミリアン陛下が僕とパステルに何を求めてるのか、忘れた?」


「それは、王国を力技で乗っ取るためにアイリスに虹の巫女を継承させ――おお、そうか。今、肝心のアイリスが牢の中じゃったな。タイミングを合わせて、ファブロ王家を通じて上手く交渉すれば……」


「そういうこと。アイリス姉様の身柄が引き渡されるまでは、下手な動きを見せなければ、パステルの命を狙ってくることはない。それに僕が上手く立ち回れば、側でパステルを守ることも可能だと思う」


「……なら、聖王都に戻る前に、この国のごたごたを片付けてしまう必要があるのう」


 フレッドは、心配を呑み込むように首をひと振りすると、席を立った。

 魔女の座っている椅子の前まで歩いて行くと、フレッドはしゃがんで魔女と視線の高さを合わせる。

 魔女は、眠そうな目をこすって、ぱちぱちと瞬きをした。


「魔女の嬢ちゃん。今更じゃが、巻き込んでしまうことになる。本当に良いのかのう?」


「あたい、大丈夫。こないだ『天空樹』の話をした時、言った通り。師匠もあたいも、大精霊、何より大切。大精霊の意思、あたい、従う」


「『調香の巫女』の件も、良いのかのう?」


「それも、大精霊の意思。あたい、従う、当然」


「前にも言ったが、危険かも知れぬぞ?」


「大丈夫。岩のじいじ、しつこい。もっと信用する」


「……じっ……」


 魔女は、しつこすぎるフレッドに少しムッとしたようだ。

 フレッドが心配する気持ちも分かるが、魔女は信用されていないように感じて機嫌を損ねたらしい。


「そうだよ。しつこいよ、じいじ」


「セオまで……!」


「不安だけど、何もしないと『天空樹』の魔力は枯れていくばかりだよ。お母様の用意した方法――それを探せば、きっと何とかなる」


 セオも便乗してフレッドを諭す。

 私の心の中に宿るからも、否定するような気持ちは伝わってこない。

 むしろ、積極的に肯定しているように感じる。


「フレッドさん、信じましょう。魔女さんのことも、ソフィア様のことも。不思議と、何とかなる気がしてるんです」


「……信じる、か」


 そういえばセオ以外の人には、私の心に別の魂が宿っていることを伝えていない。

 だが、私たちの思いが伝わったのか、フレッドの目に、潤いを帯びた光が灯った。


「……そうじゃな。父親が娘を信じてやらずにどうする、じゃな。では、魔女の嬢ちゃん、すまんが色々と頼むぞい」


「うん。あたいに、任せる」


 そうして一言二言フレッドと話を交わし、魔女はフレッドと共に応接室を出て行った。

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