第104話 「この世こそが地獄だ」


 炭化し真っ黒になってしまった室内の中央に立っていたのは、肩を震わせて低くわらっている男性。

 黄金の冠を戴く、その男は――


「父上……?」


 ――ヒューゴの父、ファブロ王国の国王その人だった。

 豪奢なマントに覆われた背中からは、異様なほどに禍々しい気配が溢れ出している。



「――余は、死ねぬのか。この炎は、我が身を焼いてはくれぬのか」


「父上、どうして……」


「刃なら死ねるのか? 否、余の炎は刃をも溶かす。余は、死ねぬのか……」


 ヒューゴは国王に話しかけるも、国王はこちらに背を向けたまま。

 私たちに気付いていない様子で、ぶつぶつと独り呟いている。


「毒杯をあおれば死ねるか? 毒……毒……。ヴァイオレット……愛しき余の毒花よ……何故目覚めぬ?」


 声のトーンが、更に下がる。

 炎とは真逆の冷め切った声に、濃厚な悲哀と絶望が混じってゆく。


「そうか……毒花よ。まだ足りぬのか」


 国王の言葉に、禍々しい魔力に、狂気がじわじわと折り重なっていく。

 カイとフレッドが、身構えた。

 ノラも毛を逆立てて、ふー、と威嚇している。

 セオは、私を支えながら、ゆっくり下がらせてくれる。


「世の全てを、愛しきそなたを苦しめた全てを――」


 ヒューゴは、呆然と立ち尽くしていて、一歩たりとも動かない。

 狂気が、魔力が、満ちていく。


「焼き尽くさねば――戻って来ぬのだな?」


 熱気が、高まっていく。国王の足元から、炎が噴き上がる。


「燃やす……全てを……何もかも、焼き尽くさねばならぬ……」


 ごう、と音を立てて火柱が立ち上がる。

 弾かれたように、ヒューゴが声を張り上げた。


「父上! おやめ下さい!」


「地獄の業火と言うならば、この世こそが地獄だ……全て燃えてしまうがよい……!」


「父上ーーーっっ!!」


 私たちの前に薄い盾のような結界が張られ、間一髪、炎がれていく。カイの魔法だ。


 私の水魔法はもう使えないし、セオの風魔法も燃え盛る炎とは相性が悪い。

 フレッドの地魔法なら炎を防ぐことも出来るかもしれないが、国王を傷つけてしまう可能性が高い上、屋内で使用したら建物が崩れてしまう可能性もあった。


「父上っ! どうすれば届く……っ」


「くそっ! すげえ熱気だ……! 俺の『盾』じゃあ防ぎきれねえ!」


「一旦屋外に退避するんじゃ!」


 結界を張っているカイと、動けずにいるヒューゴを残して、私たちは部屋の外へと退避する。

 カイも一歩ずつ後ろに下がっているが――


「カイ、ヒューゴ! 早く逃げるにゃ!」


 ノラが悲痛な声で叫ぶ。

 カイの魔法が消えかかっている。

 しかし、ヒューゴは動こうとしない。


「ヒューゴ殿下! 逃げて下さい! 俺の力じゃ、もう抑えられねぇっ!!」


「――ダメだ。私がやらねば誰がやるのだ。火の精霊よ、私に力を……!」


 ヒューゴは、自分の父親に両の手のひらを向ける。

 王冠を戴く、我を忘れし人の背に。

 ヒューゴがかざした手に、小さな光が集まってゆく。


「駄目にゃ! それじゃあ国王は止められないにゃ! やるなら炎をぶつけるんじゃなく、炎の制御を乗っ取るんだにゃ!」


「――分かった。やってみる……!」


 ノラの言葉に応じたヒューゴは、狙いを変えて、立ち昇る火柱に向かって手をかざす。

 大きさを増し続けていた火柱は、時が止まったように、広がるのをやめた。

 ゆっくり、少しずつだが、その大きさを減じていく。


「その調子にゃ!」


 魔法を制御するヒューゴの額には、玉のような汗が浮かんでいる。

 だが、その時。


「――余の邪魔をする者は……誰だ?」


 国王が、振り返る。

 ゆっくりと、重いマントがひるがえる。

 その瞳には、一切の光も呑み込む、昏い炎が揺らめいていた。


「父上……もう、やめて下さい……」


 ヒューゴは、首を振って、泣きそうな声で懇願する。

 だが――


「……誰だ。お前も、余をたばかるか」


 国王には、届かなかった。


「父上、私が、貴方の息子がわからぬと……?」


「余には息子などおらぬ、友などおらぬ、家臣などおらぬ。余の元に残るは、忌まわしきこの力と、目覚めぬ毒花だけ……」


 炎が、哀しげに揺らめく。

 しかしそれも一瞬のこと。


「――余の元には、もう何もないのだぁっっ!!」


 再び膨れ上がった炎は、獰猛な獣の姿を取って、ヒューゴに襲いかかった。


「くっ! 制御、出来ないっ……!!」


「た、『盾』が……!! 殿下、逃げ――」


 炎の獣はヒューゴ目がけて牙を剥く。

 カイの『盾』は炎を抑え切ることが出来ず、バリンと音を立てて砕けてしまう。

 それと同時に、カイは、糸が切れたように崩れ落ちてしまった。


 たった一瞬――


 瞬く間に、ヒューゴは炎の獣に呑み込まれてしまったのだった。


「ヒューゴっ!! カイーーーっ!!」


 ノラの悲痛な叫びが辺りに響き渡る。

 炎が、すうっと消えていく。

 炎の消えたその跡には。


 息はあるものの、意識を失い倒れている、王太子ヒューゴとカイの姿。


 そして――


 それを見つめる、闇色の瞳が一対。

 その瞳には、恐怖か、後悔か、はたまた絶望か、先程とは異なる色が浮かんでいた。

 瞳の奥の昏い炎も、禍々しい魔力も、もう消え去っている。


 国王は、ただただ自分の両の手を見つめていた。

 ――自ら傷付けた息子のヒューゴとよく似た、怜悧な表情で。

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