第105話 「どれほどわたくしを煩わせれば」


 気を失ってしまったヒューゴとカイが、医務室に運び込まれていく。


 国王は、二人が運ばれても、侍従に話しかけられても、その場に縫い止められたように、動かない。

 もう力を暴走させることはないだろう。


 その場を国王の侍従とフレッドに任せて、私たちは医務室へと向かった。


 医務室の外では、先に二人と一緒に来ていたノラが、心配そうに座り込んでいる。

 尻尾は力なく床にぺたりと垂れ、首だけ伸ばして医務室の中を覗き込んでいた。


「ノラちゃん?」


「ふみゅう……」


 ノラは私たちの方へ振り返ると、悲しそうに瞳を潤ませ、ひげを震わせる。


「なんで、なんでこんなことになっちゃったにゃ。カイもヒューゴも、ミーを頼りにしてくれてたにゃ。にゃのに、ミーは、何にも出来なかったにゃ……」


「……ノラちゃん……」


「カイのことは、心配ないにゃ。魔法が破られて気を失っただけにゃから、しばらくすれば目を覚ますと思うにゃ。けど、ヒューゴは……ヒューゴのことは、ミーにもわからないにゃ」


「ヒューゴ殿下、危険な状態なの?」


「身体の方は大丈夫にゃ。火の精霊の力では、火の精霊の神子は傷つけられないにゃ。でも、でも――あんな悪意の塊みたいな魔力を直接、浴びてしまったら……ふみゅう、ううう」


 ノラは、その場で丸まって、泣き出してしまったのだった。

 何と言葉をかけたら良いのだろうか。

 私もセオも、俯いて立ち尽くすことしか出来なかった。




 しばらくして、遠くの廊下から急ぎこちらへ向かう靴音が聞こえてきた。


「ちょっと、通しなさいよ。急いでるのよ!」


 侍女を引き連れ、大きな声で騒ぎながら現れたのは――


「ねえ、ちょっと、そこのおじさん。ヒューゴが倒れたって、本当なの!?」


 医務室の近くで警備をしていた騎士に、ものすごい剣幕で迫る、銀髪金眼の女性だった。

 王城に到着した時にこちらを睨み付けていた、鋭い目つきの女性だ。

 その女性――アイリス王女は、騎士にヒューゴの容体を問いただすのに必死で、まだこちらにいる私たちに気付いていないようだった。


「うるさいのが来たにゃ。見つかると面倒だから、ちょっと静かにしてるにゃ」


 ノラはぼそりと呟くと、その身体からぶわりと藍色の霧を生じさせた。

 闇の精霊が九年前、湖の森にかけた認識阻害の魔法と同じもののようだ。

 藍色の霧は、私たち二人と一匹の身体をぴったりと覆う。


「これであっちからはミーたちが見えないはずにゃ。端に寄ってやり過ごしたら、そのままこっそり移動するにゃ」


 私たちはノラに言われた通り、廊下の端に寄った。


「それにしても、どうしてヒューゴは倒れてしまったの? あ、もしかして、あの疫病神が何かしたのね? そうなのね、いいえ、絶対にそうだわ!」


 アイリスは、騎士が何の質問にも答えていないにも関わらず、何かに得心したように一人で頷いている。


「本当にあいつ、セオったら、疫病神だわ。ついに『虹の巫女』を見つけちゃっただけじゃなくて、わたくしを追って王都まで来るなんて!

 しかもわたくしがヒューゴを愛しているからって、彼を排除しようとするなんて、いくら何でも許せないわ。どれほどわたくしを煩わせれば気が済むのかしら!?」


 私は、思わずセオと顔を見合わせた。


 セオがヒューゴを傷付けたとでも思っているのだろうか?

 それに、セオがアイリスを追って王都に来た?


 正直、私にはアイリスの言っていることの半分も理解できなかった。


 アイリスは、意味のわからないことをわめきながら、私たちの前を通り過ぎていく。

 ノラの霧は、しっかり私たちの姿を隠してくれているようだ。

 セオは、ものすごく嫌そうな顔をして、通り過ぎていくアイリスから身体を遠ざけた。


「まあ、ヒューゴ、可哀想に。わたくしがいつも通り側にいて差し上げていれば……。

 うふ、それにしても、寝顔がとっても素敵だわ。少しぐらい触れても――あら嫌だ、冗談よ、医務官さん。わたくしがそんなに、はしたない女に見えるのかしら?」


「……見えるにゃー」


 ぼそりと呟きながら、ノラは廊下を歩き始めた。

 セオも、ノラの後を追う。

 私は何故だか、すごく不安な気持ちになって、セオの腕にそっと指を絡ませて歩き出したのだった。




 私たちはそのまましばらく歩いて、認識阻害を解除した。

 目指す場所は、国王が休んでいる貴賓室である。

 国王の部屋は焼けてしまっているので、来客用の部屋を使うしかない。


「……国王陛下は、落ち着いたかな」


「今のところ魔力の揺らぎも感じないし、きっと平気にゃー」


「火の精霊は……無事かなあ」


「ミーには、にゃんとも……、あっ!?」


「ノラちゃん!?」


 ノラは、突然声を上げると、走り出してしまった。

 私たちも、急いでノラの後を追う。


 ノラが飛び込んでいった部屋は、国王の休む貴賓室だ。


「駄目だにゃー!」


 部屋の中には、腰を抜かして座り込んでいる国王の侍従と、必死に叫ぶノラ。

 そして、その中央では――


「やめるにゃー! 二人とも、落ち着くにゃー!」


 ――国王とフレッドが、高らかな音を響かせながら、剣を抜き斬り結んでいたのだった。

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