第103話 「火の精霊」


 城の中庭で燃えていた焚き火。

 大きく燃え上がったそれを割るようにして現れた、暗闇へと続く穴――その先に、火の神殿がある。


 私は意を決して、ヒューゴとセオの後に続いて、炎の中を通り抜けた。


 火に飛び込んでいくのは少し勇気が必要だったが、存外熱さは感じない。

 暖炉のような優しい暖かさが、頬を撫でてゆくだけである。


「ここが、火の神殿だ。火の精霊はこの奥にいる。……今はどうやら、落ち着いているようだな」


 ヒューゴの声が暗闇から聞こえてくる。

 私が目をこらしていると、ボッ、ボッ、と手前から奥に向かって、音を立てて床に小さな炎が灯っていく。

 それはすぐに連続した点火音に変わり、数秒後には左右を炎に照らされた道が現れていたのだった。


「さあ、行こう」


 相変わらず道の外側には暗闇が広がっているが、炎に照らされた道の内側は、真昼のように明るい。


 しばらく歩くと、炎が円形に広がっている場所に出た。

 私たち三人が炎の真円、その中心部にたどり着くと、周囲の炎が大きく燃え上がる。

 炎は燃え上がったかと思うと、緩やかに一箇所に収束してゆき、収束した炎が、人の形をとっていく。


 そうして現れたのが――


「ヒューゴか。それに、虹の巫女と、空の神子」


「火の精霊、ジン様。しばらくぶりです」


 褐色の肌、いかめしい顔。

 はち切れんばかりに大きな筋肉。

 その髪と衣服は燃え盛る炎。

 頭部からは、ぐるりと巻いた二本のツノが生えている。

 火の精霊ジンは、腕を組んで仁王立ちしていた。


「ここに来た理由は分かっている。記憶だろう」


「はい」


「――無理だ。すまぬ」


 ジンは、いわおの如く動かぬまま、簡潔に答えた。

 私たちは、予想外の返答に動揺する。

 ジンは構わず、低く唸るように言葉を続けた。


「我は現在、半分程度しか力を制御できぬ。記憶を返すためには、繊細な制御が必要だ。さもなくば……記憶を焼き尽くしてしまうかもしれぬ」


「……つまり、父上をどうにか正気に戻さないとならない、と」


「ああ、そうだ。……うっ……」


 突如、ジンは胸に手を当てて苦しげな表情をした。

 だが、それも一瞬のことで、ジンはすぐに何事もなかったように腕を組む。


「――ジン様?」


「……何でもない。今はとにかく、無理だ。すまぬが、一度帰ってくれぬか」


「……承知しました。セオ殿、パステル嬢。一度城に戻るぞ」


 私たちは頷き、心なしか先程よりも揺らいでいる炎の道を辿って、城へと戻る。

 来た時はちょうどいい温度だったのだが、帰り道はじっとりと汗ばむぐらい暑い。

 中庭に出て冷たい空気に触れた時に、心地よく感じたのだった。




 火の神殿を後にした私たちは、見張りのため中庭の外に残っていたカイと合流。

 アイリスに出会うこともなく、四人でそのまま城の客間へと向かった。


 客間の扉を開くと、そこには優雅に座って紅茶をたしなんでいるフレッドの姿があった。

 先程まで一緒にいた青髪の侍女の姿は見当たらないが、代わりにノラがふかふかのクッションの上でくつろいでいる。


「おお、王太子殿下。すみませんのう、手厚くもてなしていただいて」


「いえ、当然のことです。どうですか、ノラとは話せましたか?」


「ええ、お陰様で聖王国とも帝国ともばっちり連絡が取れましたわい」


「それは良かった」


「にゃうーん」


 ノラはひとつ伸びをすると、クッションの上で丸まった。眠たいのだろう。

 フレッドは、続いてこちらに目を向けた。


「それで二人とも、どうじゃった? 六つ目の色は戻ってきたかのう?」


「いや。それが……」


 フレッドに問いかけられて、セオは言い淀んだ。

 ちらとヒューゴの顔を窺っている。

 ヒューゴの父親を何とか正気に戻さないと、火の精霊の持つ『色』は戻って来ないのだ。


「――フレデリック殿。申し訳ありません、お二人の目的を果たすことは出来ませんでした」


「んん? 火の精霊に会えなかったのかのう?」


「いえ。私の父が原因で、火の精霊は――」


 ヒューゴがフレッドに説明をしようとしたその時。


 ドォォオォン!!


 突然大きな揺れに見舞われ、私はバランスを崩した。

 隣にいたセオがすぐに支えてくれるが、まだ揺れは収まらない。

 続けてどこかから、何かが連続して爆ぜるような音と、そして人々の悲鳴と喧騒が聞こえてきたのだった。


「な、何事だ!?」


「俺、見てきます! ここから出ないようにお願いします!」


 部屋の入り口で待機していたカイが素早く扉を開け、周囲を確認して飛び出して行く。

 ソファーに座っていたフレッドも立ち上がって警戒しているし、クッションの上で微睡んでいたノラも、飛び起きて毛を逆立てている。

 セオは、私が再びバランスを崩さないように、そのまま背中に手を回して支えてくれていた。



 外に様子を見に行ったカイは、数分で戻ってきた。

 トラブルの起きた場所は、予想していた以上にすぐ近くだったらしい。


「ヒューゴ殿下、大変です! 国王陛下のお部屋に火が回って……っ」


「何だと、すぐに行く! 皆さんはここに――」


「いえ、私も行きます! 水の魔法でお役に立てると思いますので」


「パステルが行くなら、僕も」


「勿論ミーも行くにゃー」


「なら、ワシも行こうかのう。一人じゃ寂しいしのう」


 そうして私たちは、全員で国王の部屋へと急いだのだった。




 国王の私室は、火の神殿のある中庭のすぐ近くにある。

 近づくほどに、炙るような熱気が肌を灼き、何かが焼けるような嫌な匂いが鼻につく。


 ヒューゴの姿を認めると、小柄な女性の使用人が、狼狽えた様子で近づいてきた。

 部屋のある方向からは、今も小さな爆発音が、断続的に聞こえてきている。


「父上は、無事なのか!?」


「お、王太子殿下! それが、この熱気でなかなか近づけないのです。今、使用人が総出で水を汲みに出ているんですが、中に人がいるのかどうかも不明で……っ」


「くっ……!」


「すみません、失礼しますっ! 私に任せて下さい! 虹よ――」


 私は、一言断ると、ヒューゴと使用人の女性より前に出る。

 胸の前で手を組んで祈りを捧げると、七色の魔力が私の周りに溢れ出す――。


「――水へと、導いて!」


 室内であっても、虹のアーチは問題なく壁をすり抜け、輝く青を帝都へと渡す。

 深海にある神殿で水の精霊に力を借りると、私はすぐに国王の部屋へと続く廊下で、水の魔法を発動させたのだった。



 じゅわ、と音を立てて火が消えて行き、徐々に室温が下がっていく。

 私がセオと顔を見合わせて頷くと、セオは風の魔法を発動して、廊下の先の黒い煙を払っていく。

 私たちは水の魔法と風の魔法を使いながら、廊下の先へと進んでいった。



 ついに私たちは、国王の部屋の目前までたどり着いた。

 もはや絨毯は焼け爛れ、部屋の扉は炭化して形を留めていない。

 中からはまだ火の手が上がっているが、この様子では、生存は絶望的だろう。


 私は、中に人がいないことを祈りつつ、部屋の中に水を放つ。

 しかし、ここで時間切れのようだ。

 最後に大量の水を室内に放つと、水の精霊から借りた力は消えていってしまった。



 セオが風の魔法で、室内の煙を払う。

 なんとかギリギリで、全ての火を消し止めることが出来たようだ。

 セオが大きく手を振るうと、黒い煙は全て、割れた窓から屋外へと出ていった。



 炭化し、真っ黒になってしまった室内。


 その中央に立っていたのは――



 足元は煤にまみれているものの、全く焼けた様子のない、豪奢なマントを羽織っている男性。

 その頭上には黄金の王冠が輝いているが、背を向けていてその表情を窺い知ることは出来ない。

 

「ふ、ふふふ……ふはははは……」


 肩を震わせて、低くわらっているその男は。


「父上……?」


 ――ヒューゴの父、ファブロ王国の国王その人だった。


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