第70話 「手紙」


 コテージの中に戻ると、フレッドは眼鏡をかけ、眉間にしわを寄せながら手紙を読んでいた。

 ロイド子爵家から持ち出した小箱に入っていた手紙である。


 いつも大らかで明るいフレッドだが、今はなんだか少し怒っているようにも、泣きそうにも見えて、私は虚をつかれた。


「……お祖父様、その手紙、何て?」


 セオが椅子を引きながら問いかけると、フレッドはようやく私たちに気が付いたようで、顔を上げた。

 その顔はいつも通りとまではいかないが、暗い感情が表に現れない程度には取り繕っている。


「ああ、セオ、戻ったかい。お前さん宛の手紙もあるぞい。ソフィアからじゃよ」


「母上から?」


 私は、のびのびとした声さえ出しているフレッドを見て、言いようのない寂しさというか、不安というか……もやもやした気持ちを抱いた。

 この優しい偉丈夫いじょうふも、色々なものを抱えているのだ。

 その上で、抱えたものがこぼれてしまわないよう、自分の内側に防波堤を作る……そんな生き方を選んできたのかもしれない。


「ほれ」


 フレッドは、手に持っている便箋びんせんの束から二枚抜き出すと、セオに手渡した。

 そこには、封筒に書かれていた宛名と同じ、流麗な文字が綴られている。


 セオは手紙を読み始め、フレッドも引き続き分厚い便箋をめくっていく。

 私は手持ち無沙汰で、隣に座るセオの横顔を眺めた。


 白く柔らかな肌、長い睫毛に隠された金色の瞳、さらさらとした淡い水色の髪。

 見れば見るほど、自分にはもったいないほど美しい少年だ。

 けれど、美しいのは決して見た目だけじゃない。

 真っ直ぐな優しさを持っていることも、意外と意地悪なところがあることも、その心が私に向いてくれていることも、私はもう知っている。


 ぼんやりとその横顔を見つめていたら、セオは突然、困ったような微笑みを浮かべて振り向いた。


「パステル、どうしたの。そんなに見つめて」


「あっ、ご、ごめん」


 ついつい、見つめすぎてしまった。気に障ってしまっただろうか――困らせるつもりなんて、なかったのに。


 だが、セオは困ったような顔のまま、手紙を私の手元に差し出した。


「パステルも、読んで」


「えっ? でも……」


「ここ、見て」


 セオに促されて手紙の一番上の文章を見る。

 そこには、私の家――ロイド家の名が記されていた。


『愛しのセオドアへ、そしてあなたの隣にいるであろうロイド家のどなたかへ』


 私は目を丸くしてセオの方を見遣る。セオは頷いて先を促す。

 私はセオから手紙を受け取り、手元に視線を落とした。



『愛しのセオドアへ、そしてあなたの隣にいるであろうロイド家のどなたかへ。



 あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないか、動けない状態になっているということでしょう。


 そして、ロイド家のどなたか……おそらくアリサが、あなたに手紙を託してくれたのだと思います。


 今、あなたは何歳になっているかしら。

 手紙を書いている今、あなたはもうすぐ三歳になるところ。

 親バカかもしれないけれど、あなたは素直で明るく、感性豊かな優しい子よ。



 アリサ、元気ですか?

 デイビッド様とは仲良くしているかしら? トマスさんとは仲直りできた?

 パステルちゃんは、赤ちゃんの時から美人さんだったから、きっと可愛らしい子になっていることでしょうね。

 私がいなくなった後も、セオを見守ってくれて、本当にありがとう。



 ところで、フレッドお父様はちゃんと聖王国に戻ったかしら?

 お父様がいなくなって一年が経ち、ジェイコブおじ様が再び聖王の座に返り咲いたわ。


 皆はお父様が亡くなったと言っているけれど、私は信じません。

 老後はスローライフがどうとか言っていたから、きっとどこかでほっつき歩いているのでしょう。

 成人すると共にジェイコブおじ様から王位を引き継いで、三十年近く聖王として頑張ったんですもの、少しは大目に見てあげますけれどね。


 そういう訳ですから、大切なことは全て、お父様宛ての手紙に書きます。

 もしお父様が未だにフラフラしていて捕まらなかったら、その時はセオ、お父様に宛てた手紙を、あなたが全て読んでちょうだいね。



 愛しのセオ、あなたは私の宝物。

 一緒に生きていけなくて、ごめんなさい。

 お母様は、あなたのことだけが心残りです。


 けれど覚えていて。

 お母様は、あなたを心から愛しています。

 いなくなってしまっても、いつでもあなたと、心が繋がっているわ。


 迷った時は、胸に手を当てて、心を探るの。

 胸にあたたかな何かが流れてきたのなら、その繋がりはきっと、あなたにとって大切なものよ。

 私がいなくなったその後も、あなたの胸をあたたかくしてくれる誰かが、そばにいてくれると良いのだけれど。



 最後に、ひとつお願いがあります。


 パステルちゃんは、無事『虹の巫女』を引き継いでいるかしら?

 私は、彼女が生まれた時、虹の祝福を込めて『パステル』という名前を与えました。


 詳しいことはお父様宛の手紙に書くけれど、パステルちゃんが『虹』を引き継いでいたら、聖王国から守ってあげて。

 アリサがいるから大丈夫だとは思うけれど、困っていたら助けてあげるのよ。

 それは、風の力を持ち、何処へでも自由に行ける、あなたにしか出来ないことなの。


 どうかよろしくね。



 セオドア、私とオリヴァーの大切な大切な宝物。


 お母様は夜空に瞬く星のひとつになるけれど、あなたの幸せを、いつまでも願っています。



 あなたの母、ソフィアより』



 手紙を読み終えた私は、いまだに私の手元をじっと眺めているセオに、手紙を返す。

 セオが困ったように微笑んでいた理由が、よくわかった。


「セオ、大丈夫?」


「うん。でも、この気持ち、何だろう……。切なくて、くすぐったくて、あったかくて、嬉しくて悲しい」


「……そっか」


 セオの心の内では、色々な感情がい交ぜになって、少し混乱しているようだった。

 亡くなった母親からの手紙。

 到底、一言で表現できるような感情ではないだろう。


「……母上は、パステルのご両親が亡くなるとは、思ってなかったみたいだね」


「そう、みたいね」


「それに……パステルが『虹』を引き継いでいたら聖王国から守れ、って……」


「うん……」


 ソフィア様は何を知っていて、何を思い、この手紙をしたためたのか。

 その答えは、フレッドの手元にあるのだろう。

 私とセオは、目の前に座って手紙をじっと読み進める、ソフィアの父親を見つめる。

 優しき元聖王は、やはり怒りと悲しみを混ぜ合わせたような色を、その瞳にたたえているのだった。

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