第63話 「大丈夫」


「――それで、お嬢様、セオ様、説明して下さいますね?」


 エドワードたちが屋敷の庭に押し入ったと聞いて、トマスは急ぎ市街地から戻ってきた。


 そして、イザベラから私たちが恋仲のようだと報告を受けたトマスとの、既視感を感じるやり取りが始まったのである。



「イザベラからも聞いていると思うのだけど、私とセオは互いを想い合う仲なの。

 正式に婚約を結ぶために、お義父様たちに手紙を出して、王都に向かおうと思っているわ」


「……お嬢様。先程は謝罪するだけで誤魔化されたように思いますが、セオ様は、本当は護衛ではないのですよね?」


「ええ、ごめんなさい。あの時は事情があって……」


 先程――というか昼間は、私の記憶が失われていたままだった。

 だが、そのことを説明した所で、理解してはもらえないだろう。


 そしてここまで会話していて気付いたことだが、トマスには私が盲目だった記憶はないようだ。


 こうしてうまく整合性が取れているのも、闇の精霊の力だろう。冷静になって考えてみると、隙のない恐ろしい力だ。


「……それに、セオは王国の人ではないの。だから、私はいずれこの国を出ていくことになるわ」


「……はぁ、そうでしょうね。あの男と瓜二つ……」


 トマスは、と同じ言葉を口にした。トマスはセオの父親と知り合いだったのだろうか。


「トマスさん。僕の父上のこと、ご存じだったのですか?」


「ええ。二十年ほど前ですが、一度だけ共に冒険をしたことがあります。……あのメンバーでは唯一の常識人でしたなぁ……」


 トマスは遠い目をしたかと思うと、何か思い出したのか、ぶるりとひとつ身震いをした。


「それはさておき、私は一使用人ですので、余計な詮索は致しません。ですが、御二方のお気持ちは……同じ方を向いていますか」


 トマスは表情を引き締めると、と同じように、心配そうな視線を私たちに向けて問いかけた。


 私は、セオと顔を見合わせて、頷き合う。

 そして、決然とした表情で、しっかりとトマスに向き合った。


「大丈夫よ」


 セオも、横で力強く頷いた。


「……強くなられましたな」


 トマスは、寂しそうな、しかし満足そうな、なんとも言えない表情で微笑んだ。


「それもこれも、きっとセオ様のおかげなのでしょうね。お嬢様を、お願いしますよ」


「……はい。僕が必ず、守ります」


 トマスはセオに頭を下げ、セオは澄んだ声ではっきりと答えを返す。


 頭を上げたトマスのまなじりには、きらりと光るものがあった。



「とにかく、ご当主様に手紙を用意しておきます。今日はもう夜遅いですから、明日の便を手配しておきましょう。

 ――それと、侵入者の件、申し訳ございませんでした。まさか強硬手段に出ようとは。

 奴らも小心者ですから、私が目を光らせている間は何もしてこなかったのですが……セオ様を舐めておられたのでしょうか。

 まあ、実際お強そうには見えませんからね」


「……強そうに見えない、か」


 セオは自嘲的な、悔やむような表情をした。

 のことを思い出して後悔しているのかもしれない。


「……実際、僕は人より力も体力もありません。それでも僕は、命をかけてパステルを守ります」


「セオ……」


「セオ様。力が弱くとも、人にはそれぞれ、自分の戦い方があります。あなたもお父上と同じように、不思議な力をお使いになるのでしょう? ならよろしいじゃありませんか。

 坊ちゃん――お嬢様のお父上も、力は弱かったですが、知識という武器で立派に戦っておられましたよ。

 ただ、セオ様は一つだけ間違っています。お分かりになりますか?」


 セオは、首を横に振る。


「命は、かけなくてよろしい。その気概は大変結構ですが、残された者は生涯囚われてしまうのですよ」


「……! そう、でしたね」


 セオはハッとして、気まずそうに私をちらりと見た。


 セオはまさしく命懸けで私を守って、その結果、私もまた大切なものを代償にセオの命を救おうとした。

 こんなことが何度もあったら、それこそ命が幾つあっても足りなくなる。


 相手のことを考えるなら、自分の身も大切にしなくてはならないのだ。


「二人で、必ず幸せにおなりなさい。私は、もう失いたくありません」


 トマスは、私たちに視線を向けながらも、どこか遠くを見ている。

 その瞳の奥には、深い悲しみが刻まれていた。




 その後、エドワードが言っていた事業についてトマスに話を聞いたのだが、教えてはくれなかった。


 トマスはどうやら最初から全て知っていて、あえて私には詳しいことを話さずにいたらしい。

 エドから私を遠ざけていたのも、私が傷つくからという理由だけではなく、その件について私に悟られないようにするためだったようだ。


 また、義弟の素行についても知っていて、あえて泳がせている――いや、トマスの言葉からすると、むしろ義弟がわざとそのように立ち回っているのではないかと感じられた。


 そして、それも含めて当然手は打ってあるらしい。私が思っていたよりも子爵家の結束は固かったようだ。


 トマスは、お嬢様は心配しなくてよろしい、安心して聖王国にお行きなさい、と背中を押してくれた。


 私だけが蚊帳の外のような気がして少し寂しかったが、それもこれも皆の思いやりなのだ。王都に行ったら義父にそれとなくお礼を言わなくてはと、心に決めた。





 翌朝。



 トマスは約束通り、義父に手紙を送ってくれた。

 王都から手紙が返ってくるまで、数日間の余裕がある。


 私たちは、闇の精霊に会うために湖畔の別荘跡地を訪れていた。

 だが、墓碑に祈りを捧げても、今日は闇の空間が開かない。


「うーん、闇の精霊様、出てこないねぇ」


「そうだね」


「……ねえセオ、このお墓、誰が作ったのかな?」


「うーん……わからないけど、時折手入れもされてるみたい。……誰かが、僕たちの両親を偲んでくれてるんだ。あれから、ずっと」


「そっか……」


 誰なのかはわからないけれど、両親の死を悼んでくれる人がいる。

 もしかしたらその人は、どこか遠くで、あるいはすぐ近くで、私たちのことを今も見守ってくれているのかもしれない。


 私が感慨深く物思いに耽っていると、セオがある部分を指し示しながら、話しかけてきた。


「……パステル。墓碑の後ろの地面、よく見て」


「ん? ……んん?」


 墓碑の後ろの地面は、青々とした草で覆われている。そしてその中に、よく見ると扉のようなものが隠されていた。

 知っている者が見ないと、気が付かないだろう。


「これは?」


「ここは、別荘の跡地、リビングのあった場所。……僕たちの、秘密基地の扉だよ」


「……!」


「父上は森の精霊の加護を授かっていた。きっと、父上の力の残滓が、亡くなった後もずっとこの扉を守ってくれてたんだ」


 セオは、切なそうに墓碑の一つをそっと撫でる。

 オリヴァーと刻まれた冷たい石は、何も語ることはなかった。


「パステル。中……入ってみない?」


「……うん、そうね。開けてみましょう」


 石で出来た蓋のような扉は、とても重い。

 二人がかりでようやく引っ張り上げると、ガコンと大きな音を立てて扉が外れる。扉が落ちないように固定する器具は、完全に壊れてしまっていた。


 私たちは、かつて扉だったものを完全に取り外してから、ゆっくりと下を覗き込む。

 中にあったのは、かつての秘密基地ではなかった。


 ――何も、見えない。


 そこには、に染まる深淵が広がっている。

 私たちは、心の準備を何一つ出来ないまま、藍色の闇に包まれ、過去の世界へといざなわれていったのだった。

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