第61話 「僕の大切な、お姫様」


 今回からパステル視点に戻ります。


********


 私は、ゆっくりと目を開く。

 私の横では、セオが祈りを捧げ終わって、こちらを見つめていた。


 そうして、私にが、戻ってきた。


 私は、心の底から湧き上がってくる喜びで顔をいっぱいにして、セオの瞳を見つめる。

 その美しい金色の瞳は、驚きに見開かれ、すぐに喜びの色に染まってゆく。


「……パステル……目……見えるの?」


「うん……。セオ、私を信じてくれて、ありがとう」


「……良かった……」


 次の瞬間、私はセオのあたたかな腕の中にいた。

 私もゆっくりとその背中に手を回し、抱きしめ返す。


 セオは、小刻みに震えていた。


「パステル、ごめん。本当に、ごめん……」


「……いいの。セオが、こうして生きていてくれるだけで」


 セオが、生きている。

 頬も腫れていないし、血のにおいもしない。

 そして、私の視力も、青と緑と黄色も、歪められていた記憶も、全部戻ってきた。

 何もかも、元通り以上だ。


「……びっくりしたよね。苦しかったよね。けど、セオを助けるには、こうするしかなかったの」


 私がとん、とん、とあやすように背中に触れると、セオの震えも少しずつ落ち着いてくる。


 ――セオを救うために、私はこんな手段しか取れなかった。

 だが、そのせいでセオが晒されたであろう不安を思うと、胸が締め付けられる。


「パステル……、僕、結局パステルを守れなかった。僕が不甲斐ないから……」


 セオの声は小さく揺れていた。

 私は、大丈夫、大丈夫、と伝えるように、背中を優しく叩き続ける。


「ううん。セオは、私が選んだことを、信じて尊重してくれた。だから、闇の精霊様は全て返してくれたのよ。それに、いつも守られてるのは私の方だし」


「パステル……」


 セオは、私を抱きしめる腕を解いた。

 その金色の瞳は、ほんの少しだけ潤んでいて、私を真っ直ぐに映している。


「……たくさん頑張ってくれて、ありがとう。……僕の大切な、お姫様」


 セオは私の頭を撫でながら、優しく呟いた。

 最後の一言は、小さく、しかし愛おしそうに。


 セオは私の前髪をそっと掻き分ける。

 セオの顔が近づいてきて、私は目を閉じた。


 ――額にそっと触れた柔らかな感触は、怪我で発熱していた時とは違う、確かな温度を宿していた。



 セオが離れたのが分かって、私はそっと目を開ける。


 目の前には、予想していたような甘い笑顔……ではなく、どちらかというと悪戯を成功させた子供みたいな、無邪気な笑顔があった。


 ……ん?

 おでこにキス?

 お、ひめ、さま……?


「お、お姫様って……もしかして、あの時のこと、セオ、覚えて……?」


「――なんのこと?」


 セオはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、しれっと聞き返した。

 私の甘い気持ちは、一瞬で羞恥に変わる。


 思わず聞いてしまったが、やっぱり知らない方がいいことかもしれない。

 もう、これ以上は無理だ。顔から火が出てしまう。


「そ、それより、これからどうするの?」


 私は照れを隠すようにセオに尋ねた。

 正直、私の心の中は混乱を極めていて目が回ってしまいそうなぐらいなのだが、努めて真面目な顔を装った。


「……パステル、変な顔」


「へっ!? 変かなぁ!?」


 私がワタワタしていると、セオはくすりと笑った。

 小さく声を上げて笑うのも、初めてのような気がする。

 セオの笑顔に意識が向いたことで、私の混乱も少しだけ収まった。


「とにかく、闇の精霊も、今はまだ僕たちに会うつもりがないみたいだ。少し状況を確かめに行かない?」


「そ、そうだね。私も、どこまでが修正されていて、どこからが現実なのか確かめたいし」


「うん。じゃあまずはお祖父様のコテージに……」


「ええっ!? で、でも、森には木のお化けが」


「まだ明るいから、大丈夫。僕も動けるし、心配ないよ」


「う……わかった」


 正直、化石樹に襲われたのはめちゃめちゃ怖かった。トラウマである。

 けれど、確かにまだ昼間だし、きっと大丈夫なのだろう。


「さあ、手を取って」


 私の感じていた不安は、ぎゅっと繋いだセオの手がもたらしてくれる安心感に、あっさりと取って替わられたのだった。




魔法の傷薬ポーション、棚に入ったままだわ」


「うん。魔法の傷薬ポーションを使わなかった現在に置き換わってるみたいだね」


 セオの傷を癒した青い小瓶は、変わらぬ姿で棚の中に納まっていた。

 当然、ベッドは白く綺麗なままだし、部屋の隅に錆びたナイフも転がっていない。


「あ、そういえば」


 今気がついたが、青い小瓶の横には、消毒用の薬瓶と清潔な布も並んで用意されていた。


「この薬、傷口を消毒してから使わなきゃいけなかったのよ。傷口からの感染は防げないんだって。私、それを知らなくて、セオを大変な目に遭わせちゃって……ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。僕、眠った後のことは覚えてないし、結局パステルに助けてもらったし」


 ……ん? ほとんど?

 じゃあやっぱりあの時、意識あったの……!?


 セオの金色の瞳が悪戯っぽく光り、私の額を人差し指でこつん、と小突く。

 触れられた額から熱が集まってきて、私の顔は一気に火照ってしまった。


「けど、次に使う時は気をつけよう」


 セオは青色の瓶に視線を移してそう言うと、引き出しをゆっくりと戻した。

 私も心を落ち着かせて、なんとか返答をする。


「……っ、次に使う時なんて、来なければいいね」


「そうだね。次は……子爵家に戻る前に、市街地で寄りたい場所があるんだ。パステル、案内してくれる?」


「うん。知ってる場所ならいいんだけど。どこに行くの?」


「それは――」




 フレッドのコテージを出た私たちは、少し寄り道をして、ロイド子爵家に戻ってきた。

 目立たないように光る風のバリアを消して、セオが窓を開けておいた客室に、上空から静かに滑り込む。


 続けて、客室内でセオが魔法の家を展開すると、二人で中を確かめる。

 魔法の家の中には、倉庫内から持ち出したはずの日記や手紙は、収納されていなかった。


「やっぱり、はまだ倉庫に行ってないんだね」


「うん。は、セオはずっと眠っていたし、私も目が見えなくなってたからね。

 ちなみに、セオが護衛だってトマスに説明したのは、前回と変わらずエレナよ。倉庫の鍵もまだ預かってないから、トマスに頼みに行かないと。

 あ、でもその前に、エレナとトマスの認識がどうなってるか確かめないとね」


「……そうだね。けど、そろそろ時間だ。それは後にしよう」


「……うん。……ねえ、セオ、大丈夫よね……?」


「大丈夫。けど、今度は、僕から離れないで」


「うん。約束する」


 私とセオは、どちらからともなく、手を繋ぐ。

 繋いだ右手から、ぽかぽかした温もりを感じながら、私たちは寒空の下へと出ていった。



 セオと出会った、庭のベンチに腰掛ける。

 手は、今も繋いだまま。

 セオは、ずっと何かを思案していたが、おもむろに顔を上げると、静かな声で話し始めた。


「ここで座って話をした時……パステル、言ったよね。自分は守られてるだけで、一人じゃ、何も出来ないって」


「……うん」


「それで、僕、否定しなかった。だって、一人で生きていける人間なんていないって思ったから。

 でも、僕、言葉が足りなくてパステルを傷つけた。……ごめん」


「……ううん。実際、私は守られてばっかりだよ」


「そうじゃない。今回、パステルは僕を助けてくれた。自分を犠牲にしてまでも」


「今回だけだよ。それも、セオが私を信じてくれなかったら、上手くいかなかったもの」


「……今回だけじゃない。僕は、ずっとパステルに助けてもらってる。

 僕の方こそ、一人じゃ何も出来ないんだ。

 パステルやお祖父様や、ラス……みんなが助けてくれて、僕は今、ここにいる」


 セオは、繋いでいない方の手で、私の頬に触れた。

 愛おしむように、金色の目を優しく細め、親指の腹で頬を撫でている。


「パステル、ありがとう。僕は、パステルがいないと、ダメみたい」


「――――!!」


 その言葉に、ずっとドキドキしていた私の胸は、もう壊れるんじゃないかというほどの鼓動を刻み始めたのだった。


「……さ、そろそろだ。戻ろうか。……僕から、絶対に離れないでね」


「……うん」


 セオはそう言ってベンチから立ち上がると、繋いだ手の指を広げて、絡めるように私の手を握る。

 触れ合う面積が増え、距離も少し近くなって、ドキドキが加速する。

 これから恐ろしいことが起きるかもしれないのに、私の心は不安よりも甘い想いで満たされていた。

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