第60話 「それでも僕は」★セオ視点
今回もセオ視点でお送り致します。
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「彼女は、僕の大切な人です。これ以上、彼女を侮辱しないで下さい」
僕は、はっきりと言い放つ。
エドワードの瞳に、醜く歪んだ炎が宿る。
「……はぁ? どこの誰だか知らないが、物好きなやつがいたもんだな。知ってるか? こいつ、こんなに気持ち悪い髪してる上に、目が見えないんだぜ。だからこんな髪でも堂々と生きていけるんだろうなぁ。俺様だったら恥ずかしくて……」
「いい加減にしろ」
何度聞いても、不快な気分だ。
これが『怒り』という感情なのだろうと、僕は薄々気がついている。
「僕は、パステルの髪も目も含めて、パステルの全部が好きだ。あなたに、パステルを侮辱する資格なんてない」
後ろでパステルが、喉の奥で小さく悲鳴を上げて、僕の服の裾をきゅっと引いた。
この後、僕が一言放てば、エドワードは右手でパンチを放ってくる。
僕は密かに身構えて、その言葉を告げた。
「エドワードさん、帰って下さい」
「……あん? なんだよお前。生意気なんだよっ!」
予想通りのタイミングで、予想通りの角度からパンチが飛んでくる。
僕は、エドワードのパンチを右手で受け止めた。
軌道がわかっていれば受け止めることは容易いかと思ったが、それでもエドワードのパンチは体重が乗っていて重く、ビリビリと右手が痺れてくる。
僕は力を振り絞って、エドワードの拳を振り払った。
「……もう一度言います。エドワードさん、帰って下さい」
「……なんでお前なんかが……。くそっ、覚えてろよ。――この家とパステルは、俺様のだ……!」
続けてパンチを放ってくることもなく、エドワードはあの時と同じ台詞を吐いて、足を踏み鳴らしながら玄関へと去って行ったのだった。
僕は密かに息をついて、パステルの方を向く。
パステルは、何だか難しい顔をして、真っ赤になって悩んでいた。
「――はて、護衛とお伺いしておりましたが、来るのが遅かったですな」
トマスさんが、話しかけてくる。
僕は今、パステルやエレナ、トマスさんにとってどういう立ち位置なのだろうか。
「それに、護衛が護衛対象に恋慕の情を抱くとは……あまりいただけませんぞ」
「……申し訳ありません」
「……お嬢様は我々にとって、前当主様ご夫妻が遺された宝物です。いかにお嬢様があなたを信頼していようとも、私自身が信用に値すると判断した者以外には、任せることは出来ません。よく覚えておきなさい」
トマスさんは、
彼が僕を警戒し、見張っていたのは、真実パステルを心配していたからなのかもしれない。
肝心のパステルは、いまだに赤い顔で、「好きとか、恋慕とか、いや、でも」などと呟いている。
……可愛い。
思わず、口角が上がるのがわかる。
僕はパステルに向き直り、正面からぎゅっと抱きしめた。
パステルは、一瞬驚いたように身を固めたが、そろそろと僕の背中に腕を回してくれる。
「……セオ……?」
ためらいがちに見上げるパステルの目は、やはり焦点が合っていない。
しかしその目は若干潤んでいて、僕の言葉を待っているようだった。
——僕は、この表情に、弱い。
「……パステル。僕、パステルのこと、好きだよ。友達なんかじゃない、もっと、もっと大切に思ってる」
好き、というのは僕の本心だ。
もう、ずっと前から、心に
そして、僕がこの感情の意味と名前を理解したのは、ほんの数日前——パステルに求婚した時のことだった。
自分の気持ちを言葉に乗せた時に初めて、この感情に名前がついたのだ。
けれど、僕の感情はまだ、全て元通りに戻ったわけではない。
パステルが信じてくれなくても、仕方がなかった。
僕はこの思考を掻き消すように、パステルを抱く力を、強くした。
「……セオ……」
――今の君は、僕をどう思っているのだろう。
また、僕を受け入れてくれるだろうか。
その後、僕はパステルを湖まで連れ出した。
闇の精霊に会うためだと告げると、パステルは突然頭を抱えて、何かを必死で思い出そうとしていた。
だが、結局思い出せなかったようで、ずっと難しい顔をしている。
それでも、湖に行く必要があることは直感したようで、僕の手をしっかりと取って、空の旅に身を任せてくれた。
僕たちは、かつて別荘があった場所を訪れている。
そこには、形こそ
「セオ……ここは……?」
「僕の両親と、パステルの両親が眠っている場所」
「……お父様、お母様……」
パステルは、焦点の合わない目を閉じ、膝をついて黙祷を始めた。
僕も、墓碑に向き合い、パステルと同じように祈る。
――父上。母上。
僕は、またパステルを守れなかった。辛い思いをさせてしまった。
あの時、僕が油断していたから。
僕に、戦う力がなかったから。
そのせいでパステルは、視力を失って、記憶がねじれて……僕のせいで……。
「――後悔しているのか?」
僕の頭の中に、低くゆったりとした声が響く。
「……はい」
声が、近づいてくる。
「力が、欲しいか?」
僕はゆっくり目を開ける。
辺りは真っ暗で、闇に包まれている。
——パステルの視界も、こんな感じなのだろうか。
僕は、質問に返答しなかった。
「闇の力が、欲しくはないのか? 過去に戻ってやり直せる、一度限りの特別な力。復讐に使うもよし――」
「僕は」
闇の精霊の言葉に重ねるようにして、僕は拒絶の意を示した。
「戻りません。僕が後悔しているのは、今回の過去ではなくて、前回の過去です」
「――ほう?」
闇が、面白そうに
「パステルはあなたの力を使ったのですね? パステルは、対価として沢山のものを失いました。僕が今、ここで生きているのは彼女のおかげなのでしょう」
「まあ、そうだな。それで?」
闇は、徐々に輪郭を取り始める。
「僕があなたの手を取れば、パステルのやったことも、パステルの想いも、踏みにじることになる。
それに、僕は巫女ではない。神子も巫女も不在では、あなたが僕に力を貸すことは、出来ないでしょう?
あなたは僕を試しているだけだ」
「虹の巫女が、生涯盲目でも良いと言うのか? 汝を愛する気持ちを失ったままでも、良いというのか?」
闇は、人の形を成した。深い深い藍色の、人の形を。
「……構いません。パステルの目が見えなくなってしまったのは、冷たいようだけれど、前のパステルが選んだことです。
僕はどんな彼女でも大切にする。
パステルの気持ちが僕に向いていなくても、これから一生向くことがないとしても、恨まれたとしても、それでも僕は彼女を守る」
「くくく」
闇が、再び
「くはははは、なかなか良い余興だった。用意が出来たら、再び我の元を訪れよ。本来の預かり物も、返してやろう」
そして、僕は、光の世界に戻っていった。
僕の隣には、跪き、祈りを捧げているパステル。
パステルは、ゆっくりと目を開けると、僕の方を向いた。
そして、僕と目を合わせ、花が綻ぶように、愛おしげに笑ったのだった。
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