第53話 「いい加減にしろ」


【注意】

 今回から数話、少し暴力的なシーンを含みます。セルフレイティングをかけました。キツい描写はありませんが、苦手な方はご注意下さい。


********


「――エドワードさん。撤回して下さい。彼女は僕の婚約者です」


 エドと私の間に身体を滑り込ませたセオは、片手を広げて私をしっかり隠してくれている。

 私は、セオの行動に驚くと共に、身体がぽかぽかするような、安心感を覚えた。

 だが、それと同時に、セオが何か嫌な目に遭うのではないかという強い不安に苛まれる。


 エドの表情が怒りに染まっていく。エドは、不機嫌さを隠そうともせず、低い声で呪うように言葉を並び立て始めた。


「……はぁ? どこの誰だか知らないが、物好きなやつがいたもんだな。

 知ってるか? こいつ、こんなに気持ち悪い髪してるくせに、色の区別がつかないんだぜ。だからこんな髪でも堂々と生きていけるんだろうなぁ。俺様だったら恥ずかしくて……」


「いい加減にしろ」


 冷たい怒りを孕んだその一言は、静かでありながらもあたりの空気を支配した。

 ピリピリと痛いほどの空気が、普段は優しく儚い彼の背中から、発せられている。

 誰一人として、動けなかった。


「僕は、パステルの髪も目も含めて、パステルの全部が好きだ。あなたに、パステルを侮辱する資格なんてない」


「――!」


 セオの真っ直ぐなその言葉に、私の心がほぐれていくのがわかる。

 セオが、私のために


 驚きと同時に、セオの言葉が耳の奥でリフレインする。

 じわじわと顔が熱くなってきて、私は目の前にある、セオの服の裾をきゅっと引いた。


「エドワードさん、帰って下さい」


「……あん? なんだよお前。生意気なんだよっ!」


 直後。

 ゴスッ、と鈍い音が響き、セオがバランスを崩す。

 ぽたぽたと二、三滴の血液が床に落ちた。

 エドが、セオの顔面を殴ったのだ。


「――っ! やめて……!」


 私は声にならない悲鳴を上げて、エドを制止した。エドの顔は怒りに燃え上がっていて、私は底知れぬ恐怖を感じた。

 だが、私は構わずセオとの間に入り込んで、自分の袖口でセオの口元を拭う。

 口の中が切れて出血しているようだった。


「どうして……どうして……!」


 混乱して取り乱す私を見て、エドは少しだけ溜飲が下がったのだろう。動く気配はなかった。

 一方、セオだけは変わらず冷静だった。殴られて、怒りも逆におさまったようだ。

 セオは私の手を自分の口元からそっと離して立ち上がると、氷のように冷たい声色で、ぴしゃりと言い放った。


「……もう一度言います。エドワードさん、帰って下さい」


「……なんでお前なんかが……。くそっ、覚えてろよ。――……!」


 エドはまるで三流の悪役のような台詞と、良く聞こえないほど小さな呟きを残して、足早に引き返して行った。

 エドの表情には強い怒りと憎しみが滲んでいて、私は背筋が寒くなるような、嫌な予感を感じたのだった。



「パステル……汚しちゃって、ごめん」


 私の方へ振り返ったセオは、私の手を取り、自らの血で汚れてしまった袖口を見て、ぽそりと呟いた。

 殴られた頬が腫れてきていて、痛々しい。


「そんなの、どうでもいいよ! それより、傷の手当を……」


「――はて、とお伺いしておりましたが、派手に殴られたものですな」


 そうだった。

 トマスには、セオが護衛だと説明していたのだった。


「あっ……あ、後で私から説明するから! 今はとにかく治療を……!」


「……承知しました。では、セオ様、こちらへ。エレナはお嬢様のお召し替えを」


「分かってますよ。さ、お嬢様、お部屋へ戻りましょう」


「う、うん……。セオ……ごめんなさい」


「パステルは悪くない。怪我をしたのが、パステルじゃなくて良かった」


「……全然良くないよ」


 私の呟きに、セオは目を細めた。

 口元を動かそうとすると痛むのか、目だけで微笑わらうと、セオはトマスと共に歩き去って行った。




「――ところでお嬢様、セオ様。説明して下さいますね?」


 傷の手当てを終えて、セオを連れてきたトマスは、開口一番そう言った。

 有無を言わせぬ口調に、やましいことがある訳でもないのに、私はついオドオドしてしまう。


「……はい。セオとは、その、まだ正式にではないのですが、結婚の約束をいたしました。お義父様とお義母様に許可を頂こうと思って、ここに帰ってきました」


「使用人に敬語を使わなくてもよろしい。それで? セオ様は護衛ではないのでしょう? どのようなお立場の方で?」


 トマスの目が探るように光っている。鋭い視線が私とセオを交互に見据え、私はますます萎縮してしまう。


「セオは……王国の人じゃないの」


「……はぁ。でしょうね。あの男と瓜二つ……」


「え?」


「……コホン。何でもございません。それで、お嬢様は、この国から出ていくおつもりですか」


「ええ。……ごめんなさい」


 叱咤されるかと思い、私は身を竦めた。だが、トマスの反応は予想外のものだった。


「……お嬢様、セオ様。私は一使用人ですので、余計な詮索は致しません。ですが、御二方のお気持ちは……同じ方を向いていますか」


 私は気遣わしげなトマスの声色に、弾かれるように顔を上げた。

 トマスの表情は、決して一使用人の見せる表情ではなかった。まるで子や孫を慈しみ、憂うかのような寂しげな瞳が、覗いている。

 私は、その問いにどう答えればいいのか迷い……視線を一瞬、彷徨わせてから答えた。


「私は……セオと一緒にいたい」


「……ふむ。セオ様は?」


「……僕には、パステルが必要です」


「なるほど。……セオ様は、合格です。お嬢様は、もう少し考えた方がよろしい」


「……え?」


「ご当主様にお話しされるまでに、きちんと考えておいた方がいいでしょう。お嬢様が、これからどうしたいのか。どうするべきなのか」


 トマスが何を言わんとしているのか、私にはよく理解できなかった。




 その後、しばらくして。


 私とセオは、倉庫の隠し部屋から持ち出した手紙と日記を精査していた。

 手紙は全て母個人に宛てたものだったし、日記も母が書いたもののようだ。

 ちなみに、一緒に持ち出した小箱には鍵がかかっていたので、後回しである。


「お手紙は、ほとんど全部セオのお母様――ソフィア様からのものだわ。これは、私ではなくセオが読むべきね」


「……うん」


 セオは柔らかな表情をしたり、切なげな表情になったり、眉間に力が入ったり、ちょっとずつ表情を変えながら熱心に手紙を読んでいる。

 感情の起伏は、他の人に比べればまだまだ緩やかなものだが、それでも最初の頃の無表情を思い返すと、ここまできたのかと感慨深く思えた。



 日記は、全部で九冊。量が多いのでパラパラと流し読みしながらページを捲っていき、大事そうな所だけ拾っていく。



 最初の一冊は、母アリサが聖王都の学園に入学した日から始まっていた。


 そこから三冊は、母とソフィアの出会い、学園や聖王都での生活、父と母の馴れ初め――これは作り話ではと思うような突飛な内容だった――、駆け落ちを決意したことなど、こと細かに書かれていた。


 四冊目以降は、ロイド子爵家に嫁いでからの記録。


 自らの出自を明かせずに孤立していたこと。

 エレナのおかげでソフィアと手紙のやり取りを続けられ、それが心の支えになっていたこと。

 辛いことがあった時の逃げ場を作るために、夫――私の父が、隠し部屋を用意してくれたこと。

 そして、トマスが表面上は自分を嫌う素振りを見せながらも、使用人たちから陰でこっそり守ってくれていたこと。


 また、私が生まれた時のことも書かれていた。


 出産の時に何らかのトラブルがあったようなのだが、ソフィアとフレッドのおかげで一命を取り留めたらしい。

 二人は、私より半年ほど先に生まれていたセオを連れて、母が静養していた別荘をタイミング良く訪れていたそうだ。


 さらに、過去の記憶で見た通り、私の名を命名してくれたのもソフィアだったことが記されていた。

 私が無事一命を取り留めた日の日記には、震える字で『無事生まれてきてくれてありがとう』と書かれていて、感極まってしまった。


 それ以降は、日記の内容のほとんどが私の成長記録に置き換わっていた。

 私がどれほど愛されていたのか、強く実感できる。

 この辺りの日記は、後で大切に読むと決めて、そっと閉じた。



 九冊目の日記は、途中までで終わっている。


 最後に記された部分は、

『明日から家族で別荘へ。パステルはピクニックを楽しみにしているみたい。

 ソフィアやセオドアくんにも久しぶりに会える。特にセオドアくんは赤ちゃんの時以来。パステルと仲良くなれるといいな』

 という文で締め括られていた。


 おそらく、この翌日から出かけた別荘地で、父と母は命を落とした。

 別荘地に滞在した数日間の出来事が、何らかの鍵を握っている。

 それこそが『色』とともに封印されている記憶なのだろう。



 九冊の日記を一通り流し読みした所で、日が傾き始めていることに気がついた。

 冬の太陽は、ぼんやりしているとあっという間に山の下まで隠れてしまう。


 大きく伸びをして身体をほぐす。

 集中して作業していたので、あちこちの筋肉が凝り固まっている。

 私が首に手を当てて凝りをほぐしていると、セオも手紙の束から顔を上げた。


「パステル、そろそろ休憩する?」


「そうね。ずっと下を向いてたから、身体がカチコチよ」


「そうだね」


 セオも小さく伸びをして、私はくすりと笑みをこぼした。


「少し、庭でもお散歩しよっか」


 セオも頷き、私たちは夕暮れに染まりつつある庭へと向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る