第54話 「私一人じゃ、何も」
【注意】
少し暴力的なシーンを含みます。苦手な方はご注意下さい。
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私とセオは、庭にぽつんと置かれている、木製のベンチに座って休んでいた。
近くにある金木犀の木は、随分前に花を落としてしまったようだ。
花を見るのには間に合わなかったものの、以前は灰色にしか見えなかった葉が、今ははっきりと緑色と認識できる。
ここは、私とセオが出会った場所。
小さい頃に結んだ繋がりを辿って、セオが空から舞い降りた場所。
止まっていた針が、動き出した場所。
いつも一人きりだったこのベンチに、今は、二人並んで座っている。
隣にある横顔をそっと見ると、腫れている頬がすぐそばにあった。
その横顔があまりにも痛々しくて、目を伏せる。
「なんか、今日は色々あったね。……セオ、怪我させてごめん」
「大したこと、ない」
そうは言っても、口元の動き方が少し不自然である。やはり少し動かし辛そうだ。
一人でエドを上手くあしらえなかった自分が、とにかく不甲斐なかった。
トマスは前もって宣言していた通り、市街地に出かけて行ったようだ。
ロイド子爵家は社交シーズンの間は特に人手不足で、時折ではあるが家令のトマスが直接外回りをしなくてはならない場合もある。
「トマスにも、もう少し考えろって言われちゃった。あの時、トマスは何が言いたかったのかな……」
「……パステルが自分で見つけないと」
「……うん、わかってる」
思考がどんどん沈んでいく。
そもそも、これまでの旅だって、セオやフレッドをはじめ、皆の力があったからこそ順調に進んでいた。
セオとの婚約の話だって、そうだ。周りがお膳立てしてくれただけ。
私一人では、何もできない。ただ、与えられているだけなのだ。
「なんか、私……何にも出来ないね。悔しい」
「……そんなこと、ない」
「ううん。私、守られてるだけで……私一人じゃ、何も、出来ない」
「それは、そうかもしれないけど」
「……っ」
セオは、否定しなかった。
私は、勢いよく立ち上がる。セオが正しいはずなのに、頭をガンと殴られたような気分だった。
「……もう、戻ろっか。外にいたら、寒くなってきちゃった」
「うん」
私はセオを待たず、歩き始めた。
セオに会うまでは、私は一人でも生きていけるように努力してきたつもりだった。
けれど、やっぱり私なんて役立たずの、お荷物なのかもしれない。
そんなことを考えていたからか、自宅の敷地内だからと安心しきっていたのか、私は不穏な気配にまったく気が付かなかったのだった。
それは、突然のことだった。
「……っ!?」
気がついた時には、私は後ろから何者かに羽交い締めされていた。
腕を外そうと必死にもがくが、強い力で押さえ込まれていてびくともしない。
ここは屋敷の玄関近くだ。
建物の陰から突如数人の男たちがわらわらと現れ、私はゆっくり後ろを向かされる。
私の目に映ったのは、棒やナイフなどの武器を持った男たちが、セオを取り囲んでいる姿だった。
セオは構えることもなく、冷たい表情を浮かべて悠然とその場に立っている。
「な、何なの? あなたたち、何者!?」
「よおパステル。さっきはよくもコケにしてくれたなあ?」
「……エド……!?」
知っている声がすぐ真後ろから聞こえて、私は吃驚した。
あまり顔を動かすことは出来ないが、視線だけで自分を押さえている太い腕を確認する。
そこには、確かに見覚えのある衣服の袖があった。
私を羽交い締めにしていたのは、あろうことか、エドだったのだ。
「ど、どうしてこんなことするの!?」
「ふん、ソイツが気に入らないからに決まってんだろ。
昔から決まってたんだよ、次のロイド子爵になるのは俺だってな!
引きこもりのお前も駒として役立ってもらうはずだったのによぉ、今更外に出ていかれちゃあ困るんだよ!」
「なっ、なんてこと……!
そんなの、あり得ないわ。子爵家は義弟が継ぐのよ、エドなんかにその地位は脅かせないわ!」
「はっ、どうかな?
引きこもりの哀れなパステルお嬢様は普段の義弟クンを知らないからそう言ってるんだろ?
アイツは、俺の
俺様と一緒で、街ではイイ子にしてるがな、裏ではちょっとヤンチャなこともしてるんだぜ。信じられないだろうけどよ」
「……信じないわよ。あの子、まだ十一歳よ。確かにお義父様に少し反抗する事もあるけど、そんな子じゃないわ!」
「お前の頭ってどんだけお花畑なんだよ。世の中はお前が思ってるより甘くないぜ。
……ああ、そうそう、ごく一部の商家にだけ出回ってるちょっと特殊な道具があってなぁ。
本来は貴族との契約トラブルなんかを防ぐための道具なんだが……何と、その道具を使うと、
ま、信じるか信じないかは勝手だけどよ、おイタが過ぎた義弟クンの記録を領民の前で流せば……どうなるかな?」
「……信じないって、言ってるでしょ……!」
「さて。ここからは例の
エドの声が突然トーンダウンする。
私にだけ聞こえるような声量で、エドはおぞましい内容を口にした。
「……子爵が代替わりした時に、どさくさに紛れてちょっとヤバい事業を押し付けられてて、密かにウチが援助を続けてきたことは知ってるか?
これまでは何とかやってきたようだが、この先は正直厳しい。
まあ、詳しいことは省くけどよ……このまま何もしないでいると、お前の義両親は処分され、義妹は売られる。義弟は俺様の手の内。つまり、現当主一家はこの家から全員消えるな。
で、唯一残るパステルは
だが、今までコネを作ってこなかったお前には、子爵家を持ち直させるだけの力はない。そして、俺様にはその力がある」
エドは一度息をつぎ、更に意地の悪い声で続ける。
後ろでニヤリと笑っているであろうエドの顔が、ありありと幻視された。
「……つまりだ。
お前が今取引に応じなければ子爵家は没落、お前の家族は全員いなくなる。
逆に、すぐにでも取引に応じて俺様を養子か婿に迎えれば、子爵家は俺様の力で持ち直す。
そうすれば、俺様は功績を得て、
――ああ、ただし取引には期限がある。お前の義弟が成人を迎えるまでだ。
それを過ぎれば、子爵家は没落する」
「……はぁ……?」
意味がわからず――いや、理解したくなくて、私の口からは情けない声しか出なかった。
――エドは、それを見越して幼い頃から私を支配しようとしていたの?
エドの酷い言葉を真に受けて、私は、私を部屋の中に押し込めて……。
こんな田舎の、そんなつまらない地位なんかのために、私は……?
「あとはお前か子爵が、養子縁組の書類か婚姻の書類、どちらかに判を押せばチェックメイトなんだよ。
ここまで来て余計な茶々を入れられてたまるか」
後ろでエドがゾワっとするような、嫌な空気を増幅させていく。
エドは、再び声を張った。
「おい、お前ら、やっちまえ。ただし殺すなよ。二度と俺様に逆らおうって気が起きない程度に、遊んでやれ!」
鶴の一声で、セオを取り囲んでいた男たちが一斉にセオとの距離を詰める。
セオは相変わらず、構えもせずに冷たい視線を私の後方へ送っている。
「いやっ! やめてっっ!!」
「お前は俺様に逆らえない。俺様に目を付けられた時点で、もう誰も俺様からは逃げられないのさ」
「いやぁぁぁぁあ!!」
その時。一瞬、辺りが眩しい光に包まれた。
光が収まると、セオの姿がその場から消えていた。
セオに襲い掛かろうとしていた男たちの目が眩んでいる隙に、セオは空へと逃げたようだ。
光が眩しかったのか、元から油断していたのか、エドが私を拘束する手も緩んでいる。
私はその隙をついて、思いっきり後ろに向かって頭突きを繰り出した。
「~~~っ! いったぁーい!」
頭突きによってエドの身体は離れたものの、頭突きの反動は、想像していたよりずっと痛かった。エドは顎を押さえて、もんどり打っている。
私は涙目になりながらも急いで方向転換し、玄関扉の方へと向かった。
だが、玄関横の柱の陰にもう一人刺客が潜んでいたことに、私は全く気付かず――
ドスッ!
鈍い音が私の耳に届いたのと、誰かが私を包み込むように抱きしめたのは、ほとんど同時だった。
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