第52話 「彼女は僕の」
倉庫にあった隠し部屋の確認を終えた私たちの耳に、男性二人の言い争う声が届いた。
二人のいる場所は、この部屋から少し離れた廊下のようだ。一人はトマス、もう一人はトマスが応対すると言っていた来訪者だろう。
倉庫の扉を細く開けると、その声はよりはっきりと聞こえてくる。
「だからトマス、お前じゃ話にならないって言ってんだろ。パステルはどこだよ」
「あなた様をお嬢様に会わせる訳には参りません。お引き取り下さい」
「なんでだよ。今年から俺様が家長なんだから、当主代理のパステルに挨拶するのは当たり前じゃないのか?」
「お嬢様は体調を崩しておいでです。当主がお戻りになりましたら、直接当主にご挨拶いただきたく存じます」
「そんなに何年も体調が悪くてたまるか。それに俺、知ってるぞ? あいつ、庭を時々散歩してるよなぁ。本当は体調なんて悪くないんだろ?」
「あなた様はいつも当家の敷地を覗いておられるのですか? なんと破廉恥な」
「おいおい、その言い方はねえなぁ、トマスさんよ。子爵領で一番税金を納めてる商家の長に向かってよぉ」
……はぁぁぁ……。
私は、深く深くため息をついた。エレナも「困りましたねぇ」というように肩を竦めている。
「……パステル、誰?」
セオが小声で尋ねてくる。不審が声色に滲み出ている。
「……エドワード。この領で一番大きな商家の、ドラ息子よ。子爵家として、あまり無下にも出来なくてね。……エドは私より少し年上のはずなんだけど、精神年齢はずっと幼いままね」
「今まではエドワード様のお父上が家長であり、各商家を取りまとめる商会長も兼任しておいででした。ですが、今年に入って病床に臥せってしまわれたのです。
商会長の椅子はエドワード様のお兄様、家業の方はエドワード様に譲られました。エドワード様は、仕事はそこそこお出来になるのですが、性格の方があの通りでして。
昔から近所の悪ガ……おっと失礼、やんちゃなご友人たちと仲が良くて、ガキ大しょ……ゴホン、ご友人の中でもリーダーを務め上げておいででした」
エレナが補足してくれた通り、エドは乱暴者で、昔から苦手だった。会うたびに私のことを『虹色お化け、気持ち悪ぃ』と
その度にトマスやエレナが守ってくれたが、どこから聞きつけたのか、幼い義弟や義妹までエドの真似をして、私を『虹色お化け』と呼ぶようになってしまった。
義弟と義妹は流石に義父母に怒られて、あからさまには言わなくなった。だが、義父母が見ておらず、機嫌が悪い時はすぐその呼び名で私を傷付けようとしたものだ。
その不名誉な呼び名は領内の子供たちの間で広まってしまい、街に出てエドの
「エドは、相変わらずお子ちゃまのままなのね。それで家長なんて、大丈夫なのかしら」
「あの人は、どうしてパステルに会おうとしてるの?」
「……どうしてかしらね」
エドが私に会おうとする理由は、領地の金銭問題に関わってくる話だ。とてもじゃないが、セオに話せるような内容ではない。
私は誤魔化して、再び深くため息をついた。
私たちがひそひそと話していると、廊下から聞こえる声が徐々に大きくなってくる。
「おーい、虹色お化け! いるんだろー? また引きこもってんのかー?」
「おやめください、エドワード様。お兄様とお父様に言いつけますよ」
「脅しのつもりか? 兄貴も親父も、何にも出来ねぇよ! おぉーい!」
いい加減、うんざりしてきた。私が出て行って一言二言我慢して聞き流せば、エドは満足して帰るだろう。
普段ならエドが帰るまで絶対に出て行かないが、今日はセオがいる。あまりみっともない話を聞かせたくない。
緊張と恐怖で指先が冷えてゆくが、私はそれを努めて無視し、セオとエレナに笑いかける。
「はぁ……ごめんね、セオ。ちょっと片付けてくるね」
二人が引き留める声がするが、私は無言で廊下に出て、倉庫の扉を後ろ手に閉めた。
「ご機嫌よう、エド。相変わらず賑やかね」
「お、お嬢様? 何故こちらに?」
「おぉ、やっぱり元気そうじゃねえか、パステル」
トマスが焦燥を浮かべるのと対照的に、エドは勝ち誇ったような昏い愉悦を湛えている。
セオとは真逆で、エドは常に表情が濃い。この地域では珍しく、髪も瞳も漆黒。顎は短い首に埋まっている。
私の倍ぐらいある横幅に、ゴテゴテと身につけた趣味の悪いアクセサリー。手触りの良さそうな上等な生地の上掛けも、正直全く似合っていない。
金持ちの商家に生まれなかったら、そしてもっと珍しい虹色の髪の令嬢が近くにいなかったら、エドの方がいじめの対象になっていたかもしれない。
「大丈夫よ、トマス。お仕事の話は済んだのよね? なら、ご滞在中のお客様に迷惑だから、早くお帰りいただきましょう」
「ええ、そうでございますね。エドワード様、これ以上騒がれるのであれば、お引き取り願います」
「ふん、この領内に俺様より大切な客がいるのか? どっから来た誰だよ?」
「それは……言えないわ」
「じゃあ、俺様も帰らない。なあ、パステル。今日こそいい返事を貰うぜ。取引が成立するまでここに居座ってやる」
「嫌よ。あなたと取引なんてしない。あなたの家にはお世話になっているけど、私も義父も絶対にその取引には応じないわ」
「ふん。いつまで持つかな? お前より、案外当主の方が折れたりしてな。どうせお前みたいな『虹色お化け』は、社交界デビューしたところで売れ残るだろうしな。このままじゃあ物好きな貴族か奴隷商人にでも売られるのが関の山だぜ」
ぶるぶると、身体が震えだす。私は、手をぎゅうっと握り込む。爪が食い込んでいく。
声だけは震えないように、お腹に力を入れて、なんとか取り繕う。
「……おあいにく様。私にだって、
「はぁ!? 嘘だろ!? 笑えない冗談だぜ。引きこもりのお前なんかに貰い手がつくもんか。もし万が一、億が一そうだったとしても、騙されてるに決まってる。金目当てとか、身体目当てとか、ろくな奴じゃないだろ、どうせ」
「……っ、私は、
「あぁ、そうか。やっぱり騙されてんだな。それとも、あれか? 妄想の中の王子様に告白でもされたってか? お前ってば引きこもりだもんな、想像力がたくまし――」
怒りと羞恥のあまり、顔が徐々に熱くなっていく。握り込んでいた指先は、じんじんと痺れてしまっている。
その時、後ろから現れた人物に、そっと肩を引かれた。その優しい力に抗えず、私が一歩下がると、エドとの間に隙間が出来る。
エドの言葉は遮られ、その目は驚きに見開かれた。
「――エドワードさん。撤回して下さい。彼女は僕の婚約者です」
私とエドの間に出来た隙間に身体をすっと割り込ませ、冷え切った声色で、セオはそう告げたのだった。
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