第18話 「緑色が、戻ってきた」◆
***
白い太陽、白い雲。
灰色の空を飛んでゆく、黒い鳥。
『私』は伸びをして、身体を起こす。灰色の花が咲き誇る、緑色の野原に、『私』はいた。
一人ではない。
隣には、気持ちよさそうに寝息を立てている、可愛らしい男の子がいる。
『私』は、その子を起こさないように、すぐ近くにある灰色の花を手折る。
小さい手で緑色の蔓を編む。
ゆっくりと、不恰好な花冠が、出来上がってゆく。
ザザッ。
場面が切り替わる。
目の前には、母親らしき人物の陰に隠れている、絶世の美少年が見える。
『私』と同じ年頃のようだ。
母親のスカートを掴んで、恥ずかしそうに顔だけちょこん、と出している。
どうやら、先程『私』が寝そべっていた野原に行くよりも前の記憶のようだ。
『私』は実の母親と手を繋いで、その男の子に自己紹介をしていた。
残念ながら、『私』の視点を借りている私には、自分の母親の顔も、相手の母親の顔も見えない。
「私はパステル。あなたのお名前は?」
『私』は、男の子に名を尋ねた。
男の子は、恥ずかしそうに、消え入りそうな小さな声で名乗った。
「……セオドア」
「ん? よく聞こえなかった。セオ……なに?」
「…………」
男の子は、再び母親の背中に隠れてしまった。
ザザッ。
再び場面が切り替わる。
最後に見えたのは、ぐにゃぐにゃに歪んだ景色。
『私』は、深い森を貫く小さな街道を、馬車で移動している。
道も空も森の木々も、全てが灰色だ。
理由もわからず、涙だけが止めどなく流れている。
四人程度なら余裕で座れる広い馬車だが、乗客は二人だけ。
隣に座っている女性がずっと背中をさすってくれているようだが、『私』はただぼんやりと虚空を見ている。
『私』は、どうしてここにいるのかも、隣に座る女性が誰なのかも、分からなかった。
――ただ、膝に乗っている、綺麗に整えられた花冠だけは、何故か大切にしなくてはならないような気がするのだった。
***
「……パステル?」
「……セオ……? 私……」
セオの言葉で我に返る。一瞬、意識が飛んでいたらしい。
……何だろう、目の奥がちかちかする。眩しい。
「大丈夫?」
「うん。少し、眩しくて……」
私は目を細めて、辺りを見回す。
この部屋はさっきまでと全く変わった様子がないが、ラスだけが消えている。
「セオ、ラスさんは?」
「わからない。少し目を閉じた隙に、いつの間にか居なくなってた」
「そっか……」
「それより、パステル。眼はどう?」
「あ……そういえば……!」
私には、緑色だけ、見えるようになっていた。
ラスの座っていた玉座。
神殿のあちこちに散りばめられたモチーフ。
セオの服にあしらわれた、不思議な模様の刺繍も緑色だ。
そして、どれも緑色ではあるのだが、微妙に異なる色合いをしている。
私にはどれがどれなのかは分からないが、書物で見た『エメラルドグリーン』とか『うぐいす色』とか、そういう色の違いがあるのかもしれない。
不思議なことに、緑に分類される色は分かるものの、他の色はモノクロのままだった。
「緑色が、分かる……! だから眩しいのね!」
私の声は、興奮してうわずっている。
「……すごい……」
なんて鮮やかなんだろう。
緑色だ……深い緑、淡い緑、明るい緑、くすんだ緑。
どれもこれも、全て美しい。全てが愛おしい。
「セオ、見える! 見えるよ! 緑色が、戻ってきた……!」
幼い頃から渇望していた、色のある世界。
私の胸の内から、歓びが湧き上がってくる。
セオは胸に手を当ててこちらをじっと見つめていたが、私が話しかけると、目を細めて頷いた。
「そういえば、セオは? 何か変化あった?」
「……まだ、わからない」
「……そっか」
ラスも、セオの感情が戻るのは『推測』だと言っていた。
やはり気長に待つしかないのかもしれない。
「でも、パステルの眼、色が戻って良かった。……どう?」
「ふふ、まだ少し違和感があるけど……、すごく、すごく、嬉しい」
セオの髪も瞳も、まだ薄灰色である。
本当の色は、どんな色なのだろう。早く見てみたい。
このまま全ての精霊に会うことができたら、私の眼は元通りに……普通に戻るのだろうか。
思い出した記憶も曖昧で、まだ辛いだとか心が痛むだとか、そういうのはない。
「そうだ、セオ……! 私、思い出したの! 私、本当に、子供の頃セオに会ってたんだね!」
あの野原で一緒に横になっていた男の子も、母親の後ろに隠れていたシャイな男の子も、間違いなくセオだ。
今より幼かったが、その顔立ちはほとんど変わっていない。
無垢な可愛らしい寝顔を思い出して、私は頬が緩んでしまった。
「パステル、嬉しそう」
「うん、嬉しい! 思い出せて、良かった」
頬がどんどん緩むのを止められない。
私がそう言うと、セオは頷き、目を細め。
そして――笑った。
以前よりも、確かに。はっきりと。
口元が、緩く弧を描いている。
「……セオの笑顔、好きだな」
私は、思わずそんな事を口にしていた。
セオは元から信じられないぐらい美しいが、その微笑みはまさに天からの贈り物のようである。
「……パステルが嬉しそうなのを見て、心があったかくなって、そしたら自然に……笑ってた」
セオは微笑んだまま、そんな言葉を返してくれた。
私は、内心、物凄く驚いていた。
笑ったことを、セオは自覚したのだ。
やはり、セオに感情が戻ってきているのかもしれない。
私は、嬉しさが限界を超えて、目元が潤んできてしまった。
セオはそれを見て、穏やかな微笑みを消してしまった。
「パステル、どうして泣くの? 嫌だった?」
「違う、違うの……。嬉しくて、涙が出てきちゃったの……」
「……嬉しくても、泣くの? やっぱり、難しい」
セオは、考え込んでしまった。
けれど、私は本当に嬉しくて、笑いながら少しだけ泣いたのだった。
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