第16話 「よく来たね」



 私はセオと共に崖山クリフ・マウンテンの麓を訪れていた。


 崖山クリフ・マウンテンは切り立った崖に阻まれていて、普通の人間には登ることが出来ない。

 なんせ、この山は一万メートル級の山であり、道中のほとんど全てが崖になっているのだ。


 休む場所もないし、空気もきっと薄いなんてもんじゃない。

 装備をどれだけ整えたとしても、普通に登るようなことは不可能である。

 急勾配を通り越してほぼ直角にそびえている崖を見ていると、目眩がしそうだ。



「風の神殿の近くには、地上で暮らせなくなった妖精たちや魔物たちも住んでる。避けて通らないといけないから、ここからは少し揺れるかも」


「わかった。襲ってきたりはしないの?」


「巣の近くに行ったり、驚かせたりしなければ大丈夫。……ただ、鷲獅子グリフォンだけは、ちょっと危険。見つからないように祈るしかない」


「そ、そうなんだ」


「普段は巣穴にいて、外を飛んでるのはまれ。もし見つかっても、全力で風の神殿に逃げ込む。心配しないで」


「わかった。セオを信じるよ」


 私がそう言った瞬間、セオは目を丸くして息を呑んだ。

 だが、それも一瞬のことで、次の瞬間にはセオはいつもの表情に戻っていた。


 私は、気のせいだったかと思い直して、セオの手を取る。




 風の神殿までの道のり――とは言っても、『道』はないのだが――は、思っていたよりも穏やかだった。

 途中で進行方向を変える時にはセオが声を掛けてくれるし、ゆるやかに進路を変更してくれるので、恐怖や不快感は感じない。


 前にラスと飛んだ時、暗黒龍ダークドラゴンに追いかけられたらしいのだが、その時のようにガタガタと揺れることもなかった。

 繋いだ手はしっかり握られていて、安心感がある。


 そして、懸念していた鷲獅子グリフォンにも遭遇せず、私たちは無事崖山クリフ・マウンテンの頂上に到着したのだった。



「これが、風の神殿……」


 その神殿は、予想と異なり、無骨で堅牢な建物であった。


 私は最初、風の精霊の住処なのだから、柱が細く風が通り抜けるような建物を想像していた。

 だが、実際の風の神殿は、まるで大きな岩石をくり抜いたかのような、荒々しい造りになっている。


 それでも風を通すためだろうか、出入口には扉もなく、数カ所ある小さな正方形の窓にもガラスは入っていない。


「思ってたより、なんていうか……いかめしいね」


「お祖父様が建て直す前は、もっと違ったらしいけど」


「た、建て直した? それはどういう……」


「ラスが、以前寝ぼけてうっかり神殿を壊したらしい。それでラスがふてくされて引きこもって、風が吹かなくなった事があった。お祖父様は、まだ幼かった『空の神子みこ』の僕に代わってここに来て、土魔法で神殿を建て直した」


「そ、そうなんだ……。それで、ラスさんはフレッドさんに恩があるのね……」


 セオは頷いた。

 ラスは寝起きが悪いのか……精霊にも人間と同じように、個性があるのかもしれない。


 そしてフレッドは、風の魔法なしでここまで登ってきて、この神殿を建てたということだろうか。

 もしそれが事実なら、フレッドもやはり只人ではない。


「さあ、行こう、パステル」


「うん」


 私たちは神殿の入り口へと歩みを進める。


 ここはかなり標高が高いはずなのに、空気は薄くない。

 逆に、濃密で澄んだ空気が満ちている。

 風の精霊であるラスのお陰なのだろう。



 岩で出来た頑丈な建物の中は、やはり無駄のない無骨な造りになっていた。

 照明もないのだが、ところどころ天井が抜けている箇所があるので、暗く感じない。

 もしかしたら、夜でも月や星が近いから明るいのかもしれない。


 時折、ぼんやりした何か……小さな雲のような、霧のようなものがふわふわと浮かんで、移動していく。

 白いもの、灰色のもの、薄いもの、濃いもの……実際の雲のミニチュアであるかのように、様々な濃淡や形があった。


「わぁ……セオ、あれは何?」


「妖精、モック。実体がないから、存在するけど触れない」


「へぇ、不思議ね」


「でも、身体の中を通り抜けないように気をつけて。特に黒っぽいやつは気性が荒い。驚かせると小さい雷や水を出すことがある」


「そうなんだ。わかった」


「お祖父様は、身体が大きいから何度もうっかりすり抜けちゃって、大変な目に遭ったって言ってた」


「ふふふ、なんか想像できる」



 そうこうしていると、あっという間に目的地に到着したようだ。

 天井のない、大きな部屋である。

 部屋の中央が一段高くなっていて、そこには無骨な建物とは相反する、繊細な意匠の施された大きな椅子が一脚、置かれていた。


 その素材は、建物に使われている岩や土のような物とは、明らかに異なっている。

 金属でも、木でも、布でもない……私の知識にはない素材だ。

 背もたれだけで、三メートル近くあるだろうか。

 蝶のような羽の付いた人型の妖精や、半鳥半獣の魔物、長い身体と二本の角を持つドラゴンなど、空に棲む者たちを描いた細工が施されている。



 その大きな椅子には、風の精霊であるラスが、ぽつんと座っていた。

 ラスは以前と全く同じ子供の姿で、以前と全く異なるオーラを放っている。

 私は、自然と膝をつき、こうべを垂れていた。


 ——目の前にいるのは王である。


 本能的に、そう感じさせる力だ。

 今のラスは、抑えようともせず、威圧感を解き放っている。



「楽にしていいよ。よく来たね」


 隣で同じように膝をついていたセオが、頭を上げ、立ち上がった。

 私も顔を上げると、セオが手を差し出して、立ち上がらせてくれる。


「風の精霊、アエーラス様。本日は、約束の条件を満たしましたので、お伺い致しました」


「セオ、いつも通りでいいよ。パステルもね。ボクは堅苦しいのが好きじゃない。自由でなくちゃ楽しくないでしょ?」


「……じゃあ、お言葉に甘えて。ラス、パステルを連れてきたけど」


「うん、見ればわかる」


 ラスは、悪戯っぽく口端を上げ、頬杖をついたまま笑う。

 話が全く見えないので様子見をしていた私に、二人の視線が集まり、少し気後れしてしまう。


「ボクの予想通り、自分から来てくれたね。セオと一緒に」


「は、はい」


「セオと約束してたんだ。パステルが、自分からセオを助けたいって気持ちになったら、二人でここに来いって」


「そうだったのですか……」


「それで、ラスが知ってる『真実』って、何?」


「えー、いきなりそれ聞くぅ? こういうのってさあ、順を追って明らかになるのが楽しいんじゃないのー?」


 セオの単刀直入な質問に、ラスは大袈裟に肩をすくめた。


「……約束守ったら、『真実』を教えてくれるって……」


「まーそりゃあ教えるけど。その前に、さ」


 ラスは私の方へと視線を移す。

 その瞳が、さらに悪戯な光を帯びる。


「——パステル。痛みと引き換えに、君の眼に『色』を戻すことが出来るって言ったら——どう思う?」

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