第一章 緑
第8話 「風まかせ」
〜第一章 緑〜
考え事にふけっていた私の前には、いつの間にか、私よりいくつか年下と思われる子供が立っていた。
少し色の濃い髪を二つ結びにして、ダボっとしたシャツに短パン、革のブーツを履いている。
ボーイッシュないでたちだが、くりくりした猫目で、可愛らしい顔立ちの女の子だ。
「あ、ごめん、びっくりしたぁ? ボクは、ラス。よろしくねぇ」
「わ、私は……」
「知ってるよ、虹のお姉さん。ボクもセオみたいに、パステルって呼んでいい?」
「え……? は、はい、大丈夫です」
なぜ、私の名を知っているのだろう。
セオのことも知っているのだろうか。
それに、いつの間に、どうやってここに来たのか。
ラスと名乗った子供は、見た感じは普通の子供のように見える。
だが、何と言えばいいか……とにかく、普通ではないオーラを放っている。
私は、恐る恐る質問を投げかけた。
「あ、あの、ラスさんは、いつの間に……どうやってここに?」
「やだなぁ、セオに出来て、ボクに出来ない訳ないじゃない」
「えっと……」
「色々聞きたいことがあるのは分かるんだけどさ、ちょーっと急ぐんだよね」
ラスは、口をつんと尖らせた。
これ以上の質問は許してくれないらしい。
「あのさぁ、君のお友達のセオ、今少し困ったことになってるみたいなんだ。ボク、今からセオの所に行くけど、パステルも一緒に行く?」
「セオが……!? 行きます!」
ラスの質問に、私は、考える間もなく首を縦に振る。
「へえ、即答だね。ボクのこと、そんなに簡単に信用していいわけ?」
「えっと――」
「まあ、いいか。行かないって言われても無理矢理連れてくし。パステルの理解が早くて助かるよ」
ラスはそう言って、ウインクを飛ばした。
かと思うと、ラスは急に私の腕をつかんだ。
なんだか、嵐のような子供である。
「じゃあ行こっか」
ラスがそう言った瞬間に、ぶわりと強い風が巻き起こった。
びゅうびゅうと音を立てて吹く風に、木立が揺れている。
「あっ、あのっ、セオはどこに?」
「えー、それ聞くぅ? 着いてからのお楽しみにしよーよ?」
「は、はぁ……」
「行き先はぁ、風まかせ〜っ♪ さて行っくぞぉ〜♪」
ラスは楽しそうに歌いながら、私もろとも宙に浮いた。
セオの時と同じように、私達は光に包まれる。
セオの魔法よりも眩しく、濃い色の光だ……これが何色なのかは判別出来ないが。
「ところでパステルさぁ、君の嫌いな『外の世界』へ行くけど、抵抗ないわけ?」
「あ……そういえば……」
ラスは宙に浮かんだまま私に聞いた。
横目で、私を探るように見ている。
私達の周りは眩しい光に覆われていて、今自分がどこにいて、どういう状態なのかも見えない。
音も完全に遮断されていて、ラスの声と自分の声が響くだけだ。
「セオが困っているって聞いたら、いても立ってもいられなくて……。考えていませんでした」
「へぇー。正直言うと、パステルが来るか来ないかは半々かなって思ってたんだ。まぁ、ボクとしては、君を気絶させないで済んで良かったけどね」
「きっ、気絶!?」
「あーあー、害意は全くないからそんなに怯えないでよ、めんどくさいな」
「あっ、あの……あなたは……」
「ん? ボクが何者かって? それはダメダメ、タブーだよ。今明かしちゃったら面白くないじゃん?」
「そ、そうですか」
ちょっと怖いけれど、本人が言ったように、私を害する気はないらしい。
そのうちラスが何者なのか、分かる時が来るだろうか。
「さて、そろそろ着くよ。んー、先に言っとくけど、普通の御令嬢にはすこーし怖い場所かもしれない。心構えしといてね」
「……は、はい」
何だろう、心構え……このラスが怖いと言うのだから、どれだけ恐ろしいことが待っているやら。
私は、セオのため、セオのため、と心の中で繰り返す。
すると、少しだけ勇気が湧いてきた。
そうしていると、辺りを覆う光が一層強くなり――少しして、パッと消えた。
徐々に周りの景色が見えてくる。
どうやら、石のような煉瓦のような、硬質な素材で周りを囲まれているらしい――古い塔とか、砦のようだ。
まだまだ地面まで距離があるようだが、ラスと私はゆっくりと降下していく。
降下するにつれて、陽の光は届かなくなってゆき、視界が徐々に悪くなっていった。
ふわりと着地すると、ラスは私の腕を離した。
何だか、薬品のようなツンとする匂いが漂っている。
ただでさえ不安なのに、この視界の悪さと匂いが、恐怖を掻き立ててくる。
「ここは……?」
「長居は出来ない。サクッと行くよ」
その瞬間、ゴゴゴ、という石がずれるような、低く重い音が辺りに響く。ラスが扉を開いたようだ。
ここは普通に歩くにはあまりにも暗くて、私にはもう、ほとんど何も見えない。
「あの、ラスさん、見えないです」
「あ、そっか。パステルには暗いね。でも、見つかると面倒だから、明かりはつけられないな……じゃあパステル、ボクに掴まってて」
「はい……。ごめんなさい、私の眼がこんなだから」
「……ねえパステル。その眼……」
ラスは、何か言おうとしたようだが、途中で言葉が途切れた。
「……いや、何でもない。さあ、ボクに掴まって。ほら」
ラスの声を頼りに、手を伸ばす。
私がラスの左腕に掴まると、ラスはゆっくりと歩き出した。
私が
「言うの忘れてたけど、あいつ、歳取ってて耳は聞こえないから、会話も足音も気にしなくて大丈夫だよ。ついでに言うと、この匂いのせいで鼻も馬鹿になってるみたいだから、明かりさえ気をつければ問題ナシ」
「そ、そうなんですか。……あの、あいつ、って?」
「番犬だよ。ここの主が飼ってる」
「犬……?」
「くふふ、犬なんて可愛らしいものだったらこんなに警戒しないって。さて、そろそろだ。この扉の向こうだよ」
私にはまるっきり見えないが、ラスはそこにあるらしい扉を開いて、私を誘導した。
今度は木の扉だったようだ。キイ、と小さな音が鳴る。
扉を閉めると、ラスは手に小さな明かりを浮かべた。
魔法の明かりだろうか、明るいが熱は感じない。
外に明かりが漏れないように、ラスは扉を背にし、胸の前で抱えるようにして、最低限見える程度の明るさで照らしてくれている。
そこは、完全に閉ざされた部屋だった。
部屋の中には何もない。
石造りの、小さな部屋である。
――その無機質な冷たい部屋の真ん中。
セオは壁に背をもたれて、力なく床に座っていたのだった。
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