第9話 「ちょっと寄り道」



 石造りの、小さな暗い部屋の中で、セオは壁に背をもたれて座っていた。

 セオは目を瞑っていて、全く動かない。


 私はギュッ、と心臓を掴まれたような思いがして、声にならない悲鳴を上げた。


「セオ……!」


 私はたまらずセオに駆け寄り、その肩を軽く揺らすが、反応はない。

 息はあるようだし、見たところ大きな怪我もしていないようだが、私は自分の指先が急激に冷えていくのを感じた。


「セオ、起きて……!」


 私は泣きそうになりながらセオに呼びかけ、先程より少し大きく肩を揺らす。


 じゃらり、と重い音がして、その手首と足首に枷が嵌められている事に気がついた。

 枷は、壁に打ち付けられた専用の金具と、太い鎖で繋がっている。

 ここは……牢屋か、監禁部屋、なのかもしれない。


 震える声で、何度もセオ、セオ、と呼びかけていると、後ろからやけに落ち着いた声がかかった。


「ねえ、パステル。ちょーっとだけ離れてくれる?」


「は、はい」


 私が素直に下がると、ラスは明かりを消した。


「そこ、動かないでね」


 キィン、と澄んだ音が、続けざまに二回。

 そして、すぐさま、ラスが部屋の扉を開けたのが分かった。


「さ、脱出するよ。舌を噛むといけないから、帰り道はしばらく黙ってた方がいい」


 ラスはその言葉と同時に、私の手を取った。

 私達の周りに光が集まり、辺りをまばゆく照らし出す。


 セオは、ラスが先に肩へ担ぎ上げていたようだ。

 その手足の枷は付いたままだが、鎖は途中から、鋭利な刃物で斬ったかのように綺麗に分かたれている。


 この小さな身体のどこに、自分より身体の大きな人間を担ぎ上げる力があるのだろう。どこか遠いところでそんな疑問がぎる。

 だが、もう既に信じられないことの連続で、すっかり感覚が麻痺していた私は、たいして驚きもしなかった。



 私達は来た時と同様、ふわりと浮き上がった。

 獣が唸るような、低く空気を震わせる音がどこかから聞こえてくる。

 けれど、それも一瞬の事だった。


 ここに来た時よりもガタガタと大きな揺れを感じながらも、しばらくの間、私達はただ光に包まれていた。


 少しして揺れが収まると、ふっとラスの表情が緩む。


「……ふぅ、やっと抜けた。パステル、お家に帰る前に、ちょっと寄り道するよ」


「は、はい」


 私はラスの方を見る。

 ラスの肩にはセオが担がれているが、意識が戻る様子はない。


「セオは……大丈夫でしょうか」


「うん、見た感じ命に別状はなさそうだねぇ」


「セオはなぜ、あんな所に繋がれていたのでしょうか」


「騙されたみたいだよ。感情がないってのも困り物だね、相手の善悪も判断出来ないんだから」


「……そう、ですか」


 ラスに担がれているセオの表情は見えないが、やはりまだ目を覚まさない。

 セオに再会してから、今もずっと、私の身体は小刻みに震えているのだった。




 話をしていると、あっという間に目的地に到着したようだ。

 私達を囲む光が収束する。


 目の前に現れたのは、森の中の小さなコテージだった。

 私は、辺りをぐるりと見回す。


 辺りは鬱蒼うっそうとした木々に囲まれていて、人の寄り付かないような不気味な気配が漂っている。

 獣の通る道すら見えない。


 なのに、このコテージの周囲だけは暖かい光が差し込み、小鳥がさえずっている。

 花壇にはたくさんの花が咲いていて、色々な濃淡の蝶が舞う。

 幻想的で、不思議で――違和感のある、空間だった。


 ラスは迷いなくコテージの扉をノックする。



「おーい、フレッド! 届け物ー!」


「なんじゃ騒々しい。いつも突然なんじゃから」


 コテージの扉が開く。

 中から出てきたのは、大柄な老人だった。


 縦にも横にも大きな体躯で、長袖のシャツの上に丈夫そうな生地のオーバーオールを着ている。

 あごには立派な髭を蓄えていて、まるで絵本に出てくる熊のようだ。


「ん? お主が抱えておるのはセオか? 寝とるのか?」


「うん、ぐっすり寝てる。ベッド貸して」


「ああ、勝手に使え。それと、その鎖外すのはいいが、こないだみたいにベッドまで斬らんでくれよ」


「はいはーい」


 ラスはコテージに入り、奥の部屋へとセオを連れて行った。

 熊のような老人は、そう言ってラスを横目で見送ってから、私と目を合わせる。


「で、そちらの可愛いお連れさんは?」


 つぶらな瞳でまじまじと私を見る老人に、人見知りの私は少し腰が引けてしまった。


「は、はじめまして。私は――」


「その髪……もしかしてパステル嬢ちゃんか?」


「え? そ、そうです。あの、私のことをご存じで……?」


「ああ、知っとるよ。お嬢ちゃんは覚えてないだろうが。あれから十年以上経つかのう、大きくなったなあ」


 そう言うと、老人はニカッと豪快に笑う。

 笑うと目尻に皺がたくさん寄って優しげな顔になり、私は少しだけほっとした。


「ワシの事はフレッドと呼びなされ。さあ、中にお入り」


「は、はい。失礼します……」


 コテージの中は生活感に溢れていて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。


 入り口近くの床に無造作に投げられている作業着や長靴。


 テーブルの上には飲みかけのブランデーの瓶。

 森で採れたのだろうか、様々な種類の木の実と、それを割った後の殻。


 奥にあるキッチンのシンクには、皿が山ほど積み上がっているのが見える。


「散らかっててすまんのう。そこら辺に座ってくれい。コーヒーは飲めるかい?それか、ホットミルクなら出せるぞい」


「お、お構いなく」


「気にするでない。ラスのことじゃから、どうせ無理矢理にでも連れてこられたんじゃろ? 折角じゃ、ゆっくりしていくといい」


「……ありがとうございます。でしたら、お言葉に甘えて、ホットミルクを……」


「うむ、それでいい」


 私がそう言って一番手前の椅子を引くと、フレッドは満足そうに頷き、キッチンに向かった。


 それと入れ違いにラスが戻ってきて、私の前の椅子に座る。

 ラスは、テーブルの上の木の実を取って殻を割り、摘み始めた。


「ラスさん、セオの様子はいかがですか……?」


「ん? ああ、ぐーすか寝てるよ。怪我も擦り傷と打ち身程度だし、問題ないんじゃない?」


「そうですか……、良かった」


 その言葉を聞いて、私はようやく人心地ついたのだった。

 だが、どうしてセオがこんな風に傷付く羽目になったのか、私は知りたかった。


「あの、騙されたって言ってましたけど……」


「そ。しょっちゅうあるんだよ。今回は結構厄介なことになってたけどね」


「しょっちゅうって……セオ、大丈夫なんですか?」


 ラスは、木の実をぽりぽり摘みながら、足を組み替える。


「うーん、なんとも言えないねえ。まあ、でも、今のところ、命を狙われることは絶対にない。それに、感情のないセオには拷問も、精神へ干渉する魔法や薬も効かないからね。こうやって連れ去られても、助け出すことさえできれば問題ないんじゃない?」


「でも……痛いし、怖いですよね? どうして、セオはそんな危ない目に遭っているんですか?」


「えー、それ聞いちゃう? パステルが嫌な目に遭うわけでもないし、関わりたくないとか思わないの?」


「……セオは、私の初めての友達、だから。助けられることがあるなら、助けたいんです」


「友達、ねぇ」


「はい。セオは、そう思ってないかもしれないけど……」


「まあ、感情ないしねぇ」


 その何気ない言葉に、私は、ムッとしてしまった。

 ……ラスは、私よりセオとの付き合いは長そうなのに、どうして気が付かないのだろう。


「……セオは、感情、ありますよ。私の眼と違って、ほんの少しだけど、ちゃんと機能してる。だから、怖いこと、させたくないんです」


 私がそう反論すると、ラスは木の実を割る手を止めて、きょとん、としたのだった。

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