第5話 「気にかけてくれてるってこと」



 セオが空から降ってきた次の日。

 私は、時間を持て余していた。


 そもそも小さな領地であるロイド子爵家の執務量は、そんなに多くない。

 その上社交シーズンの今は、重要なやり取りは子爵である父本人が王都で直接こなしている。

 領地での仕事は、日々の管理業務と、時折上がってくる領地内の問題を解決する程度だ。



 それでも、私は子爵家の敷地から出たくない。

 帽子で隠そうとしても、この虹色の髪は隠しきれない。

 一度街に出掛けた時に、これでもかと言うほど好奇の視線に晒されて、私は街が嫌いになった。


 普段は時間が余ると庭を散歩するか、屋敷の書斎から本を持ち出して自室で読むか、部屋の掃除を手伝うのだが……今日はなんだか、どれもする気にならなかった。



 私はぼんやりしながら屋敷の中を歩く。

 なんとなく、自分の部屋に足が向かっていた。

 まだ昼過ぎだし、セオは戻っていないだろう。


 そんなことを考えながら歩いていると、ぼーっとしすぎたのか、普段はつまずかないような段差を、うっかり踏み外してしまった。


「きゃっ!?」


「お嬢様!?」


 偶然そこを通りがかったのは、ハウスメイドのイザベラである。イザベラが咄嗟とっさに支えてくれたので、私は怪我をせずに済んだ。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


「ありがとう、イザベラ。助かったわ」


 イザベラは心配そうに私の顔を覗き込んでいたかと思うと、突然、おでこに手を当てた。


「お熱は……なさそうですね」


「えっ?」


「珍しくぼんやりしておられましたし、お顔が少し赤……熱っぽかったものですから」


「……そう?」


 イザベラに限らず、屋敷の人間は、色に関する単語を口にする時、少し口ごもったり、わざわざ言いかえたりする。

 私は遠慮しなくていいと言っているのだが、それでも気になるようだ。

 私としては、気にされる方が気になるのだが……それは普通の人にはわからない感覚だろう。


「風邪のひき始めかもしれませんね。昨日もお疲れだったようですし、お部屋でお休みになってはいかがですか?」


「疲れてなんて……」


 私は反論しようとして、口をつぐんだ。いいことを思いついたのだ。


「ねえイザベラ、果物とか用意できる? ゆっくり食べたいから、しばらく部屋に置いておけるものが良いのだけど」


「ええ、ご用意致します。風邪には果物が良いですからね。後でお部屋にお持ちしますので、お嬢様はごゆっくりお休みください」


「ありがとう」


 セオが食事を用意する術があるのか、私は聞かなかった。

 もしかしたら、お腹を空かせて帰ってくるかもしれない。


 私はイザベラにお礼を言って、自分の部屋に戻ったのだった。



 イザベラはその後すぐに部屋を訪れ、果物の盛り合わせと軽食、そして熱冷ましの薬を置いて行ってくれた。

 私はイザベラに礼を言うと、もう休むからと言って部屋に鍵をかけ、閉じこもる。

 もちろん、窓は開けたままだ。




 しばらくして。

 驚いたことに、私はその後、本当に熱を出していた。

 身体がふわふわして、目の奥が熱くて、頭がガンガンする。思考がまとまらない。

 熱冷ましの薬を飲んで、私はベッドに潜り込んだ。




 遠くで誰かの声がする。


 ――この声、誰だっけ? つい最近聞いたような……。


 ひんやりとした感触が、額に触れる。

 冷たくて気持ちいい……。


 ぼんやりしながらも、私は思い当たった声の主の名を呼んだ。


「セオ……?」


「うん」


 その返答を聞いて、私の意識は浮上した。


 重い瞼を持ち上げると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 目の前にいたのは、小さな灯りに照らされた、人形のように美しい少年。

 いつからいたのだろう、ベッドサイドに小さな椅子を持ってきて、座っている。


 セオは無表情のまま、私を覗き込んでいた。


「セオ……おかえり」


「……ただいま」


 よかった、おかえりを言えた。

 私はセオの方に顔を傾けようとして、額の上に濡れタオルが乗っていることに気がついた。


「……セオがタオルを用意してくれたの? ありがとう……」


 私がそう言って小さく微笑むと、セオは胸をギュッと押さえて、頷いた。


「パステル……顔、赤い。熱がある」


「うん……そうみたい」


「大丈夫? 薬は?」


「平気よ。薬は飲んだし、それに、セオの顔見たら、少し元気出た」


 私は、少し無理をして笑みを深くした。だが、セオにはお見通しのようだった。


「……嘘。無理してる顔」


「ふふ、ばれたか」


「……パステルが苦しそうにしてると、僕のここ……ギュッてなる」


 セオは、まだ胸を押さえている。若干だが、眉間に力が入っているような気がする。

 ――セオの表情が動くのを、初めて見た。


「心配してくれてるのね。ありがとう」


「心配? これが、心配? ……僕、この気持ち、嫌い」


「心配かけて、ごめんね……。でも、心配してくれる気持ちは、嬉しいよ」


「嬉しい? どうして?」


「私を気にかけてくれてるってこと、わかるから」


「……こんなことがなくても、気にかけてる」


 セオの声は、気のせいだろうか、少しだけ掠れている。

 私は、言葉を返さずに曖昧に微笑んだ。


「その笑顔、ここ……あったかくならない。余計にギュッとする……」


「セオ……」


「早く、治してほしい。僕、昨日のパステルの方がいい」


「……うん。ありがとう」


 セオは額のタオルを裏返すと、私の頬を撫で、汗で張り付いていた髪を優しく払ってくれた。

 その感触に、どきりとする。

 けれど、されるがまま、身を委ねた。


 セオの指は、ひんやりして気持ちがいい。

 私の頬は、敏感にその感触を拾っていく。


 セオが触れる度に、身体の内からほかほかと暖かい何かが湧き上がってくるのを感じた。

 熱が上がる時の浮遊感とは違う、甘くてふわふわとした浮遊感が私を包んでゆく。


 やがて、セオは髪を整え終わると、姿勢を戻して立ち上がった。


「おやすみ、パステル」


「……おやすみ、セオ」


 セオはベッドサイドの灯りを消すと、昨日と同じ場所に建っている、小さな魔法の家へと向かった。


 その扉をくぐる前に、セオは一度振り返って、私の方を見た。

 私は微笑んで小さく手を振る。

 セオは、また胸に手を当てて少し考える仕草を見せたが、私に小さく手を振り返してくれたのだった。


 ――私は自分の心が暖かい気持ちで満たされているのを感じながら、この感情をセオに伝えるとしたら何と言って伝えるだろう、と考えた。

 だが、熱に浮かされた頭では、考えても考えても、しっくりくる言葉が見つからなかった。





 そのままぐっすり眠った私は、翌朝、まだ明るくなる前に目が覚めた。

 セオの魔法の家はまだ部屋の中に建ったままだ。

 家の主はまだ眠っているのだろう、室内からは物音はしない。


 私はゆっくり、ベッドから身を起こす。

 熱もひとまず落ち着いたようで、昨日に比べたら随分思考もはっきりしていた。


 テーブルを見ると、置いてあった軽食が無くなっている。

 眠る前に「良かったら食べて」と書き置きしておいたから、きっとセオが食べたのだろう。

 無駄にならなくて良かった。



 私はセオを起こさないように、静かにお風呂へ向かう。

 引きこもりの私が気兼ねなく生活出来るように、父はこの部屋に専用のお風呂や洗面所をしつらえてくれた。


 昨晩はたっぷり汗をかいたので、一旦その汗を流したい。

 脱衣所で服を脱ぎ、お風呂の扉を開けて――私は、目を丸くして悲鳴をあげた。



 ――バスタブに、泡まみれの、もふもふした謎の毛玉がたくさん浮かんでいたのである。

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