第4話 「あったかくなる」
セオがポケットから取り出した、手乗りサイズの小さな家は、あっという間に人の入れるサイズになった。
少し縦長で扉が大きい家だ。
私の部屋の狭いスペースでもきっちり収まっている。
素材は、木でもなく、石でもなく、土……いや、紙粘土に近いだろうか。
おもちゃのようで、可愛らしい。
突然空から降って来たり、手の平サイズの小さな家を大きくしたり――セオは、魔法使いなのだろうか。
小さなこの王国には、魔法の力が存在しない。
だが、南にある帝国や、北にある聖王国では、魔法の力が存在していると聞いたことがある。
ここ、ファブロ王国は四方を山脈に囲まれた盆地で、どちらの国とも国交はない。
魔法を見たことがある人はおろか、その存在を信じている人もほとんどいないのではないだろうか。
「セオ……今の、魔法?」
セオは、こちらを向いて頷いた。
「初めて見た……すごいね」
「初めて? 僕がパステルの前に降り立った時も、見たでしょ?」
「あの時は魔法だとは思わなかったから」
「ふーん」
私は、初めて見る魔法にわくわくしていた。
魔法の詳細は、書物にも記されていなかった。
ドールハウスのような可愛らしい家が持ち運べて、しかも住めるなんて、夢みたいだ。
「ねえ、セオ、その家の中って、どうなってるの?」
「……見る?」
セオが扉を開いてくれて、私はその小さな扉をくぐった。
「わぁ……! すごい……!」
その家の中は、予想以上に広かった。きっと家自体にも魔法がかかっているのだろう。
部屋はひとつだが、ベッドやソファ、テーブル、クローゼットに鏡台……様々な家具が一式揃っていた。
外から見たら縦長の家だったが、中に入ってみると、全くそんな感じはしない。床面積も、私の部屋の二倍近い広さがあるのではないだろうか。
「セオ、すごいね! どうなってるの?」
「持ち運べる、魔法の家。でも、雨風に弱いから、安全な建物の中でしか使えない」
「そうなんだ……。素敵……!」
私は自然と笑顔になる。
セオは、そんな私をじっと見つめている。
他の人ならこれ程見つめられると気になって仕方ないが、セオに向けられる視線は嫌じゃない。
「窓は、どうなってるの?」
この家には数箇所に窓が付いているが、窓の外は私の部屋ではなく、美しい星空になっていた。
それも、驚いたことに、方角によって見える景色が異なっているのだ。
月が見える窓、街の灯りが見える窓、屋敷の庭にある背の高い樹木が見える窓――いずれも、私の部屋の窓から見える景色と似ている。
「パステルの部屋の窓とリンクしてる。これで大体の時間と天気がわかる」
「そうなんだ……不思議」
私の部屋の窓とリンクしているなら、光や風も入ってくるのだろうか。
それなら、普通の家と同様に、快適に過ごせそうだ。
私はそのまま部屋の中をじっくり見させてもらった。
調度や家具は全て本物のようで、触りはしなかったが木や布の質感を見るに、明らかに高級な品であることが見て取れる。
やはりセオは高貴な家の生まれなのだろう。
魔法使いだし、貴族とは呼ばなくとも特別な家柄なのかもしれない。
「セオ、見せてくれてありがとう」
「どういたしまして」
私は、弾む声も緩む頬も抑えることなく、セオにお礼を言った。
そして最後にもう一度部屋の中を見回し、扉の外――自分の部屋に出る。
「パステル、笑ってる。嬉しいの?」
「嬉しい……そうね、素敵なお家を見せてもらって嬉しかったけど、それよりも、わくわくしたかな」
「わくわく?」
「そう、わくわくした」
セオは、ゆっくりと瞬きをした。
私をじっと見つめている。
「声は弾み、目が輝いて、口角も上がる。それが、わくわく?」
「うん。初めて見るものに触れて、面白い、どうなってるのかな、すごいなぁ。そんな風に思ったよ」
「ふーん」
「ふふっ」
私が笑いをこぼすと、セオは胸に手を当て、無表情のまま首を傾げた。
「どうしたの?」
「……パステルが笑うと、なんだろう、ここ……あったかくなる」
――セオは感情がないと言ったが、多分、全くない、というわけではない。
きっと、人よりも感じにくいのだ。もしくは、その感情に対する反応が、人よりも鈍いのかもしれない。
「セオ。きっと、それは、良い感情よ。嬉しいとか、安らぐとか、楽しいとか……そういう。その気持ち、大切にするといいよ」
「良い感情? 感情に、善悪があるの?」
「うーん、言い方が難しいなぁ……。善悪、も無いとは言えないけど、これはそうじゃなくて。――前を向いてるか、後ろを向いてるか、っていうことかな」
「……僕には、難しい。でも、ここがあったかくなるのが良いことなのは、何となくわかる」
「うん。それでいいんだよ」
セオも、変わろうとしているのかもしれない。
私がその感情を育てる手助けをするのは、許されるだろうか。セオは、何故か放っておけないのだ。
――人間嫌いの私が、手を差し伸べたくなるぐらい、セオは不確かで危うい。
「ねえ、セオのために何か私に出来ること、あるかな?」
「パステルの話、もっといっぱい聞きたい。パステルと話してると、何をすればいいのか、わかる気がする。約束のためにも」
「約束……さっきも言ってたけど、その約束ってなに?」
「時が来るまで言っちゃ駄目。そう言われてる」
「……そっか」
時が来るまで。
つまり、いつか話してくれるということだろうか。
何か手助けが出来るかと思って聞いてみたが、それならそれはセオの問題だ。
踏み込んではいけない。
「でも、パステルと話すのはまた明日の夜。明日は、日が昇る前に出掛ける。少し用事があるから」
「わかった。この家の門、閉まってるけど大丈夫?」
「この部屋に直接飛んでくるから大丈夫。窓、少しでいいから、開けといてほしい」
「うん、わかった。あとは何かある?」
「この魔法の家は水に弱いから、お風呂や洗面所がない。だから、パステルの部屋のを、借りてもいい?」
「勿論よ。いつでも使っていいよ」
セオは、頷く。
魔法の家は、やはり見た通り紙粘土か何かで出来ているのだろうか。そこまで脆くはなさそうだが、うっかり濡らしたりしないように気をつけないと。
「他にも何か困ることとか、足りない物があったらすぐに言って。約束よ」
「うん……約束」
セオが再び頷いたのを見て、私はにこりと笑いかけた。
セオは、また胸に手を当てている。
「じゃあ……おやすみ、セオ」
「おやすみ、パステル」
挨拶を交わすと、セオは小さな家に入って行った。
――不思議なものである。
他人と打ち解けられない私は、狭い世界で同じ事を繰り返す毎日だった。私はそれで満足だったし、これから先ずっとそうだと思っていた。
退屈は、安心と同義だった。
孤独は、ある種の自己防衛だった。
不変をこそ求めていると、思っていた。
けれど、空から降ってきた彼は、たった半日でそれを揺るがしてしまったのだった。
今は、退屈じゃない。
ひとりでもない。
けど、不安でもない。
まるで、魔法にかかったみたいだ――。
気がつけば、心地よい眠気が思考にふわりとヴェールを下ろしてゆく。
灯りを消してベッドに潜り込むと、私はあっという間に眠りに落ちていったのだった。
翌朝、目を覚ますと、セオの魔法の家は無くなっていた。
明るくなる前に出掛けると言っていたから、もう出発したのだろう。
昨日は、不思議な一日だった。
やはり幻だったのではないか、とぼんやりした頭で考えるが、開いた窓と揺れるカーテンが、それを否定している。
「セオ……」
今はここにいない彼の名を呼んで、自分の胸に手を当てる。
何故、たった一日で、私はこんなにもセオに入れ込んでいるのだろうか。
セオが空から降ってきたから? 魔法使いだから?
それとも……セオが、私と同じく欠けているから?
セオを見た時、なんだか懐かしいような――ずっと彼を待っていたような、不思議な気持ちになった。
この感覚は一体何なのだろうか?
「というか、よくよく考えると……」
――男性を、部屋に泊めたことになる、のよね。しかも、誰にも内緒で。
今まで他人との接触を避け続けてきた私にとっては、昨日会ったばかりの少年が、壁を隔ててはいたものの、同じ部屋で眠っていたという事実。
ちょっぴり……いや、結構、刺激的ではないか。
それに、今夜もセオはこの部屋に帰ってくるのだ。
おかえりの挨拶で迎えて、おやすみの挨拶をして眠る。
普通の人には当たり前のことかもしれないが、私は家族にも使用人にもそんな挨拶はしないから……
おかえりの時、どんな顔で迎えればいいの?
なんだか、初めて……どきどきする。
——だめ。
一度考え始めると、胸がざわざわして、止まらなくなってしまう。
「……顔洗ってこよう」
ほんのりと熱を持っていた頬を水で冷やすと、私は身支度をして、いつも通り部屋を出たのだった。
――窓は、ほんの少しだけ、開けたまま。
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