第3話 「また来るって言った」


 

 私はその日、執務を休んだ。

 しばらく部屋で横になっていたが、セオのことが気になって、眠ることは出来なかった。

 空から降ってきた、感情のない、不思議な少年――。

 突然現れ、突然消えてしまった。幻だったんだろうか。


「眠れない……」


 結局、昼間からゴロゴロしていたので、夜になる頃には目が冴えてしまった。


「散歩したら、眠れるかしら」


 この時間は暗くて危ないから、庭には出られない。

 色彩がわからない私には、夜は全てが黒に近い色で、視界がほぼ閉ざされている。

 それでも、屋敷の中なら物の位置や造りは把握しているから、杖が無くても歩けるのだ。


 私は、慣れた屋敷の中を静かに歩いてゆく。


 ふと、ある部屋の前で不思議な感覚を覚え、私は足を止めた。

 セオを案内した部屋である。

 あの後、トマスは窓をきちんと閉めただろう――セオがいるはずはない。

 けれど、私は、思わずドアノブを捻り、扉を開けた。



 ――そこには、月の光に照らされて白く浮かび上がる、美しい少年がいた。



「セオ……? どうして、ここに……?」


「パステルが、また来るって言った。だから、待ってた」


「いつから……?」


「パステルが連れてきた男の人が、いなくなってから」


「そんなに長い時間……。待たせて、ごめんね」


「いい。パステルはいつ来るか言わなかった。約束は破ってない」


「セオ……」


 セオは、昼間に会った時と変わらず、無表情だ。

 感情のないセオは、怒らない。悲しまない。

 だから、余計に申し訳ない気持ちになる。


「セオ、まだ眠くない? お腹は空いてる?」


「眠くない。食事は……少し、必要」


「なら、私の部屋にいらっしゃい。昼間に持ってきてもらった焼き菓子が、手付かずで残ってるの。ここにいると、誰かが来るかもしれないから」


「わかった」



 私はセオと一緒に自分の部屋へと戻り、灯りをつけると、扉とカーテンを閉めた。

 昼間のトマスの反応を見る限り、今はセオの事は話さない方がいいだろう。


「ここが私の部屋。そこ、座って」


 セオは頷き、ソファに座った。

 私は水差しと焼き菓子を用意して、向かいのソファに腰掛ける。


「どうぞ。お菓子しか用意出来なくてごめんね。好きなだけ食べて」


 セオは再び頷くと、ゆっくりお菓子を摘み始めた。

 私はセオをじっと見つめる。


 こうして見ると、本当に美しい少年だ。

 私は人付き合いがすごく狭くて、屋敷に出入りする人間しか知らない。

 だが、セオは今まで見たどの男性よりも、どの女性よりも――絵姿で見た、王国の王子様や騎士様よりも美しいと思う。


 感情の読み取れない無機質な表情も相まってか、セオには人外めいたような、神々しいような、浮世離れした不思議な雰囲気がある。


 それに、何だろう。

 ただ外見が秀麗というだけではなくて、セオを見ていると、不思議と懐かしいような、安心するような――


「……なに」


「えっ?」


「さっきから、ずっと見てるから」


 ついつい、セオに見惚れてしまっていたようだ。

 セオの表情は変わっていないが、気を悪くしただろうか。


「あ……ごめん」


「なんで謝るの」


「気に障ったかと思って」


「……見られて、どうして気に障るの? 僕は、何か用事があって見ているのかと」


「そう、よね」


 セオには、そういう感情も無いのだった。

 ただ、淡々と問いかけるだけだ。


「普通の人は、何も言わずに見つめられると気まずく感じるのよ。相手は何を考えているんだろう、何故何も言わないんだろう、自分が何か気に障ることをしただろうか、相手は自分に何かを求めているのだろうか……そんな風に、色々な事を考えるの」


「ふーん」


 私がそう説明しても、セオの表情は変わらない。


「相手がどう思うかって、そんなに大事?」


「……大事、よ」


「じゃあ」


 セオは一呼吸置いて、私から目を逸らして質問をした。


「僕も、パステルのこと、じっと見ない方がいい?」


「え?」


「パステルが嫌なんだったら、やめる」


「……セオなら……見られても、嫌じゃない」


 私がそう答えると、セオは視線を元に戻し、私を真っ直ぐ見つめた。


「じゃあ、やめない」


「……うん」


「パステルは、どうして僕をじっと見てたの?」


「それは……セオが、綺麗だなって」


 私は、恥ずかしくてセオから目を逸らし、消え入りそうな声になりながらも正直に告げた。


 セオを見ていて、あたたかいような、不思議な感覚になったことは伏せる。

 初対面のはずなのにそんなことを言ったら、それこそ困らせてしまうだろう。


「ふーん」


「ごめん、嫌だよね、こんなこといきなり言われたら」


「……わからないけど、嫌じゃない、と思う」


 私はセオにゆっくりと視線を戻す。

 セオは、ただ真っ直ぐに私を見ている。


「パステルも、綺麗」


「……え?」


 表情を変えずに、いきなりそんなことを言われて、私は困惑してしまう。


 私は、綺麗だなんて言われたことがない。

 そもそも屋敷の人間としか関わらないし、お洒落も化粧もしない私は、そんな言葉とは無縁に生きてきた。

 珍しい虹色の髪も、美しいと言われるよりも、不気味がられる事が多かった。


 私が固まっていると、セオが静かな声で問いかけてきた。


「どう? 嫌だった? 嫌じゃなかった?」


「あ……そういうこと……」


 感情の動きを確かめるために、セオは、私と同じことを言ったのだ。

 それを理解して、何故か少し落胆している自分がいた。


 私が綺麗だなんて……本気でそう言われることなんて、あるわけない。

 そんなこと、最初から期待してなかったはずなのに。


「……嫌じゃなかった。けど……少し困った、かな」


「困った?」


「そんな風に言われたこと、なかったから」


「ふーん」


「……でも、少し、嬉しかったみたい」


「嬉しい……?」


「うん」


 落胆した、ということは私は嬉しかったのだろう。

 お洒落なんて無駄だと思っていた。

 でも、心の奥底には、綺麗でありたい自分もいたのかもしれない。


「ふーん、嬉しい……か」


 からかっている訳ではなくて、セオは自分や他人の感情を知りたいと思っているだけだ。

 彼も、私と同じなのだろうか。になりたいと、望んでいるのだろうか。


 セオは満足したのか、再び沈黙してしまった。

 セオには、聞かなければならないことが沢山ある。

 けれど、ゆっくりでいい。まだ焼き菓子も残っている。



「セオ、昼間に、あの部屋からいなくなったのはどうして?」


「僕が僕を導いた先は、この家じゃない。パステルだったから」


「……どういうこと?」


「パステル以外の人とは、極力関わらない」


「……そう」


 やはり要領を得ないが、屋敷の者にセオを紹介することは出来なさそうだ。

 これからどうやってセオを匿おうか……。


「セオは……いつ頃になれば、おうちに帰れそうなの?」


「約束を果たすか、向こうから呼ばれるまで帰れない」


「約束?」


「そう。でも、何週間も、何ヶ月もかかると思う」


「そっか」


 やはり、長期滞在になりそうだ。

 だが、セオが私以外の人間と関わりたくないとなると、どうしたものか……。

 どの部屋を使うにしても、誰かが掃除に入ってしまうと客人の存在に気付かれてしまう。

 食事もそうだ。ずっとお菓子という訳にもいかない。


「これから……どうしよっか」


「この後は、もう少ししたら、寝る」


「そう、なんだけど。どの部屋を使ってもらおうかしら……」


 セオには、曖昧な言葉は伝わらない。

 もう少し考えながら話さなくてはいけないようだ。


 セオは、私の部屋を見渡したかと思うと、私が身体を動かすのに使っているわずかなスペース……何も置いていない一角を目に留めた。

 そして、しばらくその一角を眺めていたかと思うと、指をさして私に問いかけた。


「ここ、借りていい?」


「え?」


「ここのスペースなら、足りると思う」


 セオは、この狭いスペースで眠ると言うのだろうか。

 このスペースではベッドも入らないし、仮に床で寝るとしても狭い。


 だがセオは至って真面目に、真っ直ぐこちらを見ている。


「セオ……、この部屋にはベッドは一つだし、床に寝かせる訳にもいかないわ。それに、いくらセオでも、男性を泊めるのはさすがに……」


「ベッド、持ってる。部屋、仕切るから、同室にはならない」


「それは、どういう……?」


「見てて」


 セオはそう言って、懐から手乗りサイズの小さな家のような物を取り出すと、空いているスペースに置いた。

 セオは少し離れると、その小さな家の方に手をかざす。


 次の瞬間――セオの手に、ぽわぽわと光が集まり始めた。

 部屋中が白い光で満ち、私は目を瞑る。

 光が収まり、私が目を開くと、そこには――


 かがめば人間が入れる程度のサイズになった、小さな家が建っていた。

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