第2話 「導かれたから」


 私は、セオを屋敷の空き部屋に案内した。

 先日、歳をとって退職した使用人が使っていた部屋である。

 ここなら調度も揃っているし、まだ埃もそこまで積もっていない。


「しばらくこの部屋を使うといいわ。ただし、事情は話してもらうわよ」


 セオは、無表情で室内を見回し、頷いた。


 私は使用人を呼び、部屋の前まで二人分のお茶を持って来てもらう。

 私は廊下でそれを受け取ると、扉を閉め、ティーセットをテーブルに載せ、椅子を引いて腰掛けた。


「セオは、どうしてこの家に来たの?」


「導かれたから」


「導かれたって……誰に?」


「自分に」


「……どういうことか、さっぱりわからないのだけど」


「僕も、まだわからない」


 一体どういう意味なのか、私には全然理解できない。

 本当に不思議な少年である。


「セオって、何歳? おうちの人に連絡は取れないの?」


「十四歳。連絡は、今は取れない」


「私と同い年ね。おうちの人、心配してるでしょうね」


「……心配って、なに?」


「……え?」


「僕、感情がないんだ。だから心配、って気持ちは、わからない」


「感情が……ない?」


 セオは、頷いた。

 その瞳には何の感情も映していない。

 悲しみも、不安も、寂しさも、何もなく、ただ淡々とそう告げた。


 ――そんなことが、あるのだろうか?


 私は、うつむいて考え込んでしまう。

 沈黙を破ったのは、セオの方だった。


「パステルは、この家の娘?」


「そうよ」


「使用人の格好をしているようだけど」


「この格好が楽なの。お洒落をしても、意味ないから」


「ふーん」


 セオは、それきりまた黙ってしまう。


 私が紅茶を手に取ると、セオもそれに倣う。

 音も立てず、優雅に紅茶を嗜むセオは、予想外に様になっている。

 その様子は、セオがちゃんとしたマナー教育を受けたであろう事を感じさせた。


「マナーがしっかりしているのね。セオって、貴族の子なの? 平民ではないわよね?」


「貴族でも、平民でもない」


「そう……なの?」


 貴族でも平民でもなかったら、あとは聖職者か……それともやはり外国の子だろうか。

 追求しても、セオは答えを言ってくれない気がする。


 ふと、セオが静かな声で問いかけた。


「パステルは、どうして自分の名が嫌いなの?」


「……似合わないからよ」


「どうして、似合わないと思うの?」


「私には、色が見えないから。私の世界は、白と黒と灰色で出来ているのよ」


「ふーん」


 セオは、自分で言っていた通り、本当に感情がないのだろう。

 普通ならもっと驚いたり、憐れんだり、気持ち悪がられたりする筈だ。

 セオは、ただじっと、私を見つめている。


「セオは、嫌いという感情はわかるの?」


「わかるかどうか、わからない」


 セオは再び紅茶を口に含む。やはり優雅で、美しい所作だ。

 ティーカップを静かに置くと、セオはひとつひとつ確かめるように、話し始める。


「嫌いは、好きの反対。好き、はわからないけど、嫌いなものは身体が受け付けないから、わかると思う。僕は……多分、ピーマンが嫌い。気付いたら避けてる」


「ぷっ……ふふっ」


 私は思わず笑ってしまった。表情も変えずに可愛らしい事を言うセオが、おかしかった。


「ふふ、ピーマンが嫌いなのね。お子様ね……ふふふっ」


「どうして、笑うの」


「だって、おかしくって……ふふっ」


 失礼かもしれない、と思いながら、私の笑いは止まらない。

 セオは、やはり表情を変えず、小さい声でぼそ、と喋った。


「おかしい、も、わからない」


「……そっか」


 この子は、私と同じ……いや、私以上に

 セオがここに導かれたというなら、私にとっても何か意味のある出会いなのだろう。


 セオなら私を憐れんだり、気持ち悪がることもない――。

 私は、セオとだったら、もう少し話してみても構わないと思った。


「セオ、私、貴方ともっと話してみたい。また後で来てもいい?」


 セオは、頷いた。

 長期滞在になるのなら、一度、屋敷の者に相談してみる必要がある。


「ありがとう」


 私はセオに笑いかけて、部屋を後にした。




 部屋の扉を閉めると、丁度一人の男性が通りかかった。


「あら、トマス」


 トマスは、ロイド子爵家の家令を務める、初老の男性である。

 社交シーズンのこの家に残っているのは、私とトマスと、トマスの妻でハウスメイドをしているエレナ、二人の娘で同じくハウスメイドをしているイザベラの四人だけだ。後は時々庭師を呼んで木々や草花の手入れをしてもらう程度で充分。


 以前はもう少し人がいたのだが、数年前からシーズン中のマナーハウスではこのメンバーだけ。入れ替えも増員もない。


 父の不在時も、私が執務をしっかりこなせるようになったこと。

 私が極度の人嫌いで、長く勤めている彼らにしか心を許せなかったこと。

 子爵領の場所が辺鄙へんぴで来訪者もほとんどないため、客間等の管理が不要であること。

 そのあたりが、増員しない理由である。


 私が声をかけると、トマスは足を止め、お辞儀をした。


「お嬢様、ご機嫌麗しゅう」


「トマス、丁度よかったわ。話があるの」


「不思議な客人のことですかな? イザベラが話しておりました」


「ええ。さっきお茶をお願いしたからね。それで、その子にこの部屋をしばらく貸そうと思うのだけれど、良いかしら?」


「どちらのどなた様なのですか?」


「それが、わからないのよ。さっき、外が急に真っ白に光ったでしょう? その時に突然……」


「外が光った? ……何のことでしょう。私は窓を開けて仕事をしていましたが、気が付きませんでした」


「……そう」


 トマスは、訝しむようにしている。

 かなり強い光だったと思うが、室内では分からなかったのだろうか。


 ……空から降ってきた事まで言わなくて良かった。

 常識人のトマスにはきっと信じてもらえないだろう。


「それでね、彼、マナーがしっかりしているから、平民ではなさそうなの。でも、貴族でもないと本人は言ってるわ。服装からして、他国の貴人かもしれない」


「ふむ……。少し、失礼してお話しさせて頂いてもよろしいですか?」


「ええ。大丈夫だと思うわ」


「では失礼します」


 コンコンコン。

 トマスが部屋をノックするが、いくら待っても返答はない。


「おかしいわね。セオ、入るわよ」


 私はそう断って、扉を開ける。

 だが、部屋の中には、セオはいなかった。

 開けた覚えのない窓が開いていて、カーテンがゆらゆらと揺らめいている。


「……セオ?」


「お嬢様。誰もいないようですが」


「ええ……どこに行ったのかしら」


 私は室内に入り、窓の近くへ向かう。

 ここは一階だから、もしかしたら窓から出ていったのかもしれない。

 窓から外を覗くが、セオの姿は見えなかった。


「きっと窓から出て行ってしまったのね。大丈夫かしら」


 私が思案していると、トマスが心配そうな声色で問いかけてきた。


「……お嬢様。本当に、その客人はここに居たのですか?」


「……え?」


 私は思わぬ質問にトマスの方を向く。トマスの目は、不信と……私の嫌いな、憐憫を宿していた。


 ――な、に?


「何故私がこの部屋を訪ねたか、おわかりになりますか?」


「……いいえ」


 ――嫌だ。聞きたくない。


 私は、手をついていた窓枠を、ぎゅっと握りしめる。

 普段のトマスは怖くないけれど、信じてもらえていないのも、奇人扱いされるのも、嫌だ。

 私はただ、でいたいのだ。


 トマスはテーブルの上に目を遣る。

 テーブルの上には飲み終わった紅茶のカップが二つ。


「イザベラは、廊下でお嬢様に二人分のティーセットをお渡ししたと申しておりました。しかし、物音一つせず、扉の向こうに人がいるように感じられなかったと。イザベラは心配になり、私に報告しに来たのです」


「そんな、確かにここに居たわよ。カップが二つとも、空になっているでしょう?」


 窓枠を握る手に、力を込めた。その指先はもう、白く冷たくなっている。


「……失礼ですが、お嬢様が二つともお飲みになった可能性も否定できません。そもそも、この家の門は固く閉ざされていて、敷地内に何者かが入る事など考えられないのです」


「それは……」


 ――だって、セオは空から降ってきたから。


 その言葉は言えずに、飲み込んだ。

 きっと、トマスには信じてもらえないだろうから。


 私は窓枠から手を離し、両腕を胸の前で組んで自分自身をかき抱いた。

 一度口を開いたものの、結局何の言葉も発する事なく、私は唇を噛んでうつむいたのだった。


「片付けはしておきますから、お嬢様は少しお部屋でお休みになったらいかがですか? お疲れなのではないかと存じます」


「……そうね、そうするわ」



 幻、だったのだろうか。

 私は、もやもやした気持ちと、そこはかとない悲しい思いを抱えながら、自室に戻ったのだった。

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