第3話 一人ではなく

 「夢でも現実でもない」という比喩表現があるのであれば、このためにあるのだろうと考えながら、深い闇の奔流に呑まれていく自らの体。不思議な気分だが、なぜだか不快感を幽は感じていなかった。そんなことよりも、彼が不思議に思ったのは、何故この瞳は「僕」を映しているか、ということだ。客観的に自分が今起きている光景を見ているのにも関わらず、感覚は存在している。


(ていうか、僕ってこんな髪の色だっけ...)


 目の前にいるその少年は、明らかに自分と同じ顔付きや体付きをしていたが、髪が白雪のような色合いをしていたのである。


一筋の光が差す。


 黒に近い、深くて暗い色めき。だが、この世界においてそれは輝き以外の何者でも無かった。そしていつからか、幽はその光へ手を求めるように伸ばす。


 まるでそれは────


◆◇◆◇◆◇◆◇


「っ!」


 勢いよく体を起こすと、そこはありふれたいつもの光景だった。


「ここは...」


 見慣れたリビング、飛び散っていた鮮血や死体も存在せず、自分の家がそこにはあった。だが不気味なのが、近くを通る車の音も、煩く鳴いているはずの蝉の音色も、その一切が聞こえない。あるとすれば、自分の呼吸音、心拍音。


 どれくらいそこにいて時間が経ったろうか。いつまでもぼーっとしているわけにもいかないので、幽は体を起こし、自分の状況を確認する。


「そうだ、助けなきゃ」


 自分のしなければならないことを思い出した幽は、玄関の方へと走っていき外へと勢いよく出る。


変わらない風景。


 だが、人どころか生命の気配が感じられない。空は曇天に支配されており、雰囲気が全体的に重い。どんより、という表現が一番最適だろうか。


 いつもの道を歩いていく。漂う夢遊病者の如く、覚束ない足取りで歩みを進める。考え無しにこの世界に来てしまったため、どこに行けば分からない。だが、その問題はすぐに解決することになる。


 幽の歩みは突如として止まり、その視線は道端に転がる「ナニカ」へと視線が移る。


「影…の、本体だ」


 常に睡魔に襲われていたため、あまり鮮明な記憶は無いが、授業やテレビこんな物の画像を見た記憶がある。黒い歪な人型の何か。予想よりも小さく、倒しているそれを立たせても幽の胸の位置ほどだろう。


 大量に転がるそれは、明らかに体が無惨に引き裂かれ、死んでいることは明らかだった。


「明りんが、倒したんだよね」


 まるで導のように、その死体は遠くの方へと続いていく。この死体がある方へ行けば、夏輝に、明に会いに行ける。そんな考えを持った幽は、太陽を目指し飛んでいく天道虫のように、ゆっくりとそこを目指し足を動かす。


 近くで顔を覗かせるのは東京スカイツリー。ただ、厚い雲のせいで全貌を見ることは叶わない。誰もいない街で、ただ幽は道を進んで───


『あれ、あれ、あれ、あれ』


頭に響く声、背中に疾る寒気。


 脳が、心臓が、体が、叫びにならない悲鳴を上げている。後ろを向けば、それはいる。母を殺し、夏輝を連れ去ったあの蜘蛛なんかとは比べ物にならない存在感。


『これ、これ、これ、これ』


 体が言うことを効かず、動くことどころか息すらままならない。すると、視界の端がちょっとずつ白色に支配されていく。こちらを覗き込むように、道化のように不気味な笑みを浮かべる黒色の仮面がそこにはあった。


『どれ、どれ、どれ、どれ』


 液体のような白い体が生物とは到底思えないような挙動で波のように動き、その体についている複数の黒い仮面と共に、幽を取り囲んでいく。悪魔と言い表すには悪意が抜けている。それには何の悪感情も存在せず、ただ単なる好奇心がそこにはあった。


『それ、それ、それ、それ』


死。


 それを幽が意識した瞬間、とてつもない轟音が静寂の世界に響き渡る。東京スカイツリーを隠すの厚い雲の向こうで、何かが起きている。ピカ、ピカ、と眩い閃光と共に音が鳴り響き、遠くてよく分からないが人のようなものが落ちていっている。


『あれ、あれ、あれ、あれ』


 漆黒の仮面たちも幽と同じような反応をして、そちらの方を向いていた。幽よりも今の出来事の方が興味が勝ったのか、体を引き戻してスカイツリーの方へとゆっくり向かっていった。


 視界の端まで、その化け物が見えなくなるまで、幽はその場から一歩も動いていなかった。そして、白き体と黒の仮面のそれが消えると、一気に息を吐いた。


「はぁ、はぁ…僕、何してるの!?」


 本当の命の危機に遭い、一時的に錯乱状態であった幽の脳は通常の働きを取り戻した。明の指示に従わず危険な場所に来てしまった後悔の念が押し寄せてくる。


「と、取り敢えず、家に戻る?」


 この不可思議かつ危険な世界で、何が正解かは分からない。だが、外にいるより中、知らぬ場所より知っている場所の方が安全なのは決まっている。思考を纏め、家へと帰還すべく第一歩を踏み出そうとしたところで、幽は再び先ほどと同じような感覚に襲われた。


「あれ」


 後ろにいる。背後からするその存在感。全身から汗が噴き出し、心臓の鼓動が早くなっていく。二度目はない、そんな言葉が脳裏をよぎり、幽は死を意識し瞼を閉じた。だが、どんなに時間が経っても、自分の体が傷つくような感覚はない。それどころか、幸福感というか何というか、温かい感覚が身に纏ってくる。


「あれ、なんでこんなところに人間がいるの」


「えっ」


 日本語、人の言葉。その衝撃から、固く閉じていたはずの瞼は簡単に開けられた。


美少女。


 いや、幾ら相手の姿が麗しいからといって、美少女と定義つけるのには勿体無いかもしれない。あまりのその美しさは芸術作品と言う他なく、中性的なその見た目は性別関係なく人々を魅了する見た目をしている。透き通るようなその白髪は、初雪のように脆く、儚い。こちらを見つめる瞳は紺碧の色、嵐の後の快晴の空のような彩りであった。


「あ、起きた」


 こちらを覗き込む動作、一挙手一投足が美しい。だが、幽本人があまり相手の見た目を気にしないタイプなのと、幼馴染である夏輝やその友人である明の見た目が良かったこともあり、彼はこの状況に疑問を呈すことができた。


(なぜ僕は今、この人を美しいと思ったの?)


 確かにこの世のものとは思えないほどの美貌をこの彼女は持っているが、だとしても大袈裟な反応を幽はしてしまっている。世界が止まる感覚、別に相手に恋をしているわけでもないのに、鼓動が早まる。


 まるで、直接脳にそう伝えられてるような、そんな感覚。この世界に来て、色々な感覚を味わっているが、その中でもトップクラスに不思議な感覚。不快感や恐怖感がないのが、それを促進させていた。


「だ、だれ…?」


 単純な疑問が口から溢れでる。こんなところに人なんかそういるものではないし、この見た目なら尚更のことであった。


「私? 私は…」


 口籠るように彼女は口を閉じ、こちらの様子を伺いながら顎に手を当て、何かを思考をし始める。急に黙ってしまったことにより、幽も困惑を隠しきれていない様子だった。


 すると、再び轟音が静けさの世界へと揺れ響く。しかも今回は近い、それもすぐ近くだ。どんどんと確実に近づいてきている。これはまずいと思い、幽は取り敢えず目の前の少女らしき人間、らしき者と一緒に逃げようとする。


「なんか来て…ますし、逃げませんか…?」


 謎に敬語を使ってしまって驚きを覚えるが、それよりも逃げることが先決だろうと少女を急かす。だが、少女は動こうとせずこちらを見据えてくる。


「そう。私は──────」


 今までで一番の轟音、それと共に隣にあった一軒家が吹き飛び、舞った煙の中から二つの影が現れる。揺れる視界、漂う土埃、低い雲、誰もいない街。そんなことを一つも気にしないかのように、真っ直ぐにその少女は幽のことを見据えていた。一歩、そしてもう一歩、少女は少年の方へと足を伸ばす。


「─────君に一番、近い存在」


時が止まったかのような感覚。透き通る声で言われたその言葉は、妙に頭の中にこべり付いた。どういう意味なのか、それを問おうと幽は口を開こうとするが、それをする前に彼女は美しく微笑み、塵のように体を欠片として、静かに消えていった。


「なっ!?」


 幽が驚いたのは勿論目の前に先ほどまでいた少女がいなくなったのもあるが、それ以上に驚いたのは、漂う煙の中から出てきた二つの影であった。


「幽っち!?」


「明りん!」


 そこには人型の二メートルほどで、蜘蛛の特徴を残した「ナニカ」と、それに相対するように明がいたからである。「ナニカ」の方は青黒い煙のようなものを纏っており、時折星のように輝いている。そして反対側に立つ明の姿を見て、幽が首を傾ける。


「何で…犬耳?」


 頭から生えた犬耳、そして発達した大きな爪。尻尾から生えているのも含め、どう見たってそれは犬と人間の間の何かであったのだった。

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