1-2話

「先輩、また出たのですね」


 姫香を認めた比呂彦がやってくる。


「人を幽霊みたいに言わないで。……住吉君、ランチに行く?」


「そうですね。お供します」


 姫香が食事に誘える男性は比呂彦ぐらいのもので、しばしば彼を誘った。それは彼に恐怖を覚えない理由を探すためだけではなかった。彼は年下だというのに実によく歴史を知っていて、時に、興味深い指摘をしてくれるのだ。


 2人は大学を出ると駅前の喫茶店に腰を落ち着けた。


「私ね。日本神話を卒論のテーマにしようと思うの」


 ランチを食べながら話した。


「方向性が見えてきたのですね」


「ええ。古代の人々にとって、神話はただの物語ではないと思うから」


「そうですね。語り継がれてきた先祖の経験であり、ある意味、法律や規範といったものまで反映していたでしょうから」


 比呂彦が大きくうなずくと、姫香は満足感を覚えた。


「どの神の子孫か、それも豪族の地位を反映していると思うの」


「そうですね」


 彼が、パスタを頬張った顔を上下させた。


「問題は天孫降臨てんそんこうりんなのよ」


「どうして?」


「豪族たちが神様に支配の正当性を求めたのはわかるけど、出雲に下りた天鳥船あめのとりふねにしても、河内に下りた天磐船あめのいわふねにしても、具体的に過ぎると思わない? それに山に船が下りるなんておかしいわ」


 天鳥船は日本神話の国譲りの物語において、武御雷神たけみかづちの神と共に出雲の事代主ことしろぬしの神のもとに派遣された神であり、天磐船は神武東征じんむとうせいの物語において、神武天皇が大和の国に入るより先に饒速日命にぎはやひのみことを乗せて河内国かわちのくにに降りた船の名前だ。今、それが降りた大阪府交野かたの市に磐船神社があり、饒速日命の物語が天孫降臨伝説の原型だと考える研究者もいる。


 比呂彦がプッと吹いた。


「あ、ごめんなさい。……昔、人工的な乗り物は船だけだから。海を進んでも、空を飛んでも、みんな船なのです。飛行船と考えればいいと思いますよ」


「なるほど、飛行船ね。……それで、どうして船を持ち出したのかしら? 神なら空を飛んでも瞬間移動してもおかしくないのに」


 姫香が首を傾げると、彼もそうした。


「……空を飛ぶ何かを見たから、かな……」


「見た?」


 天井を見上げる。その先にある空の上、古代の人々が何を見たというのだろう?


「飛んでいるといったら鳥よね。それで鳥船はわかる。でも、磐船はどうかなぁ。飛ぶはずないわよね」


「磐が飛んだっていいじゃないですか。金属製の飛行機が飛ぶのですから」


 比呂彦が笑った。


「もう、私は真面目に考えているのよ」


 抗議する声を彼が遮った。


「そんなことより、さっき吉本先生が話していましたよね。奈良の石室。あれって、奈良の桜井ですよね? 僕、発掘に参加したいのですけど、なんとかならないでしょうか?」


 姫香の頭の中で火花が散った。


「そんなことよりって、ナニよ。私は真剣なのよ」


「ごめんなさい。磐船の磐は石のことではなくて、頑丈な木材のことを指すと考えるのが一般的だそうですよ」


 彼が言い訳するように話した。


 可愛い。……姫香は、慌てて謝る彼を見てそう思った。彼になら触れられそうな気がする。そう思うと一時の怒りはどこかへいった。


「私だって発掘にいきたいのよ。滅多にできない経験だもの。でも無理なのよ。他にも授業があるし……。第一、先生、調査チームでは下っぱだろうから、きっと自由にならないと思うわ。とても2年生の住吉君をチームに入れるなんて出来ないと思う」


「そうですか……。そうですよね……」


 彼が消沈するのが手に取るようにわかった。


「力になれなくてごめんなさいね」


「いえ、僕の方こそ無理を言ってすみません」


 その時、姫香のスマホが鳴った。〝まごころ〟の部長、諏訪すわ純子じゅんこからだった。

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