幕間3
「最近アラさん全然来ないねぇ」
ふうっと息を吐いて、有楽町ガード下の居酒屋で、店主が呟いた。頬杖をついて、いかにも間の抜けた顔をしている。
「珍しいですね」
タッキーと呼ばれている、同じく常連の青年はそう言った。なぜかその顔には、店主以上に憂鬱な表情が浮かんでいた。
「このままじゃポテトサラダ余っちゃうよ。彼のためにいっぱい仕入れてるんだから。タッキーも食べる? てか食べて」
そんな様子に微塵も気付く様子もない店主が、ラップが半分ほどめくられたガラス製の器をタッキーの口元にぐりぐりと押し付けられる。タッキーがしぶしぶ箸をつけると、確かにそのポテトサラダはやけに美味だった。
「あ、ホント美味しいですね、これ。本当に手作りじゃないんですか?」
「違うよ。ただ、あそこのお総菜屋さんが全体的に美味しいんだよ。ポテトサラダ以外も結構あそこから仕入れてるし」
「じゃあ、やっぱりもうそこから直接買い始めたんじゃないですか? ここに来たらマスターに絡まれるし。器くらい自分で冷やせるでしょ」
「ええ~~~~!! それどういうこと? なんでアラさんが僕を嫌がるのよ!」
店主の動作はいちいち大げさだ。タッキーの腕をつかんでブルンブルンと振るう。
「いや、そういうとこでしょ、自覚ないんですか。アラさんも明らかに困ってたじゃないですか」
「いや、違うね! アラさんは絶対来る! だってなんだかんだ今までずっと来てたじゃない!」
店主はふん! と腕を組んでそっぽを向いた。
***
しかし、その日の夕暮れが迫ったころ、まだそこまで年齢を重ねていないにも関わらず総白髪の、鍛えられた肉体の男によってガラッと表の扉が開かれた。
「ア、 アラさん!」
店主は驚愕し、手で口を押さえて目を潤ませている。二人の関係性を知らない他の客は、ポカーンとした顔でそんな二人を交互に見つめていた。
アラさんはそんな視線を意に介することもなく、空いていたテーブル席にどかっと腰を下ろした。店主があたふたと走り寄ってくる。
「もう~~、最近全然来ないから、どうしたのかと思ったよ!」
「ああ、しばらく忙しくてな。だが、最近ようやく落ち着いた。他の奴にも仕事を振れるようになってきたからな」
「お! ついに就職できたんだアラさん。良かったじゃない」
そんな店主の言葉を聞き流し、アラさんは店主の目を見据えて一言。
「いつもの」
「あー、ごめん。ポテトサラダ一皿しかないや。アラさんなかなか来ないから、他のお客さんに勧めまくっちゃって」
「なに?」
アラさんの表情が一気に険しくなった。その殺気に、店内の空気がひりつく。しかし店主はそんなことを気付く様子もない。
アラさんはしばらくそのまま固まっていたが、何も気にせずに自然体で話す店主の姿を見ている内に、気が抜けたのか、その表情がふと緩んだ。ゆっくりと立ち上がる。
「そこで買ってくる。器冷やしとけよ」
アラさんはそう言って、表ののれんを再びくぐって、店を出ていった。
***
店を出たアラさんの背後に一つの影がつきまとっていた。
数十メートルほど歩いたアラさんは立ち止まった。そして後ろを振り向くことなく声を発した。
「何の用だ。タッキー」
ビクッと一度震えた後、その人影も立ち止まる。
「何で分かったんですか……」
その声は、紛れもなくタッキーだった。
「どうだって良いだろ。そんなことより、何の用だ。俺を待っていたのか?」
「少し相談したいことがあるんです」
「俺に?」
「ええ。周りに相談できるような大人がいなくて。マスターもあんな感じの人ですし……」
「ママとかパパに言えよ」
「この世には、親に相談できることの方が少ないでしょう」
アラさんはようやく振り返った。
「確かにな」
その顔にはわずかに笑みが浮かんでいる。
「あそこで」
アラさんとタッキーは、街灯が一つだけしかない、薄暗い公園に連れ立って入っていった。人は他に誰もいない。
「で、何なんだ?」
アラさんがタッキーの方に向き直る。
「最近悩んでいることがありまして」
「ほう」
「自分って何のために生きてるのかなって」
「あ? ガキの青臭い悩みに割く時間はないぞ」
「そ、そんなこと言わないでくださいよ。ここ数日ずっと待ってたんですから」
「暇なやつだなお前も。何だ? 趣味がないのか? そういうやつはよくいる。アドバイスをやろう。少しでも自分が楽しいと思うことを見逃すことなく捉えて、極めるんだ。相当うまくやると、それを職業にできる」
「いや、あるにはあるんですけど一つしかないっていうか。いつまでもそんなことしてられないなって。それで、それがなくなったらどうやって生きて良いかわからないんですよ」
タッキーの目線は真剣そうだ。しかしアラさんの方は、飄々とした表情を一ミリも変えようとはしない。
「何だ? アイドルでも推しているのか? いいよな、あれは。俺も数年前に一時期日本のアイドルにハマったことがある」
「いや、別にアイドルというわけじゃ……」
しかし、アラさんは聞く耳を持たずに話続ける。
「確かにあれはこっちの年齢と離れすぎてるとだんだん虚しくなってくるものだ。だが、お前はまだ若いんだから、迷わず進め。そして齢を重ねたとしても、推しを信じろ」
タッキーは諦めた。
「もう、アイドルで良いです…… アラさん今はアイドル好きじゃないんですよね? どうやって熱が冷めたんですか?」
「何を言ってる? 俺が彼女を見捨てるものか。まあ、お前が悩んでいるなら話は簡単だ。次の趣味を見つければ良い」
「そんな簡単に言わないでくださいよ。こっちは悩んでるんですから」
「ま、今一つでもあることに感謝することだな。人生で一つも見つからず、悩みながら死んでいくやつもいるんだ」
「たとえそれが他人に迷惑をかけるものでも?」
「人に迷惑をかけるということはそもそもどういうことだ? 人は生きてるだけで迷惑をかけているものだ」
「じゃあ、このままやってても良いんですね?」
「そんなこと俺に聞くな。自分で決めろ。自分の行動の責任を他人に押しつけるな。自分の人生の責任は、自分でしか取れないんだからな」
タッキーは伏し目がちになり憂鬱そうに笑った。
「思った通り、あなたは人に厳しい人だ」
「それはお前の勘違いだ。俺ほど他人に優しい、慈愛に溢れた人間はなかなかいないぞ?」
タッキーは何も言わずに去っていった。
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