Case1―Scene10  逃亡

 ようやく重い腰を上げ、滝野は次の狙撃場所を探すために大学の授業をサボって町を巡り、そしてまもなく、めぼしいビルを見つけた。

 それは、選んだビルの中の構造を知るために清掃の深夜バイトに入った帰りのことだった。

 深夜なのにも関わらず、家の灯りが全て点いていた。不思議に思って中に入ると、両親が共に起きていた。

「珍しいね。どうしたのこんな時間まで」

「ああ、達明! よかった!」

 母親がほっとした顔で駆け寄ってくる。しかし父親は、複雑そうな表情で滝野を見ていた。

「今日の昼過ぎくらいから家の周りを知らないやつらがうろついてたんだ。ついさっきも一人いた。ガレージの方によく出没する」

 ガレージという言葉にドキッとする。

「あと、こんな紙が……」

 母親が滝野に、くしゃくしゃになった一枚の紙片を渡した。そこには乱暴に書き殴ったような汚い文字で『ここに、令和のスコルピオがいる』と書かれていた。

「これが家の周りに何枚も貼られていたんだ。達明、何か知らないか? 令和のスコルピオって今世間をにぎわす殺人鬼だろう?」

「令和のスコルピオ?」

「知らないのか、達明!」

 父親が驚きで目を見開く。

「テレビでよくやってる大量殺人犯よ。ビルの上から銃で撃つの。あれがネットでは令和のスコルピオって呼ばれてるのよ。達明の方がそんなことよっぽど詳しいと思ってた」

 それを聞いた滝野は、呆然と立ち尽くした。あの男が話していたのは、このことだったのか。

「とりあえず、達明が無事で良かった。このことは警察に相談する。まあ、ろくなことはやってくれないと思うが」

 そんな言葉が耳に入りきらない内に、滝野は急いで階段を駆け上がって自分の部屋に入った。スマホを開いて、〝令和のスコルピオ〟で検索をかける。

 すると今までは微塵も知らなかった情報が、大量に流れ込んできた。いくつものサイトやSNSのアカウントが、滝野が今まで行ってきた所業を詳細に綴っている。

 さらに恐ろしいことに、今やネット上で〝令和のスコルピオ〟の居所として、この家の住所が特定されていた。それはつい最近のことだった。

 滝野の背筋が凍った。このままでは自分がこの〝令和のスコルピオ〟だとバレてしまう。

 そんな焦りのまま再びSNSを更新すると、父親の名前と顔写真が〝令和のスコルピオ〟の正体だと断言する投稿が目に飛び込んできた。

 滝野の目の前で、それがどんどん拡散されていく。

 家の周りの雑踏が、途端に増えた気がした。滝野はなりふりかまわず窓のところに飛びついて、急いでカーテンを薄く開いた。しかしその暗闇の中に、人影は一切ない。だが滝野は全然安心できなかった。

 滝野は、必死の形相で押し入れの扉を開け、天井裏からライフルを引きずり出した。覆っていた布きれをむしり取って、銃身に抱きつく。

 いくら震えても、心は一切落ち着いてくれなかった。


      ***


 この世の全てから逃避したかったからか、いつの間にか寝てしまっていたようだった。うっすらと夜が明けていた。

 窓から外を見ると、滝野は再び震えが止まらなくなった。胸が締め付けられるように痛くなってくる。

 夜の間には見えなかった人影が、家の周りにいくつもあった。本人達は隠れているつもりかもしれないが、文字通り影が、朝日に照らされて伸びる影があるのだ。

 それらを目にした滝野は、ガクガクと身体を強く震わせた後、剥き身のままのライフルを抱えながら、声にならない悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。

 数分経って、胸を手でおさえながらようやくよろよろと立ち上がった滝野は、ライフルを再び包みなおした。銃と弾とスマホだけ持って、部屋を出る。

 家の中は静かで、自分の心臓の鼓動がいつもよりはるかに鮮明に聞こえた。両親はまだ寝ているようだ。無理もない、リビングの時計を見ると、まだ午前五時にもなっていなかった。

『あなたの仕業ですか?』

 壁をつたって歩きながら、滝野は何とかそれだけをスマホに打ち込んだ。そんな滝野をあざ笑うかの如く、即座に次の文言が表示される。

『そうだよー』

 こんな時間にすぐ返信してくるとは…… やはりあの男は人間ではなく、魑魅魍魎の類ではなかろうか。それともずっと監視しているのか? 滝野は改めて、その恐ろしさに震撼する。

 滝野は外からは見えないように姿勢を低くし、細心の注意を払いながら隣家との間の塀を乗り越えた。もう車は使えない。

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