Case2―Scene8  街戦

〝やつ〟は一体どこにいるのか。いくら素人とはいっても、まさかもうあのワゴンの裏にはいないだろう。

 あんなライフルから自分の身を守るためには、荒木自身も動き続けるしかなかった。

 どこから狙ってくるかわからないこの状況に、東南アジアのジャングルで数十人を相手にした記憶がよみがえる。

 とりあえず最後に〝やつ〟を目撃したワゴンまで向かうことにする。しかし、いかなる方角からの攻撃に対応できるように、極力姿勢を下げ、直線だけでなく、横移動も使用する。

 そのワゴンに近付くにつれ、徐々に息を殺して潜んでいる人間の気配を感じるようになった。緊張感も鋭敏に感じる。

 まさか本当にまだそこにいるのか?

 スピードは緩めないまでも、荒木の心がわずかに動揺する。しかしこの感覚は確かだ。次の瞬間、荒木は〝やつ〟の居場所について確信を得ていた。

 そんなときだった。〝やつ〟がいる場所から真っ黒の何かが投擲された。手榴弾か!

 その物体が何なのか。普段ならその程度ことは、荒木の動体視力なら確実に見分けられる距離だったが、ちょうどわずかに目を逸らしていたタイミングだった。

 荒木は反射的に、その物体の落下地点と反対方向に飛びのいた。腕で頭を抱え、衝撃に備える。

 数秒待っても、何も起きなかった。しまった、ブラフだったか。よく考えてみればその通りだ。そんなものを持っているのだったら、既に大殺戮が起きているだろう。

 その場で素早く立ち上がり、ほぼ一足飛びにワゴンの裏へ。そこにはもう誰もいなかった。

 俺ならどう逃げる? 荒木は辺りを見渡した。エレベーターの案内表示が天井にぶらさがっているのが目に入る。おいおい、そんなとこにあったのかよ。

 急いで回り込むと、すでに一基しかないエレベーターははるか下方にあった。荒木は思わず、目の前のパネルを台尻で粉砕しそうになった。

 荒木は踵を返した。ガラス越しに見える地上では、既にゴリラ頭の男がライフル片手に走ってビルから遠ざかっていた。


      ***


 ハロウィンでもないのに変装し、小道具を持って全力疾走している一人の男を、周りの人間は好奇の目で見つめていた。さっきまですぐ近くで起きていた狙撃事件に対する危機感など、微塵も持ち合わせていない。

 荒木ももはや、拳銃をむき出しで構えていた。煌びやかなポスターを顔に巻くその姿は〝やつ〟よりも悪い意味で目立っている。

 数百メートル先にいる〝やつ〟は振り返りざまライフルを構え、荒木に向かって発砲してきた。周りからようやく悲鳴が起きる。

 しかしそんな不安定な体勢で放たれるライフルの弾丸など、何の脅威にもならない。荒木ももはや、〝やつ〟に迫らんばかりの勢いでひたすら走っていた。

 そこで気付いたことがある、〝やつ〟の足が遅い。そのうえ走り方も軟弱だ。荒木はこのままだと、もうまもなく本当に〝やつ〟に追いつきそうだった。

 やはり〝やつ〟は戦闘のプロではないようだ。今まで荒木が見てきたどんな狙撃手も、確かに近接戦闘を苦手としていた者が多かったのも事実だが、それでもあんな貧弱な身体能力の者はいなかった。

 荒木は銃をしまい、走るスピードを落とした。もはや、〝やつ〟を撃とうとは思わなかった。ライフル以外武器を持っていなさそうだし、このままいったら弱いものいじめになってしまう。

 しかし、〝やつ〟はことあるごとに振り返って撃ってきた。周りで人が倒れ、壁が砕けていく。だが、もう弾切れのはずだ。

 やはり〝やつ〟は危険人物だ。そしてそういう人間を本来、追い詰めてはならない。窮地に陥った鼠は何をするか分かったものではない。

 荒木の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。



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