Case1―Scene2 邂逅
大学に入学してまもなく、祖父が死んだ。祖父が住んでいた田舎のボロ家に遺産整理に行った際に床下でそのライフルを見つけた時、滝野は天啓を得た気がした。
猟銃免許を持っていたわけでもない祖父がなぜそんなライフルを持っているのかは全く分からなかったが、そんなことは滝野にとってはどうだって良かった。
元々、滝野は高校時代から狙撃に対して特別な才能があると感じていた。
修学旅行で訪れた北海道で撃たせてもらったエアガンで脅威の命中率を叩き出して以来、同じくBB弾を用いたライフルを撃てるスポーツアミューズメント施設に一人で通って腕を磨いていた。
度重なる練習の結果、BB弾はほぼ百発百中で命中するようになり、自分自身の腕にだいぶ自信がついてきた。
大学では競技用エアライフルをしようかと思ったが、実弾で、さらに長距離で撃ってみたいという欲望が抑えられなかった。ただ、平凡な貧乏学生であった滝野にとってはどうすることもできず、途方に暮れていたところだったのだ。
後日、隠した祖父のライフルを取りに行き、その銃身をじっくり眺めていると、その銃から発射された弾丸が人の身体を貫くイメージが、脳裏に明確な姿をもって浮かんできた。そして、自分がその銃で誰かを殺すという事実を、何も疑いもなく受け入れるようになった。
発見したライフルに付属していた銃弾は、全部で五ダース。しかし実弾で練習する場所が、滝野には思いつかなかった。祖父の家の周辺も、今はそこまで世間と隔絶しているわけではない。
それでも、初めて人を撃ったとき、滝野は狙った人物を確実に射抜くことができた。
練習ができない分、様々な映像や記述に触れ、実弾を撃つ際の挙動についての情報を集めた。それらを全て加味し、念入りにイメージする。そしてそれらを用いて、エアガンを撃ったときの自分の感覚と感触を微修正した。
狙っている間、撃つその瞬間まで、限界まで神経を集中させた。自分の身体のわずかな揺れを把握し、スコープが確実に標的を捉えたその瞬間に、滝野は引き鉄を絞った。
スコープの中が一面の赤に染まった。滝野は、思っていた以上の反動に、その場に崩れ落ちた。そのときは再びスコープを覗き込む勇気が滝野にはなかった。あとから、撃った男が長く苦しんだ末、数時間後に死んだことを知った。
頭を狙わなかったからだ。身体にあんな大きな弾丸をくらったまま死ねないのは、どれほど苦しい事だろうか。だが、滝野にはまだ人の頭という小さなものを狙う技量はなかった。せいぜい、人間の身体全体が限度だ。
まあ、それも仕方がない。あの男が誰かも全く知らないが、未熟な自分に狙われた彼の運が悪い。次はもっと改善されていることだろう。
***
すっかり初夏の陽気になったその日は、いつもとは少し違っていた。
いつも通り、何食わぬ顔でビルに潜入し、そこから見える人間を撃つ。誰か特定の人間を狙っているわけではないので、気は楽だ。その日のコンディションが悪ければ、やめれば良い。やめれば何も起こらない。
今までは特にこのような違和感を覚えたことはなかった。屋上ではすべてが弛緩するような気温なのに、なんというか皮膚が、ひりつくのだ。
しかし滝野に自分を止めることはできなかった。ここまで実行するのに、計画、調査から何から綿密にスケジュールを立てて行ってきたのだ。滝野は自分の予定が変わることを極端に嫌っていた。
いつもより変に高揚した気持ちで、ライフルを構える。手早く標的を決め、引き鉄を引く。その弾は肩を貫通した。
いけない。これでは相手を苦しめてしまう。滝野は急いで、もう一度引き鉄を引いた。
その弾丸は標的の胸を貫通した。しかし最後に見た被害者は、まだ動いていた。人を撃つなら即死にする、最初に人を撃った時、そう決めたはずなのに。
滝野は今、もう他の人を撃つ気にはなれなかった。
その場に伏せて少しの間放心状態になっていると、聞き慣れない音がした。
オートバイ?
顔を少しだけ上げて、地上を覗く。すると、真っ黒な大型バイクがこのビルに近付いているのが見えた。
乗っている人間も、真っ黒の革ジャンとフルフェイスのヘルメットに身を包んだ、黒ずくめの男だった。見ているだけでこっちが暑くなってくるような出で立ちだ。
もちろん自分には何の関係もないだろう。しかし嫌な胸騒ぎがした。滝野はとっさに、決めていたものとは違った経路で下に降りることにした。
駐車場に直結している非常階段ではなく、よりメインエントランスに近い、人通りの多いエレベーターで、一階まで。
多くの人間に自分が目撃されるのは嫌だったが、それでも、絶対にこうした方が良いという自分の確信は変わらなかった。
帽子を目深にかぶり、周囲の会社員や買い物客の中を突っ切る。それでも、下見のときより人数が明らかに少ないのは、狙撃事件の野次馬となって外に出ているからであろう。
裏口から外に出る。いざという時のために、カゴ付き台車の中には配送業者に見えるような上着を入れていた。
何食わぬ顔でビルの正面まで回り込み、開いていた荷物搬入口から地下に降りる。
駐車スペースではないところに、上から見た黒いバイクが無造作に停められていた。しかし、周囲に人影はない。滝野は急いで車に駆け寄り、ライフルと台車を放り込んだ。
滝野はもちろん理性では、あれが自分に関係があるわけがないともちろん分かっていたが、本能が自分に一刻も早くここを離れろと告げていた。こんなことは初めてだ。
ビルからも殺害現場からも数百メートル離れたところまで来て、滝野はようやく停車し、振り返って自分がさっきまでいたビルを眺めることができた。
それほど長い時間見ていたわけではなかったが、屋上に一瞬、黒い人影が動くのが見えた。
その人影はもうヘルメットをかぶっているわけではなかったが、おそらくあいつだろう。顔は見えなかった。明らかに自分は狙われていた。あれは誰だ?
***
あれが一体誰なのか、滝野には見当もつかなかった。明らかに狙撃後の自分を、あの男は狙ってきていた。
自分のこの活動について知っている人間は誰もいないはずだ。SNSもしておらず、大学にも友人はほぼいないため、そもそも言う相手がいない。
自分が起こしている連続狙撃事件について、テレビのニュースで連日大きく報道されているのは滝野もかろうじて認識していた。警察は血眼になって自分を探しているらしい。
しかし今まで目をつけていた場所で警察に先回りされていたことはないし、狙撃後すぐにその場を離れれば、警察に一切鉢合わせすることなく帰宅することができた。ここまで自分に迫ってきたのはあの男が初めてだ。
滝野はモヤモヤした気持ちを抱えたまま車を停め、玄関の扉を開けた。
すると目の前に、父親が仁王立ちしていた。まずい。滝野は今、父親のゴルフバッグをしっかりとその手に持っているのだ。
「どこに行ってたんだ。なぜ、私のゴルフクラブを持って私の車で外出していた?」
父親は身も心も厳格な教師だった。だが、非常に良い父親でもあった。今も、まずは息子の口からその弁明を聞こうとしている。
「父さんこそ、帰ってたんだね。今日は仕事じゃなかったの?」
滝野は何とか、ここでの揉め事を避けたかった。父親は滝野が手に持っているものを〝ゴルフクラブ〟と言った。ということはまだ、この中身がライフルにすり替わっていることを、気づかれてはいない。
「話をそらすんじゃない。私の目を見なさい」
滝野はようやく父親の目を見ることができた。
「私のゴルフバッグには手を触れるなと言っているはずだ。あと、車も使う時は先に一声かけろと言っていただろう」
「ごめん、父さん」
「ただ謝れば済むというものじゃないだろう。人の物を勝手に持ち出してはいけないということは、小さな子どもでも分かるルールだ。その年にもなってまだ、その考え方が身についていないのか?」
「ごめんよ、父さん。もうしないから」
「ああ。それは当然だ。あとさっきから話をそらすなと言っているだろう。私は〝なぜ〟と聞いているんだ。お前だって理由なく持ち出したりはしないはずだ」
これ以上こじれてしまうと、この父親は厄介だ。だが、滝野はすでに何とか言い訳を考えだしていた。
「友達にゴルフに誘われたんだ。でもレンタル代とか交通費がもったいなくて」
それを聞いた父親の頬がようやく緩んだ。
「そうか。それなら言ってくれたらよかったんだ。そういうことなら両方快く貸したぞ」
「違うんだ。ゴルフに行くなんて言ったら今度から父さんに誘われるようになるかと思って」
父親は苦笑した。
「確かにそうかもな。まあ経緯は分かった。今度からはちゃんと声をかけろよ」
そう言って父親はリビングに戻っていった。滝野の背中からは、今までで一番多量の冷たい汗が噴き出ていた。滝野はいつものルーティンとは違い、自室でゴルフバッグの中身を入れ替えるため、音を立てないようにそっと階段を昇った。
後から話を聞くと、今日、父親は体調が悪くなり、午後から帰宅していたそうだ。さっきのバイクの男も含め、今日はイレギュラーなことばかり起こる。自分のペースが乱されていることに、滝野は非常に苛立っていた。
だが、そんな素振りを微塵も見せず、その晩の食卓を家族三人で囲む。その光景は皆が和やかな、平凡な日本の家庭そのものだった。
父親もあえて昼のことを掘り返したりはしない。滝野も、自らの荒ぶる感情を完全に封じ込め、その場に相応しく振る舞っていた。
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