幕間1
午後三時、有楽町ガード下にある居酒屋に、それまで客は一人もいなかった。年季の入った引き戸がガラッと開いて、筋骨隆々で白髪の男が一人店に入ってくる。
カウンターの向こうで、その居酒屋を一人で切り回す店主がいつものように「いらっしゃい!」と歯切れのよい口調で声をかけた。店主自身も、気持ちの良い壮年の男だ。
「おう、アラさんじゃない」
「やあ、マスター。いつもの頼めるかい?」
アラさんと呼ばれたその男は店主がいる正面の椅子に座った。
「マスターはやめてよ。言ってんのアラさんだけだよ?」
と言いつつも冷蔵庫からラップがかかった器を取り出す。
「いつものってあのポテトサラダ?」
「もちろん」
「ホントに言ってる? 〝いつもの〟でポテトサラダ頼む人普通いないよ?」
と言いつつも、店主はよく冷えたガラス製の器をアラさんの前に置いた。
「この味のために通ってるんだ。他の奴のことは知らん」
アラさんがポテトサラダに舌鼓を打っていると、また表の扉が開かれた。そこには痩身の、まだ若い男が立っていた。
「おっ、タッキーじゃない! 久しぶりだねえ」
店主が、荒木と同じようにその青年に声をかけた。
「彼も常連?」
アラさんが口をモグモグさせながら訊ねる。
「そうそう。君とおんなじくらいの時から来てるよ。考えてみれば、君らが会うのは初めてだねえ」
「どうもご無沙汰してます」
腰を低くしたまま、その男は店に入ってきた。
「大学は、最近どう? このへんなんでしょ」
「いやー、あんまり行けてないですね。キャンパスには来ても、授業を受けるのはなんか億劫になっちゃって」
タッキーはそう言ってアラさんの右側、一つ飛ばしの席に座った。
「すみません。とりあえず生で」
「そうそう、そうこなくっちゃ」
そう言って店主は並々と注がれたジョッキをタッキーの前に置いた。
「アラさん、居酒屋ってのはこういうとこだよ。君みたいに酒も飲まずにいきなりポテトサラダかっ食らう場所じゃないんだよ」
「いいだろ。俺は酒を飲まないんだ」
「じゃあ、なんで居酒屋くるのよ~~」
「客に向かって何て言い草だ。ポテトサラダの作り方さえ俺に教えたら、もう来ないぞ」
「それはそれで困るなあ」
わいわいきゃっきゃと話す二人のおじさんを、タッキーは困惑した表情で見ていたが、やがてぼそっと「仲良さそうですね」と呟いた。
「どうしたの、まだまだ若いものが。君だって僕にとっては大切なお客さまだよ?」
「はあ、ありがとうございます」
「僕らがこんな風に会話できてるのはやっぱり年の功だよ。確かに若いうちは世間話なんてなかなかできないよねえ?」
店主はそう言ってアラさんの方を見る。
「いや、マスターが特殊なだけだ。普通は人に対してそんなにズカズカ踏みこんでいけない」
アラさんが顔を上げた。ポテトサラダはすでに五皿目に突入していた。
「君、ポテトサラダだけで1日のエネルギー全部摂取する気?」
店主はタッキーの方に視線を戻した。
「この人はずっと海外にいたらしくてね。帰ってきてすぐに食べたここのポテトサラダが忘れられなくなって、けっこう頻繁にここに食べに来るんだよ。それも決まって今みたいな時間に」
「他の客にべらべらと俺のことを話すな」
「まあまあ、いいじゃない。タッキーも、今まで会わなかったことが不思議なくらいおんなじような時間に来るんだよ。二人はこれから良い友達になれるんじゃないかな」
店主はそう言って、アラさんの右肩とタッキーの左肩をポンポンと叩いた。
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