第66話
いつもの教室。
生徒の声で賑わっているその空間は、今日は驚くほどに静かだ。その代わりに校内のあちらこちらから騒がしい声が聞こえてくる。
ちらと隣を見る。
そこには上機嫌な詩乃がいた。
そこにいるはずのない彼女の存在が、いつも見ているこの風景さえも非日常に思わせる。
「なんか変な感じだ」
ぽつりと漏らす。
一面に広がる緑の木々の中に一本だけ桜の花を咲かせた木が立っているような違和感。
「わたしも同じことを思ってました。年齢も住んでいる場所も、学力だって違うわたしたちがこうして机を並べて座ることはないですもんね」
「うん」
もしも。
こんな景色が現実になれば、それはどれだけ楽しいことだろうか。
きっと毎日がきらきらして、俺は億劫に思っている登校さえ、鼻歌混じりに済ませてしまうに違いない。
いや。
そうでなくとも。
思い返せば、学校に来るのも嫌ではなくなっていた。
友達がいなくて、楽しいこともなくて、勉強が嫌いな俺は学校に対してネガティブな気持ちしか抱いていなかった。
けど。
詩乃と関わり始めて、いろんな考えが改まった。
学校でなにがあっても、詩乃とゲームをすれば、詩乃と些細な話をすれば忘れられた。
だから学校に行くのも苦ではなくなって。
「そういえば」
ガタン、とイスを引いた詩乃はこちらを睨みながら寄ってくる。
さっきの今でどうしてここまで感情が移り変わるんだ。
「こはちゃんが」
「こはちゃん?」
ああ、久那さんのことかな。
確かあの人、久那小春だったし。
「ハルくんと呼んでいたように思いますが?」
「……あ、ああー」
じとー、と恨めしそうな睨みをこちらに向ける。俺はただただ視線を逸らす他ない。
「いろいろあってさ」
「いろいろとは? まさか浮気!?」
「違う違う! そういうんじゃないよ!」
「こはちゃんは可愛いし、同じ学校に通うというわたしには得し難いアドバンテージを持っているし! これは浮気ですねそうなんですね!?」
「そんなんじゃないってば!」
暴走するとこちらの話を聞こうともしなさそうなので、俺は仕方なく最近の出来事を話した。
別に本当に大した話ではなくて、なんとなく流れでそうなってしまったということは理解してくれた、と思う。
「それでもハルくんは特別だからダメだと断るべきでしたけど!」
「……久那さんの勢いに負けてさ」
あの人はなんというか、独特のペースを持っている人だ。こちらが流れを掴もうとしてもあれやこれやとペースを乱してしまう。
まあ、それも意図的であるわけで、意識すれば空気を読むことも集団に馴染むことも容易なのだろうが。
さすがはアイドルだ。
「時折思います。ハルくんがわたし以外の人を好きになったらどうしようって」
グラウンドはいろんな屋台が出店されていて賑わっている。生徒も、外部の人も笑顔で楽しそうに歩いていた。
そんな光景を窓から見下ろしながら詩乃がぽつりと呟いた。
「……えっと」
なんと言おうか悩んで、俺は言葉を詰まらせた。
そんなことあるはずないじゃん。
そもそも友達いないんだぞ。
俺を好きになるもの好きは詩乃くらいだ。
どれも間違いなように思えてしまう。
正解なんてきっとないんだろうけど。
「わたしよりも良い人がいて、その人がハルくんのことを好きになって、アプローチでもしようものなら、ハルくんはわたしを捨てるんじゃないかって」
それを思うのは俺も一緒だ。
何ならば、俺の方がいつも、常に、強く、激しく思っている。
詩乃は魅力的な女の子だ。
彼女はアイドルで、その周りにはきらきらした人たちが多くいる。
その人たちは皆、俺なんかが太刀打ちできないくらいに秀でた人なのだ。
イケメンだったり。
ユーモアセンスに溢れていたり。
お金を持っていたり。
もしも詩乃がそんな人たちに惹かれてしまえば、きっとこの関係は終わってしまう。
そう思うと胸が苦しくなって、辛くなる。
だから、極力考えないようにしているのだ。
「それは俺も思うよ。きっと、詩乃よりもずっといっぱいの不安を抱えてる」
多分、本音を漏らすときなんだと思い、俺は考えることをやめて思ったことを口にした。
「自分に自信がないからなんだろうな。周りよりも自分が劣ってるって無意識にでも感じてるからそう思っちゃうんだ」
よほどの自信過剰な人間でない限り、劣等感というのは抱くものだろう。
それが大きいか小さいかの違いだ。
そして、それを少しでも薄れさせようと人は努力をする。自分を磨くのだ。
「お互いいろいろ思うことはあると思う。それを話すことで少しでも和らげるのなら、これからは何でも話していこう」
これくらいしかできない。
不安を言葉が解消するのなら言葉を交わそう。
言葉だけが信じられないのなら行動で示そう。
そうやって互いの気持ちを通じさせていくしかない。
「それじゃあ一ついいですか?」
ちら、とグラウンドに向けていた瞳をこちらに向けた。その瞳がゆらゆらと揺れているのは不安のせいか、あるいは別のなにかか。
「なんだ?」
「わたしのこと、好きですか?」
まっすぐ。
ストレートに。
誤魔化すことなく。
単刀直入に訊いてきた。
好き、という言葉を口にするのはどうにも恥ずかしくて照れてしまう。
だからか、俺は無意識にその言葉を口にするのを避けていたのかもしれない。
「好きだよ。誰よりも好きだ」
ここはこちらも真剣に向き合うべきだと思い、俺は思い切って気持ちを伝える。
顔が熱い。
きっと赤くなっているに違いない。
だって、言われた詩乃も顔を真っ赤にしているのだ。俺がそうなっていないわけがない。
「わたしも好きです。大好きです。でも、まだ足りないです」
「足りない?」
「ハルくんの好きが、わたしの好きと同じくらいなのかわかりません!」
そんなこと言われても。
気持ちの強さを数値化する機会があるわけでもあるまいし。
そんな俺の考えが伝わったのか、詩乃がまっすぐに俺の目を見つめながら続ける。
「態度で示してください」
「態度?」
「行動です! ハルくんの好きがどれほどのものか、わたしに見せてください!」
「そう言われましても」
両手を広げて「これくらい好き!」とか言えばいいのだろうか。
そんなんで伝わるのはせいぜい小学生までだろう。いや、最近の小学生は利口だからそんなん通用しないだろうな。
幼稚園児までだ。
しかし俺は高校生、詩乃なんてもう社会人だ。そんな子供騙しな方法で納得できるはずがない。
「……」
詩乃は俺から目を逸らさない。
「……」
そうだ。
俺たちは子供ではない。
子供というには大きくて、けれど大人と呼ぶにはまだまだ幼い。けれども、確かに俺たちはその階段を一段一段上っている。
今だってそうだ。
俺たちはまた一歩、足を踏み出そうとしているのだ。
「分かった。見せるよ」
俺はゆっくりと詩乃に近づく。
彼女はそれに一度小さく驚き肩を震わせる。けれど、退くことはせずに俺を待つ。
心臓がバクバクと激しく脈打つ。
その音がやけに大きく聞こえるのは気のせいではないだろう。
俺たちは見つめ合う。
じいっと。
目を逸らさない、というよりは不思議な引力が働いて逸らせないような、そんな感覚に襲われている。
それは詩乃も同じなのかもしれない。
彼女もまた、目を逸らせないでいるのが何よりの証拠だ。
「……」
「……」
そして。
その不思議な引力に引き寄せられるようにして、俺たちは唇を重ねた。
ふにゅ、と柔らかいものが俺の唇に当たる。
互いを求め合うような、愛を確かめ合うようなものではない、まるで子供のお遊びのような軽いキス。
どうしてか、今はそれでいいような気がした。
僅か数秒。
重なっていた唇を離す。
朱色に染まる詩乃の顔がそこにあった。きっと俺も同じくらい、いやそれ以上に赤くなっているだろう。
「これでいいか?」
「はいっ」
にひ、と照れ隠しをするように笑った詩乃を見て、俺の心臓は高鳴った。
ああ、俺はこの子のことが好きなんだ。
何度も何度も感じたこの気持ちを、何度目かも分からないけれどもまた実感した。
そうして、きっと、俺たちは歩いていくのだろう。
なんとなく、そう思えた。
ひっそりとゲーム配信をしている俺に大人気アイドルからコラボ依頼が届いたんだが 白玉ぜんざい @hu__go
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