幕間──望力∶会合.旧き濡鴉之姫.ver.1.1
──ヴォルドは拳を振り抜こうとしたままの姿勢で静止していました。
ベンや私は勿論の事、ヴォルドも自身の身に何が起きたのか理解出来ていない様子です。ソレはきっと、正しい反応なのでしょう。普通に考えれば、体格の良い男の──それも格闘家の一撃を、ただの人間である筈のトートが片手で止めているのですから。
そんな、あり得ない光景を目の当たりにして固まる私達を他所に、悪い笑みを浮かべたままのトートが口を開きました。
「煽った私も悪いが、言葉より先に手を出すのはいただけねぇよなぁ?」
彼は咄嗟に拳を引き、今度は反対側の拳を繰り出します。躱された結果、拳は床に敷き詰められた煉瓦へと当たり────鈍い振動をともなって幾つかの煉瓦を砕きました。これを目の当たりにしても、彼女は取り乱す素振りすら見せません。私の見間違いでなければ、嗤っていたような気がするのです。
そうして空を舞う蝶のように全ての攻撃を避け、ある程度経った瞬間──彼女は再び彼の拳を受け止めました。
「やっぱお前、
「だからなんだってんだ」
「いや別に。そんだけヤッといてこんなもんかと思ってな──」
「は、ぁ──っ!?」
彼女は拳を止めていた手をスルリと外し、流体めいた足捌きで相手の懐へと潜り込みます。やや離れた位置から見ていた私でさえ、その姿を追うので精一杯。超至近距離にいる彼からすれば、一瞬にして姿が消えたと錯覚を起こしていた筈です。
「───テメェにゃがっかりだぜ、ヴォルド!」
そんな言葉が聞こえたと同時、彼女は鋭く踏み込むと肘頭を相手の鳩尾目掛け打ち込みました。勿論彼が防御姿勢など取れる理由もなく、鳩尾を起点に体をくの字に折り曲げたままゆっくりと後ろへ倒れたのです。
……死んでは居ないようですが、その顔は苦悶に歪みきっていました。相当に苦しいのか、胸を両手で押さえたまま小刻みな痙攣を続けています。彼女はそんな彼に近づくと、どこからか取り出した
「さてと……ベン、コイツの登録情報を貰えるか?」
「あ あぁ、構わねぇ け、けどよぅ。 その、ど ど、どう、して そんな も、もんを?」
「
手渡された資料に目を通しつつ、彼女はそう答えました。ベンはソレで通じたのか、それ以上の追求をする気配がありません。そこから暫し彼女は資料を捲り「施術所は──あぁ、アイツのところか」と納得したような表情で口にしました。傍目から見て居て──施術の内容や施術所について気にならないといえば嘘になります。けれどそれ以上に気になるのは、彼女の体捌きと剛拳を受け止めた理由。
彼女とそれなりの時間を過ごし、触れ合ってきた身としては理解に苦しみます。日常生活において彼女が物を壊した記憶もありませんし、重量物の運搬に苦戦していた姿を見たことがあります。ソレ故に、先の光景へ強い違和感を覚えました。
「トート、身体はなんとも、ない……の?」
読み終えたであろうタイミングで声を掛けると「全く問題ないよ」と素っ気のない答え。なので、そこから一歩踏み込んで「格闘技の経験があるの?」と尋ねれば、先程と似たような声音で「多少はある」という返答。彼女は触れてほしく無さそうな雰囲気に変わっていましたが、遠巻きに見ていたベンの表情は輝いているようでした。
「ベン……さんは、昔のトートを、知ってるの?」
「し 知ってる、さ。け け、けど、オイラのく、口から は、言え、ねぇ や」
「そう。なら、仕方ない」
「や やけに き、聞き分けが良い ん、だな」
「少し前のやり取りを、思い出したから」
彼が口にした「また見れるのか?」という言葉に対し、彼女は「その話はナシ」とはっきり断っていたのです。あの時の態度と声音から想像するに、なにか言いたくない事情が在るのでしょう。
そして先程見せたあの体捌きは、多少知っている程度の人が出来る様は代物では無いのです。引き込む様にして相手の拳をいなし、超至近距離で肘を叩き込むなど咄嗟に出来る動きでしょうか? 少なくとも私には出来ません。
「────懐かしい音が聞こえたと思ったら、やっぱり君だったか」
突如として聞こえたのは凛とした女の声。振り返った先に居たのは、先の試合でヴォルドを一撃で倒した選手──名前はサクラ。容姿は可憐そのもので、こんな場所には似つかわしくありません。濡烏を思わせる黒髪には、濃紺のインナーカラーが施されており、一目で彼女だとわかるモノでした。
「ソフ……っ、───サクラ、お前がまだこんなところで演ってたなんて驚いたよ」
親しげに触れてくるサクラに少し驚いた様子を見せつつも、トートはどこか懐かしんでいるかの様な表情です。しかし何故、彼女は名前を言い直したのでしょう?
「たまの息抜きみたいなものだよ。それよりもトート、この子は誰かな?」
「シオって名前の
トートがいつもの調子で答えると「ふーん、預り者かぁ」なんて言葉を独りごちながら、私の顔や手足をまじまじと見つめてきました。若干、品定めをされているかのような錯覚を覚えましたが──
「──君、親はルーザー•アンブロシアで間違いないね?」
突如、耳打ちのような形でかけられた言葉に体の芯が凍てつくような思いをしました。他の二人には聞こえていないのか、トートもベンも特に目立った反応はありません。
未だ離れない彼女へと根拠を尋ねると「まぁ被造物には創り手の個性というか、趣味趣向が含まれるからさ」と非常に小さな声で答えてくれました。
するりと離れた直後、彼女は朗らかな笑みでトートへと向き直り「この子って実は凄い可愛かったりするんじゃないかな?」と聞いたのです。
「……お前さんの想像通り、そいつは可愛いし綺麗なやつだよ」
その答えを聞いた途端、彼女の表情に軽い疑問のような
「ねぇトート? この子にお洒落させてあげないのはどうしてかな」
彼女の疑問に対し、トートは「聞かなくてもわかってる癖に」と素っ気なく返しました。そして彼女は再びコチラへと向き直り「シオちゃん──でいいんだよね。君はお洒落に興味があるのかな?」と、人好きのするような笑顔で問いかけてきたのです。
「興味は、あります」そう答えた瞬間、彼女の笑顔はさらに明るいものへと変化していました。しかし何を思ったのか、トートが止めに入ったのです。
「サクラ。お前がそういうもの好きってのはわかるが、コイツをあまり焚き付けてくれるな。元々が良いんだから、手を加えたら──」
「──襲われるから止めてくれ、っていうんだろう?」
彼女はトートの言葉を遮る様にして言葉を被せ、ほんの少しだけ意地の悪い笑みを向けたのでした。「わかってるなら何故?」と口にしたトートを無視して彼女は言葉を続けます。
「僕はね、自由意志を尊重したいんだよ。ただの人間であれ、
そう言い切った彼女の顔付きは、とても儚げで優しいモノでした。けれどそれは──ほんの一瞬だけのモノで、既に彼女はトートへと向き直り「だからトートにも僕の技を教えた。そして君はそれを上手く使いこなして自由を謳歌しているのだろう?」と笑いかけていたのです。
トートは答えに詰まったのか、寸秒の間を挟んだ後に「その通りだ」と半ば諦めたかのように言葉を漏らしました。ソレを目の当たりにした彼女は愉快そうに笑って、私へと向き直ると──
「──さぁ、君はどうしたい?」
そう言って、左手を差し伸べてきたのです。
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