Episode.Achtzehn. Seelen wächter.2 ver.1.1
「…………だから奴らの目に止まった。興味を向けられてしまった」
語る彼女の口調が、いつの間にか重く低いものに変わっています。その視線はもう私から外されていて、閉ざされた窓へと向けられていました。
「誰の目に、とまったの?」
「ディヴィニティ・イッツェル。オルヴィエート研究機関所属、人体工学科の統括だ」
人体工学科と聞いても、あまりピンと来ませんでした。
「……いや、
「それは、一体どういう……?」
「人間誰しもヒトには言えないモノがあるもんだ。イッツェルの場合、それが原因でオルヴィエートを追放されたと言ってもいい」
曰く、イッツェル氏は人間の身体に興味が在ったと言うのです。老若男女関係なく、人間の肉体のみを深く愛し、異様な程の執着を持ち合わせていたとの事。人体工学科で統括になったのも、自らの欲求を満たす為のモノであったとも。
「その欲求、っていうのは……どんな、ものなの?」
「アタシも詳しくは知らないさ。わかってるのは、アイツが人間を含めた
そう言い切ったと同時に、彼女は近くの壁を強く殴りつけました。余程力が入っていたのでしょうか? ボルドーカラーの壁には小さな凹みが刻まれ、割れた下地材が壁紙の裏から控え目な自己主張をしています。
静かな怒りを孕んだ声で言い終えた彼女の唇には、小さな赤い軌跡が残っていました。よく見れば、その両手にも血が滲んでいたのです。触れれば火傷する──なんて表現を耳にしたこともありましたが、今の彼女はまさにソレといった様相をしています。
かける言葉を間違えれば、その熱は私に牙を剥くのでしょう。流血する程に強く握り込められた拳も、固く結ばれた口元も解かれる気配は一向にないのです。
そしてこれ程の怒りを直に見るのは、産まれて初めての事でした。
「……悪いな。こんなモン、お前に向ける意味もないし、今更燃やすようなモノでもねぇのに抑えきれなかった」
数分後、彼女は深い溜息と共に天井を見上げ疲労の色が混じった声を漏らしました。表情は見えませんが、先程の気配は既にありません。
「トートは、どうして……この話をしようと、思ったの?」
「話すべき事柄だから話したに過ぎない」と、気怠そうに答えた後「……仔細は省くけど、
「──アタシは元から人間の魂に興味がなかったんだよ……魂というかこう、人格や感情といった魂の構成物質という方が正しいな。兎に角ソレらはあって然るべきものだった、当たり前にあるものとして認識していたんだよ。だから興味が持てなかったし、当然のように
けれど実際は違ったと言うのです。その事実はなんの前触れもなく、春風のような柔らかさで彼女の心に触れてきたと言いました。
その知らせの発端は、オルヴィエートが発表した新しい
既に発表から十余年経っていますが、未だにコレを越える
「……この
「なぜ? トートは、イッツェルさん……? と、仕事をしていた訳じゃ、ないんでしょう?」
「そうだ。アタシはサレニ女史と同じ生命化学科に所属していた。
アタシはその考え方が好きだったから彼女の下に居たんだが……今じゃこの有り様ってわけだ。糞溜で好き勝手やらせてもらってる」
自嘲気味なトーンでそう言うと、彼女はワインセラーらしき棚から新たに一本開けました。ソレを先程と同じ様に飲み、口元についた分を手の甲で拭い去ります。『フランセも悪くないが、やっぱりブリッツェンのほうが良いな』なんて上機嫌に笑ってはいますがそれは無理やりというか、酷く嘘くさいものでした。
「──なぁ、お前はアルクランヴィス漁村の大虐殺を知っているか?」
それは唐突な問いかけでした。
「名前だけは、知ってる。詳細はよく、知らない」
──アルクランヴィス地方。その最東端に在った小さな漁村は、ある日突然滅んだとされています。生き残りは確認されず、住人達の死体は酷い有り様だったとの事。また奇妙なことに、全ての住人達は頭部のみ潰されていたと言うのです。
犯人は不明。獣害とするには確たる証拠が確認されず、人災だとしても謎が残る。そんな不可解極まりない事件が「アルクランヴィス漁村大虐殺」でした──
「あの事件があってから
原因がなんであれ、村が一つ滅びているのに報道されていない──これには強い違和感がありました。けれどそれ以上に気になる点がある……そんな気がしてならないのです。辻褄の合わないなにかが、ずっと横たわっているのに見えてこない──そんな感覚が拭いきれません。
「記述がないのなら、誰かが意図的に消してる……という事?」
「だと思う。オルヴィエート内でも、
影のある声でボヤくように言葉を漏らすと、続く言葉を流し込むようにワインを煽ります。ソレを二度、三度と繰り返せどその表情が明るくなることはありませんでした。
……この件は誰かが意図的に消そうとしている。それだけはハッキリとわかります。だからきっと、生き残りが居るとすれば確実に消し去ろうとすることでしょう。そうなれば姉妹が生きている可能性は、限りなく低いものになると私は思うのです。
「──けどな、シオ……私はあの姉妹が確実に、今もどこかで生きていると信じてる。少なくとも妹のカルロチャプは大人しく殺られるような奴じゃない。姉のマリアスは優し過ぎるが──追い詰められたら何をするかわからんし、それこそ『
馴染みのない単語もいくらかありましたが、ソレはどうでもいいことです。
「……でもトート。その事件はもう、何十年も昔の話……その姉妹は、何歳になるの?」
そうなのです。アルクランヴィス漁村大虐殺は既に
「──
思考を巡らせた束の間。彼女がとんでもない事を口にしました。もしソレが本当ならば長寿、なんて言葉で片付く話ではありません。
「……どういう、ことなの?」
「原理は不明。アタシらも解き明かせなかったし、長でさえ知らなかったんだよ。勿論姉妹だってわからないと言っていた。テロメアの異常が原因なのかわからんが、
諦観した声音でそう言い切ると、彼女は手にしたワインを一気に煽り部屋を出ていってしまいました。
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