Episode,Achtzehn. Seelen wächter,1.ver.1.1
私の精神性が、異質? ……彼女の言葉の意味がわかりません。トート、貴方は何を以て私の精神性に異を覚えたのですか?
この問いが口をつくよりも早く「──異質といっても悪い意味じゃない」と、彼女は話を続けました。
「そもそも
──ですがそれもまた腑に落ちないのです。街の皆さんは私の事を、一般的な
住民との交流は無く、物品の売買に必要な最低限のやり取りだけがそこにはありました。人間同士が交わすような会話を出来たのは、マスターであるルーザー•アンブロシアだけなのです。
「──そして先程の質疑応答から察するに、兄貴はお前の事を人として育てようとしていたのだろうな。本来ならそんなモノは無意味だが、お前には意味があった」
「なぜ、無意味なの? 私には意味があるって、どういうこと?」
私の言葉に対し、彼女は驚いたような表情を一瞬浮かべると「それは本気で言ってるのか?」と言葉を漏らしました。それに対して頷くと、彼女は訝しんだ表情のまま小声で独り言ちます。そのまま数十秒程経った後、幾つかの質問をされました。
その内容は
欠落しているそれらの代わりにあったのは、人らしく生きるにはどう考えればよいのかという基本的な思考則のみ。本来であれば覚えるべきソレらが無い為に、私は不要な損傷を受けたと彼女はいうのです。
「──本来、
曰く、
「そして人間が法律を厳守する際に障害となるモノが一つある。それがなんなのか、わかるか?」
ピンとくるような答えは、私の中にはありませんでした。法律は厳格に定められたものであり、是か否かは誰でも判断出来るようになっている筈なのです。グレーゾーンのないモノを相手に、なぜそのような事が起こり得るというのでしょうか。もし判断に迷うというのなら、それは誰かの思惑があってこそ起こり得るもの──
「──……もしかして、利権?」
私の答えを耳にした途端、彼女は酷く大きな溜息を一つ漏らし「それもあるが、もっと根本的なものさ」と言葉を漏らしました。その顔には落胆の色が濃く出ていて、若干の怒りも混ざっているようです。
「根本的なもの……お金、とか」
逡巡した末の答えを彼女は鼻で笑い「お前さんが
「──まぁ答えは感情だ。一度くらいは情状酌量の余地ってのを聞いたことあるだろ?」
「稀によく、聞く」なんて返すと、彼女は実に嫌そうな顔で「どっちだよそれ」と鋭い返しをしてきました。
「…………生きた人間が感情を失うことは殆ど無い、っていうのは聞いたことくらいあるだろう?」
「うん。感情は、人間だけが持っているものだもの。心的外傷によって、一時的に無くす事はある。けれど、それを失うなんてことは、あり得ないって」
私の答えに「そのとおりだ」と返す彼女は少し歪な笑みを浮かべて居ました。それは楽しくて笑っているのではなくて、
「けどなぁシオ。失う事は無くとも──
「……どういう、こと」
「どうもこうもなにも言葉通りの意味だ。お前さんは喜怒哀楽といった感情が、スッポリと抜け落ちたまま生きている奴も居ると考えたことはなかったか? 感情が無いのに人らしく振る舞える奴がいると、一度でも考えたことがあるか?」
「そんな事……考えも、しなかった」
感情表現が苦手な人もいる──そんな話はマスターから聞いたことがあります。また人間は個人間において、感情の起伏に差異があるかどうかを調べた時もありました。人間の事が──人間のもつ感情というものに興味を持って、色々と調べたのに『感情を持ち合わせていない』人が居るなんて思いもよらなかったのです。
「……驚くのも無理はないさ。私だって実際に目の当たりにするまでは半信半疑だった」
彼女曰く、感情は疎か
彼らは独特な文化を持ち合わせながらも、非常に友好的であったといいます。とはいえ、言語の壁により明確な意思疎通が出来るようになるまでそれなりの時間が必要だったとの事。
「
そう口にする彼女の顔は、先程よりも少し優しいモノになっていました。懐かしむような声音のまま、彼女は件の姉妹について言葉を重ねます。
「姉妹の姓はヱーギル。姉はマリアス、妹はカルロチャプと言う名前だ。あの姉妹とはかなり早い段階で打ち解けることが出来たんだよ。どういう理由か知らないが、あの二人だけがアタシらの言語をかなり正確に理解出来ていたからな」
曰く、その二人だけが特に高い学習能力を持っていたとの事。単純な文法や言葉の意味だけでなく、抽象的な概念についての解像度も高かったそうなのです。そして姉のマリアスには常軌を逸した好奇心が見られたらしく、本国における最高研究機関──オルヴィエートにも招かれていたのだとか。ただし妹の方は科学技術を嫌悪していたらしく、足を踏み入れた事はなかったとの事でした。
「トートは、オルヴィエートに務めてたの?」
「まぁ、うん……アクバル・サレニっていう人と一緒に働いてた」
サレニ、と口にした彼女の表情が一瞬だけ曇ります。その曇り方は私の知らないものでした。喩えの一つとして「後ろめたさを感じさせる」というものがありますが、そんなモノでは言い表せない程に深く、絡み合った感情がソコには含まれていたのです。
「……私はそこで人体の構造について研究してきたんだ。ヴィクター・フランケンシュタインが夢想し、苦労の果てに産み落としたソレがどうやって生まれたのかを識る為にな」
感傷に浸るような声で、彼女は話を続けます。
「アタシら兄妹で同じ研究をしていたんだ。そうしてある程度進んだ後、アタシは人造人間の運動機能を司るモジュールの構築を進め、兄貴は記憶や人格といった魂に関わる部分を専攻していくようになった。それと並行して
その結果、二人は外見美と機能美を兼ね備えた最上級の屍体調律技術を手にしたのだと言います。しかし二人揃って地位や名声に興味がなかったらしく、そういった
「その過程で兄貴は
なぜ騒ぎになったのかといえば、
「あたしの目から見てもメイシェラは良い女だった。一緒にいて元気になるっていうか、癒やされる感じで──見た目はお前とそっくりだったよ。特にその、優しい空の色を映したかのような瞳は彼女を思い出させる」
そこから暫し彼女はメイシェラの事を教えてくれました。トートから見た彼女は『純真無垢な少女』だったそうですが、話を聞く限りその通りとしか思えません。また話に合わせ、彼女はいくつかの動画を見せてくれました。それらは長くても5分程度の短いものであり、本当に些細な日常を切り取ったファミリームービーを思わせるモノでした。
映っているのは主にマスターやメイシェラで、トートや職場の同僚らしき人達が映っているモノもあります。皆表情豊かで、とても微笑ましい光景がソコにはあったのです。
「こうしてみるとさ、メイシェラが
いくつかのムービーを再生し終えた後、彼女はポツリと言葉を漏らしました。感傷に浸った声と視線で、ムービーが保存されている携帯端末をサイドテーブルへ置きます。
「……誰が最初に気付いたのかは判らないが、あの姉妹を除き
「何を、言ってるの? さっきの動画に、映ってたヒト……メイシェラさんは、凄く表情豊かだった、のに」
唐突な独白に対し、声を上げざるを得ませんでした。だって、あの動画にあった彼女はとても自然に笑っていて、楽しそうにしていたのです。声も仕草も、何もかもが自然で理屈抜きに「
「メイシェラだけじゃない。
彼女の言葉は信じ難い物でしたが、とても冗談とは思えません。声も仕草も嘘を口にする人のソレではないのに、語られた事実を否定している自分がいるのです。相反する思考に戸惑う私を他所に、彼女は言葉を続けます。
「信じられないかも知れないが、
感情を司る器官が無いのになぜ、そのようなことが可能なのか──アタシらは当然疑問に思った。そうして越えてはいけない一線を守りながら彼等を調べたのさ。ソレがどんなモノかまではもう覚えちゃいないが……結論から言うと、
曰く、それは汎ゆるものを俯瞰的にみる力だと言います。人間にもその力はありますが、個体によってその精度は大きく変わります。何故そのようなことが起こるのか、と言われれば私達の意識や感情が影響しているとマスターは言っていました。
そのついでに、人間は外部から受けた刺激を処理する際、思考の癖や好き嫌いによって結論が変わるものだとも言っていました。極東で言うところの『色眼鏡をかけた視点』というヤツなのでしょう。
「アタシらが気にも留められない情報すら拾い上げ、その場において最も適切な言動を算出する。言葉にしたら簡単だが、実際に出来るわけがないんだよ……どうした所でアタシら人間は、何かを決めたりする時に個人の意思が介入するものだからな」
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