Episode.Achtundzwanzig.悔業.ver.1.1

「……誰?」

 リカバリールームの扉を開けると、知らない人が眠っていました。

 ベッドに横たわるのは二十歳前後と思わしき女性で──……左脚が不自然に短くなっているところを見るに、先刻電話で助けを求めていた人なのでしょう。

 ……未だ脚が痛むのでしょうか。その寝顔は安らかとは言い難く、シーツを掴む手にも力が入っているようでした。加えて、小麦色の髪の毛は額にぺっとりと張り付いています。悪夢に魘されているのか、時折苦しそうな表情で声にならない声を漏らしていました。


「ご気分は、如何ですか?」

 濡らしタオルで額を拭うと、不意に目があいました。なので、声をかけてみましたが返事はありません。熱にうなされた時に見せるとはまた違う、熱っぽい目を向けてくるだけで──レオ、という単語を数度繰り返していました。

 それから暫くの間、適当な間隔で寝汗を拭いたり額のタオルを交換したりしていると、トートが入室してきたのです。


「コイツの様子はどうだ」

「微熱が、見られます。それと、悪夢に魘されていて……レオ、という単語を、繰り返しています」

 私と言葉を交わす間、トートが彼女から目線を外すことはありませんでした。稀に輸液パックへと視線を移すだけで、私の方には一瞥もくれないのです。その事にほんの少しの違和感──いいえ、疎外感を覚えました。

 とは言え、五体満足の私とベッドに横たわる彼女では優先順位が違います。左足の膝から下を失った彼女と私では、どちらに注意を傾けるべきかなど考えるまでもありませんから。そもそも私は道具で、彼女は生きた人間です。損傷の度合いや怪我の程度を差引くまでもなく、気にかけるべきは生きた人間──ミア•バーレンシュタインであるべきなのです。


 ────加えて私は、この手で人を殺した欠陥品です。


 きっと、時が来ればトートは私を処分するでしょう。それは仕方の無いことです。故意ではなかったにせよ、私は罪を犯してしまったのですから。


「お前さ、いつまで気にしてるんだ?」

 決して大きくはない彼女の声に、私の心臓は跳ね上がったかのような感覚に見舞われました。それから言葉の意味を咀嚼し、理解した辺りで自身の胸がざわめいている事に気づきました。加えて『どうしてそんな無神経な事が言えるのだろう』という気持ちで、頭は一杯になっていたのです。

 私が罪を犯してからニ日と経っていないのに『いつまで』なんて言える神経がわかりません。

「……なぜ、そんな事を、言うの?」

「辛気臭いツラしてっからだよ。被害者のくせに加害者ヅラしてんのも意味がわからん」

 ここに来て漸く彼女は私へと視線を向けてきました。やや疎ましそうな視線と、ほんの少しの苛立ちを含んだ声を伴って

「どう、して? 襲われたとしても、殺していい理由には、ならない……そう、でしょう?」

「そうだ。けどお前は、殺したくて殺した訳じゃないんだろう? たまたま筋出力の制限がイカれてて、たまたま当たった手が不幸にも女の下顎を吹っ飛ばしただけ。ただそんだけの話だ」

 先刻とほぼ変わらない質問に対して、返ってきたのは殆ど変わらぬモノでした。それはより客観的で、冷たい現実でした。殺意の有無は私の言葉通りだけれど、それを客観的に証明する方法はありません。


「────シオ。お前は人を、誰かを殺してしまうのがそんなに怖ろしいか?」

 彼女は突如として私の両肩を掴むと、真剣な面持ちでそんな言葉を投げかけてきたのです。

「私が思うに、お前は恐怖の本質を知っている。殺される恐怖を。死の恐怖を知っている」

 彼女の言葉を認識する度、当時の記憶が脳裏を過ります。理由もわからないまま、マスターと共に家を飛び出したあの日の事。黒服の二人組みに酷い事をされて、心無い言葉を向けられた。その二人をマスターが動けなくして────……あぁ、あの時も似たような事をしていたのです。胸を撃たれたから、その人の手ごと拳銃を握り潰していた。壊されると思ったから、私は反撃をしていたのです。

 人を、私の意思で傷つけた……なのに、あの時は今のような罪悪感を感じませんでした。

 あの時の私は──私が壊れたら、マスターの役に立てなくなると考えていて、とにかく必死だったのです。マスターに被害が出るのは、一番駄目なことだから。ただそれだけしか頭になくて、あの人を酷く傷つけてしまったのです。

 ……けれど、殺してはいなかった。それ故に、罪悪感を覚えなかったのでしょうか? それとも私は、理由さえあれば平気で人間を傷つけてしまう欠陥品なのでしょうか?


 ──……なら、あの看板持ちは? 私の手足と、瞳を奪った狂気の兎。彼女の表情からは『心底楽しい』という気持ちがありありと感じられたのです。あの傷はきっと、私でなければ死んでいた筈でしょう。人を傷付けるのに躊躇いなんてなくて、楽しいから殺す──……悍ましい。怖ろしい。あれは、とてつもなく怖かったのです。

 あの時が最も死を濃く感じた瞬間でした。切り落とされたと知覚した後でさえ、指先が在るかのように感じていたのです。けれど落とされた四肢がそこにあって、純悪無垢な笑顔の女が私の手足を回収していく。身体の芯から冷えていく感覚は、紛う事なき死の感触でした。


「お前が今、何を思い出しているのかは知らんが──……人はお前が思う程に高尚な生き物じゃない。人間は理由さえあれば、躊躇いなく同族を殺せる」

 私を見据えたまま、彼女は言葉を続けます。

「だから殺人には厳罰を科す。人だけじゃない。濫りに命を奪う行為は絶対的な悪だと教え込む。そしてアタシらが当たり前だと思っている理性や倫理は、人が善き者で在り続ける為の標に過ぎない。その為に裁判を行って、司法に則り公平な罰を与える。そして場合によっては情緒酌量の余地を認め、刑罰が軽くなることもある。少なくとも今回のお前の行動は咎められるものではない筈だ────」

 そう言い切った彼女は一度、両眼を閉じて深く息を吐き出したのです。その行為になんの意味があるのかはわかりませんが、彼女の纏う雰囲気が幾分和らいだような気がしました。


「───って言っても、お前は納得出来ないんだろ?」

 若干の呆れを含んだ軽い笑みを浮かべて、そう口にしたのです。怒るでもなく、嗤う訳でもない。仕方ないな──とでも言いたげな表情は、どこか安心感を覚えるものでした。

「うん……トートの言う事は、わかるよ。だけど……ごめんなさい。あの時の感触が、忘れられないの」

「なら、お前はどうしたい?」

「どう? って言われても……これは、どうにか出来るもの、なの?」

「その罪の意識を消し去る事は無理だ。勿論脳洗浄をしてしまえば忘れる事も出来るが──あれは当該個体の記憶を始めとして、人格等を消し去る行為だ。そしてそれは不可逆的なもので、脳洗浄により失われたモノは二度と戻らない。何も残らないんだ」

 詰まる所、それは『完全なる死』に他ならないのでしょう。脳洗浄による個人消去を施された後は、人格のない完全な傀儡として壊れるまで奉仕する事になるのです。それは命令に忠実な人の形をしたナニカに他なりません。

「────勿論そんな事をするつもりもないし、させるつもりもない。ただ、二度と同じ思いをしないようにする手助けは出来る」

「それは、どういう、こと?」

 なんとなく答えは予測出来ていましたが、聞かずには居られませんでした。これに対し、彼女は自信に満ちた顔で「私がお前に力の使い方を教えるのさ」と言ったのです。



 

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