Episode.Siebenundzwanzig.ミア。迷鯨.ver.1.1

「……どうにも上手くやれねぇや」

 灯りも疎らな廊下を一人歩むのはここの主、トート・リデプスその人である。彼女が独り言ちながら、酒瓶を片手に向かう先はリカバリー室だ。ここは主に術後の経過観察を行う為の部屋であり、病床は僅かに二台のみである。


「調子はどうだ───」

「──どうだ? じゃないわよ、このヤブ医者!」

 ノックも無しに入室した彼女を出迎えたのは、現在唯一の入院患者であるミアの罵声であった。それもかなりの声量であったのか、彼女は空いた方の手で耳を塞いでいる。表情は言わずもがな、不快感全開といった具合だ。より詳しく表すのなら──軽度の苛立ちと諦め、そこにほんの少しの怠さがブレンドされた奇異なもの、だろうか?

「っていうかなんなの?! その表情!! 謝りに来たんじゃないの?!」

 そんな表情を向けられれば、ミアが怒るのも無理はない。尚も騒ぎ立て抗議を続行するミアを余所に、彼女は計測機器のデータと向かい合っていた。

「助けてくれたのは感謝しているけど、ソレにしたってあんまりじゃないの?!」

「あーもー……ほんっとに喧しいなお前。術中も術後も変わらねぇ奴は初めて出会ったよ」

 計器に向かい合ったまま、彼女はミアに一瞥もくれることはなかった。そんな彼女の態度に怒りを向けたところで意味がないと思ったのか、ミアは項垂れ大きな溜息を漏らす。

「そりゃ麻酔が不完全な中で手術されたら誰だって叫ぶわよ……っていうかなんであんなに急いでたの?」

「大事な娘を盗られてたんだよ」


「────……っ、なら仕方ないわ……その、怒鳴って……ごめんなさい」

 彼女の言葉を聞いた途端、ミアの顔から表情というものが抜け落ちた。そしてまたたく間もなく、申し訳無さでいっぱいと言った面持ちを見せたのである。

 この豹変ぶりには彼女も驚いたのだろう。ミアをまじまじと見つめた後に額へと手を当て、携行ライトでその目を照らしたりと、簡易的な検査らしきものを無言で進めていく。

 その最中、ミアは眩しそうに目を細めたりもしたが概ね従順であった。

「…………ねぇ、まだ続けるの?」

 だがそれにも限度はある。耐えかねたミアが口を開くと、彼女はその手を止めた。そして一言、シラフなのか? と懐疑的な眼差しを向けたのである。

「まさか……あんた、私が術後せん妄でも起こしてると思ったの?」

「仕方ないだろ? ギャンギャン吠えたかと思えばいきなり謝ったり、どう考えたって異常だ」

 ため息混じりにそう言い切ると、彼女はミアに繋がれた計器類のいくつかを取り外し始めた。

「──はぁ!? 私だって理由がなかったらこんなに吠えないわよ! 元はと言えばアンタが麻酔も殆ど効いてない状況下で手術したからこうなってる訳でしょう?!」

「だーかーらー、事情があったんだから仕方ねぇだろ? ってかお前、アタシが娘を盗られたって口にした途端にどうしてあぁなった? 何かあったのか」

「それは……! その……あ、アンタには関係ないでしょ!」

 外し終えた計器類を一纏めにしつつ、ミアを横目で見る彼女の表情は気怠げなままであった。そしてややあってから「まぁ確かに関係はないわな」と、一言挟んでから話を再開する。


「風の噂に聞いたんだが──表で肢体石化病ゴルゴン•シックの子供が居るらしいな。たしか姓をバーレンシュタインと言ったか?」

「………………──なんで、それを」

 ミアは彼女の言葉に驚きを隠せないでいた。

 その理由は二つ。まず第一に肢体石化病ゴルゴン•シックに罹患した者の情報が出回っていること。次にその罹患者がミア自身の血縁であることだ。

 肢体石化病ゴルゴン•シックはその名からイメージされる通り、肉体組織が石のように硬くなる病だ。とは言え、実際に石化するわけではなく──主に神経系の異常による肉体の柔軟性の喪失が主症状となる。これは生者死者関わらず発症する唯一の病であり、その原因は未だ不明。薬剤による対処療法は確立しているものの、根本治療には至っていないのが現状である。


 …………だがそれはあくまでも表世界での話である。動く死体を造るにあたり、必要不可欠とされた技術があった。現在ではそれに代わる技術も確立されており、表世界からは抹消されている。


 ──と言うのはブラフ。確かに代替技術は存在するが、元々行われていたものに比べれば児戯にも等しいものだ。全盛期の人造人間Frankenstein•Monsterを知る者からすれば、現代のモノは比べ物にならないと言われる程度には差がある。

 本技術は『神経置換術ナーヴオブセス』──通称N.O.Sノス──と呼ばれ、表世界で目にする事は殆ど無い。あったとして、歴史の教科書や史料館程度だろう。表世界から抹消された理由は、倫理的な問題から。禁止令が出て以来、完全に撤廃された施術である。

 またこの技術は肢体石化病ゴルゴン•シックへの根本治療としても認知されていた為に、撤廃反対運動も起きていた。

 ……しかしこれは肉体の書き換えにも等しい行為であり、その施術難易度は最高レベルである。失敗による代償は大きく、人格にまで影響を及ぼす恐れがあったのだ。

 また既知の通り、神経と言うものはとても細く、部位によっては肉眼で捉えられないとされる。そして酷く繊細なものだ。故にエラーを起こした部位を正確に読み取り、そこだけを切り取り繋ぎ治す──この難しさは想像に難くないだろう。またこれを実現させるためには、相当な錬度と知識を要する事も理解できる筈だ。


「────ミア・バーレンシュタイン。お前はその子供の為に自分の神経を取り出そうとしたな?」

 彼女は長い沈黙の末に口火を切る。この問いに対し、ミアは視線を背けた上で静かに頷くだけだった。

 そんな反応を見た彼女は深い溜息を漏らし、忌々しげな調子でいくつかの質問を重ねた。

 まずはどういったルートでミアが此処へとたどり着いたのか。

 これについてはブローカーを頼っていたとの事。その者の携帯番号は控えていたらしいが、携帯を喪失した上に番号を思い出せないという。

 次に施術を依頼した医師の素性について。

 こちらについてもブローカーを頼っていたらしい。医師の情報は事前に教えられていたというのだが、結局は出会えず終い。指定された場所で待っていたところを襲われ、脚を一本盗られてしまったという。


「そもそもN.O.Sは禁止された術式だ。なぜ代替術式に甘んじず拘る?」

「……人工神経をいれるには幼過ぎたの」

 そう答えるミアの唇からは、小さな赤い雫が溢れていた。ミアとて好きこのんでこんな場所に来た訳では無いし、N.O.Sに頼ろうとはしなかったのだろう。ただ、件の子供の命を救う為にはそれしかなかっただけのこと。

 彼女にもこのあたりの事情は伝わっているのだろう。言葉にせずとも伝わるだけのモノを、ミアは醸していたのだから。

「貴女、医者なのよね?」

「あぁ。だがN.O.Sの施術は無理だ」

 縋るような視線を受けて尚、彼女は断った。ある程度の事情や境遇について理解していながら、彼女はミアの頼みを断ったのである。強い落胆の色を見せつつも、なおも食い下がるミアを前に彼女は静止を入れた。

「──いいか? 此処は表世界に居られない奴らの溜まり場だ。此処の住人は基本的に訳アリ、脛に傷のある奴等ばかりなんだよ。そんなのが表に行ったらどうなるかぐらいわかるだろ?」

「ならあの子を此処へ連れてくるわ! それなら──」

「────それは駄目だ。お前も、その子も確実に死ぬ」

 彼女は声こそ荒げなかったが、込められた気迫は並のソレではなかった。

「まず、奇跡的な確率で全てが上手くいったとしよう。だがN.O.Sを受けた後の事はどうする? この話はアタシらの耳に入るくらいには認知されているんだ。治ったとしても、改造人間Fallenとして一生を日陰で過ごす事になるんだぞ? 

 そしてお前は違法施術を受けさせたとして罰せられる。随分甘く見積もっても印付きだ…………それでもお前はN.O.Sに縋るか?」

 諭すような口調で伝えられたミアは、唇を強く噛み締めたま何も話さなかった。彼女が口にしたことが全て事実だと知っているからこそ、ミアは返答に詰まっているのだ。

 故にミアは視線を逸らし、何かを伝えようとして口を開き、何の言葉も紡がずに閉じてしまう。それを何度か繰り返した辺りで、トートは「よく悩め。そして後悔のない選択をしろ」とだけ残して部屋を去っていった。

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