Episode,Zwanzig.記憶。記録。ver.1.1
四肢を補填して貰ってから四日目の朝──
……朝、と言ってもここに日が差し込むことはありません。
トート曰く、ここは天然の巨大洞窟内に建てられた街なのだとか。それ故に、天然の日光が届く場所というのが非常に少ないとの事。
なので殆どの住人は天然の日光を浴びることが叶わないのだそうです。なので基本的には薄暗い闇の中、煌々と輝くネオンサインの濃い光を一日中浴びているのだとか。極めて不健康なのは理解しているけれど、特に気にしていないそうです。
ただしそれは生物にとって良くない──少なくとも生きた人間にとっては悪い環境である事に変わりはありません。それ故にサプリメントが充実しているらしく、表では出回らないような代物が五万と合るのだとか。また日照不足から生鮮野菜なども滅多に出回らず、ある種の嗜好品と成り果ててしまったそうなのです。一部は乾燥品として流通しているようですが、かなり割高に設定していると聞きました。
……そして日も当たらず月明かりもないので、朝昼晩の概念が崩壊していくそうです。
トートは一応、室内の時計で朝昼晩を分けているようですが、これもかなり大雑把なので信用できません。午前午後の感覚すら怪しくなっている様子ですし、自分で気をつけるしか無さそうです。ただ、室内にある唯一の時計が時折変な挙動を見せているのです。
今すぐにでもどうにかしたいのだけれど、自力で立てない以上どうすることも出来ません。車椅子を上手く使えば取れる可能性もありますが、未だ自力での移乗に成功した試しがないので博打になります。
「──車椅子の座面、は……ベットより、低いこと……角度はベットに対して、四十五度くらい」
習ったことを復唱しつつ、移乗準備の確認を行います。慣れない作業は基本、声を出して行い指差し確認を行うのが鉄則だとマスターは教えてくれました。
「……ん。設定、ヨシ」
──後は車椅子へ移乗するだけなのですが、これが中々上手く行かないのです。脚が縺れてしまったり、体重のかけ方を間違えてしまったり。ほんの些細な事が原因で失敗してしまうのです。
「──なんだ、もう一人で移乗出来るようになったのか」
ちょうど移乗を終えた矢先、器用に足を使ってドアを開けたトートが入ってきました。
その両手には分厚い書籍を何冊も抱えており、色褪せ草臥れた付箋が何枚も貼り付けられています。彼女は見るからに使い込まれたそれらをベット脇のサイドデスクに乗せると、そのうちの一冊を手渡してきました。
「なに、これ…………目指せ筋肉マスター?」
日焼けした表紙の中心には、ポップなロゴデザインのタイトルと、程よくデフォルメされたマッチョがポーズを決めていました。
「それは人体の筋組織をわかりやすく書いてある本でな、お前さんにはそこにある筋組織名を全部覚えてもらう」
ペラペラと適当に捲ってみると、相当使い込まれた形跡がありました。また覚えやすいようにと彼女なりの語呂を考えていたのか、時折『
「……どうして筋肉を、覚える必要があるの?」
「そりゃ仕事の役に立つから覚えてもらうのさ」
「わかった。いつまでに、覚えたらいい?」
「あー……まぁ、なるべく早くかな」
「そう、なら頑張る」
「いい返事だ、期待してるぞ! また昼頃に来るから頑張れよ」
「あ、っ……うぅ……」
明るい笑顔を見せたその直後──いつもより雑に頭を撫でられてしまいました。少し頭を下げたところで逃げられるわけでもないし、力の落ちたこの腕じゃ退けることだって未だ出来ません。
彼女もそれをわかっているのか、事ある毎に私の頭を撫で回してくるのです。今でこそブラシで寝癖を梳かし直すくらいなら出来ますが、こうもぐちゃぐちゃにされると後が大変です。絡まった部分は優しく櫛をいれて、ゆっくりと梳かして──それを何度も繰り返すだけの体力がまだありません。
……ならサボってしまえという悪魔の囁きが聞えるけど、そんなものに耳を傾けるわけにはいきません。身嗜みに気を使えなくなったら、何か大切なものを失う気がするのです。
そうして繰り返し読み直すこと数時間。参考書にある通り、指の曲げ伸ばしや回内外、肩関節の各種挙動を実演してみるとよりイメージし易い事に気が付きました。
普段何気なく行う動作一つとっても、これ程の筋肉が働いていたなんて想像もつかなかったのです。何かを掴むにしろ、その動作を行う為にどこのなにを働かせるのか──その判断を瞬時に下し肉体を制御する脳の凄さには驚きを隠せません。
「調子はどうだ?」
軽いノックの後、トートが入室してきました。右手にはいつも通り、栓のあいたワインボトルが握られています。
「ぼち、ぼち。それより、も……私は、どんな仕事を、するの?」
言ってなかったか? という前置きの後に「受付嬢と手術助手だ」と言って彼女は最寄りのソファに腰を下ろしました。
「とはいえ手術助手は大分先になるかな。なにせお前さんはまだ立てないし」
なら立てるようになればスグに助手をやるのか? といえばそれはまた違う話だそうです。筋肉や関節、諸神経と覚える事は膨大にあるらしく、最低でも一年は勉強漬けにする予定とのことです。
「それとまぁ、受付嬢っても特に覚える事はないわ。基本的に電話は来ないし、大体が飛び込みのお客さんだからな」
「……お客さん、来る……の?」
「それなりにはな。
「…………
「表じゃ禁止されてるけどな。どーしてか今でもやりたがる奴が居るんだわ」
彼女は一つ大きな溜息を漏らした後、
まず
しかし副作用と言うものは必ずあるもので、一部の機能を強化した結果他の機能が著しく低下する等の事件も公表されるようになりました。またこれらの記録は誰であっても、
「とまぁ危ない側面も有るんだが、なにも全面禁止にする必要はないだろ? 技術も所詮は道具でしかないんだから、使い方を誤らないようにすれば助かる人も多かったのに」
「全面禁止……そう、なった……きっかけ? になったものはある、の?」
「色々あるんだがまぁ、最も有力なのは
暫し思案した後に上がったのは、最も有名な暴動事件でした。それはラピ・ルーバスからやや離れた場所にあるコンフリクト6と呼ばれる工業地で発生した事件です。
犯人は現地の
「……そんなものを、なぜ……やりたがる、の?」
「理由はそれぞれだ。事故による半身不随を治したい。欠損した四肢を機械義肢で補いたい、なんてのもあるが──極稀に人機一体を目論むやつもいるんだ」
「なぜ、人機一体を……?」
「さぁな。そうまでしても戦いたい相手がいる。もしくは殺したい相手がいるのかも知れん」
──そう語る彼女の顔は本当につまらなそうなのに、瞳だけは違う熱を宿しているようでした。
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