第五節 腸の檻
Episode.Neunzehn.化粧。仮装。鉄の香り.ver1.1
────暖炉に焚べられた薪が、パチパチと音を立てる。
その他に聞こえる音は、私自身の控えめな呼気だけ。あの話を終えてからすぐにトートは部屋を出てしまいました。それから暫く経っているのですが、彼女が帰って来る気配はありません。
だからゆっくりと、彼女から聞いた話を整理することが出来ました。
まずは──オルヴィエート研究機関について。
この研究機関は本国『ラピ・ルーバス』に拠点を構える巨大複合機関です。ここは創立以来、常に新たな技術を生み出していました。
そうして何時からか、オルヴィエートではブレイク・スルーが
そんな怪物揃いの中でも有名なのが、この5名です。
──ディヴィニティ・イッツェル。
機械技術により人類の可能性を拡げた男。
──アクバル・サレニ
精神医学により、人の意識を新天地へ導いた女神。
──アクバル・スミラックス
勇猛なる白衣の天使。
──星見のタヴィア
星の声を聞き、星の姿を観る先導者。
──ヴィクティア・フランケンシュタイン
死者を呼び戻した者。
この5名の内でも有名なのが、ディヴィニティ・イッツェル氏とヴィクティア・フランケンシュタイン氏とされていました。そしてこの2名により、
ただ残念なことに、この2名は突如としてオルヴィエートから離反。本国を離れて以降の足取りは誰にも知られていないとされていました。一説にはとある部族の虐殺に関わっているとされていますが、その真偽は定かではありません。
しかし先程の話を鑑みるに、この2名がアルクランヴィスの虐殺事件に関わっていると見て間違いはなさそうです。しかし疑問は残ります。
もし、何かしらの実験を行う為に彼らの頭を使っていたとしたら。彼等を殺す理由がわかりません。滅ぼしてしまっては研究継続に支障が出るはずなのです。
──
感情は疎か、意識すらないとされた不可思議な部族。そんな彼らが私達という存在の確立に関わっている。これが事実かどうかは未だ解りませんが、いつかその答えを知りたいと私は強く思うようになっていました。しかし誰もが130年以上も前に生きていた者達です。5名のうちの誰かが
「…………おかしい。そんなこと、が……ありえる、の?」
そう。彼等の年齢を鑑みると辻褄の合わない人がいるのです。先述の5名のうちの一人──アクバル・サレニ女史と面識のある者。ううん、面識どころじゃない。イッツェル氏とサレニ女史の対立を見ていたものが此処にいるのです。多めに見積もっても30代半ば……若く見て20代後半といった見た目をしている彼女は一体何者なのでしょう。
「ほったらかして悪いな、シオ。 …………シオ? おーい?」
そう──トート・リデプス。この人の発言がもしも全て正しいのだとしたら、少なくとも200年近く存命していることになるのです。もしそうなのだとしたら、彼女は何故こんなにも生命力に満ちているのでしょうか。そしてこれ程までに自然で、人間らしい立ち振舞いを見せるのでしょう。屍の臭いも、人形めいた空虚さもまるで見えてこない。
「…………トート。ごめ、ん……ちょっと、だけ、考え事……して、た」
「そうか? そんならいいんだが────とりあえずこれを見てみろ」
「なに、これ……?」
持参した袋を弄ること数秒。彼女から手渡されたのは年季の入った婦人服でした。それは現代の流行からはかけ離れたもので、数世代ほど前の流行を感じさせます。現行のゴシックデザインの源流とも取れそうです。
しかし保存状態はお世辞にも良いとは言えませんでした。所々裾は擦り切れているし、補修痕も多数見受けられます。それに加えてリボンが取れかかっていたり、胸元のレースには赤黒い染みもついていました。
「お前さんがここで働くにあたって着る服。まぁ仕事着ってやつだ」
「働く……?」
「そうだよ。働かざるもの食うべからずってな」
直後、彼女は私の衣類を躊躇いなく脱がせ始めたのです。着替えくらいは一人でも出来ると伝えたのですが「ちょっと施したい仕掛けがあるから」なんて返される始末でした。そしてその仕掛けとは────
「……………………これじゃ、ミイラ」
「いやそんなに巻いてねぇから」
仕掛けというのは、身体の各所に包帯を巻き血糊をつけると言ったものでした。そして左目にかけられた包帯が思いの外くすぐったい上、各所の巻き具合がちょっぴりきついのです。
「だーかーらー、取るなっての。お前を守るためでもあるんだから言う事聞けって」
少しでも緩めようとすれば即座に止められ、少し強めに巻きなおされてしまう始末でした。嫌ですと伝えても聞く耳を持ってくれないのです。それにこんな格好をすることが私の身の安全に繋がるのでしょうか?
「ここじゃ綺麗過ぎるんだよ、お前は。だからこうやって……あぁもうじっとしてろっての!」
「でも、嫌……見えるのに、隠されるのは、気持ち……悪い」
「だから仕方ねぇの! ここじゃ自然体で五体満足な方が珍しいんだ。そんなに嫌なら硝子玉の義眼にするか?」
「……それも、ヤダ」
「イヤイヤ期かよ。頼むから言うことを聞いてくれっての……お前だってまた襲われたくねぇだろ」
「………………むぅ」
トートはずるいのです。それを引き合いに出されてしまっては受け入れるしかありません。この後はされるがままです。わざと血色を落としたメイクをされて、目立つ場所には包帯を巻き、血糊を染み込ませる。それから先程の古ぼけた洋装を身に着けて完成……とのことでした。
「なんか、臭い」
甘ったるい化粧品の臭いに混ざって漂うのは、やや違和感の残る独特な香りです。マスターと住んでいた頃には知らなかった匂いを私自身が纏っている。それがなんとも言えない感覚となって、胸を締め付けていました。
「あん? これは私のオリジナル血糊だからな。市販品とは違ってちゃんと臭いもつけてあるんだ」
「じゃあ、これ……が、血の、匂い?」
「────…………かなり薄めちゃいるがな。まぁその……嫌だろうが慣れておけ」
そう言って、私の頭へ手を乗せた彼女の顔にはほんの少しの陰りが見えました。どこか遠くをみるような目をしているのに、何処に焦点が当てられているのかわからない──そんな、不思議な瞳をしていたのです。
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