Episode.Vier.襲来 ver.1.1



 映画鑑賞を終えて帰宅した夜、来客を知らせるベルが鳴った。

 時刻は二十二時をまわっており、通常であれば人を尋ねるような時間帯ではない。大都市圏ならまだしも、この様な郊外まで訪ねてくる人はまず居ないだろう。

 恐らくは厄介事だと彼は踏んでいたが、万が一という事もある。それに近頃は人身売買や誘拐が多発しているという話もあった。

「──夜分に失礼、ルーザー・アンブロシア殿」

「どうも。このような時間にどういったご要件でしょうか?」

 ドアロックを外し、扉を開けた先に立っていたのは二人組の男女。二人共仕立ての良い黒スーツに身を包み、サングラスをかけていた。

「私、こういうものでございまして」

安魂教会アニミス・エレクシア特務局、アンディオール・スケィス……?」

「はい。以後お見知り置きを」

 訝しんでいると、手前側にいるスーツの男が丁寧な所作で名刺を手渡してくる。安魂教会アニミス・エレクシアの名刺自体は珍しいものではない。だが、黒一色というのはあまりにも異質だ。そもそも名刺に黒を使う事自体、異例であると言えよう。

「まぁ特務局などと名乗っておりますが、職務内容は至って普通のものです。登録された帰還者レウェルティの調査を行うことしかありません」

「調査、ですか?」

 男に違和感を覚えつつも、ルーザーはもう一人の方へと意識を向けていた。こちらは飄々とした男とは異なり、他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。それに加え、こちらを見ているようで見ていない。理由は不明だが、屋敷の構造を把握しようとしているような感じだった。

「まぁ調査と言ってもそこまで大したものではありませんので。一先ずVFM-804110001──個体名、仔犬chiotと会わせていただけますか?」

「今からですか?」

「ええ、すぐに終わりますので」

「……困りますよ。こんな時間に突然来て、調査をするなんて些か非常識では?」

「まぁまぁそう仰らずに。ご協力下さいよ」

 やや語気を強めたものの、男達の態度に変化は見られない。

 ──現代において、安魂教会アニミス・エレクシアの事を知らないものは居ない。しかし特務局について知る者はほぼ居ないのが現状だ。仮に知られているとしても、くだらない与太話の一つや二つといった所。それも都市伝説じみた内容であり、信憑性はかなり低いものばかりである。

 例えば──特務局は『違反者狩り』を行う部署だとか、原罪の怪物を探しているとか。流布されている内容はその程度のものでしかない。

 ……だと言うのに、ルーザーの顔には何処か怯えの色が混じっていた。特務局の実態を知っているのか、それとも与太話を信じ切っているのか。理由は不明だが、確かに彼は二人を警戒していたのである。


「……申し訳ありませんが、お引取りください」

 やや強引に扉を閉めようとした瞬間、男はつま先をドアの隙間に差し込んできた。彼は思いがけず挟んでしまったことを謝罪したが、男は気にもしていない様子である。

「あぁ、お気になさらず。つま先には鉄板を仕込んでおりますので……それよりもこれ、外していただけませんか?」

「すみませんが、それはお断りいたします──!」

 男がドアチェーンを摘みあげ、軽く揺らして見せる。

 その刹那、彼は男を蹴り飛ばし扉を閉じる。勢いそのままに鍵を締めると、一直線にシオの部屋へと駆け抜けた。


「シオ、起きているか!?」

 激しくドアを叩くが反応がない。ドアノブに手をかけたが、鍵がかけられているようだ。

「……なに、マスター?」

「説明は後! まずは逃げるぞシオ!」

 蹴破ろうと構えた瞬間、ドアが開かれる。説明もせずに彼女へハンドバッグを持たせ、その手を引いて裏手の非常口へと走った。

「いきなりどうしたの?」

「厄介なお客さんが来たんだ」

「出迎えはしなくて、いいの?」

「しなくていい。今はとにかく──っ!」

 非常口へと続く通路へ差し掛かった瞬間、背後から飛んできた何かが彼の耳を掠める。撃たれたと理解するよりも早く、彼女と共に柱の陰へと身を隠す。そのまま身を隠しつつ、手鏡で銃弾が飛んできた方を伺う。

 そこには銃を構えた二人組が、ゆっくりと向かって来る姿が写っていた。

「あー、そこに居るのはわかってます。

 私達も余計な殺しはしたくありませんし、怪我を負わせたくありません。なので両手を上げてゆっくりと出て来ていただけませんかね?」

 例えここで彼らの指示に従ったとして、どうにもならない事を彼は理解していた。人間である自分は死なずに済むが、彼女についてはその限りではない。

 ──彼にとって、それは最悪のビジョンだった。

 故に彼は従わず、逆転の一手を探している。二人揃ってここから逃げ出し、彼らを振り切るにはどうすべきなのか? 

 もし彼らがただの人間であると仮定するならば、身体能力的に優れる彼女へ追いつくことは出来ないだろう。

 帰還者レウェルティ達は息切れも起こさず、疲労感を覚えることもない。それ加え、何発か銃弾を受けた所で即死する事もないのだ。心臓部バイタルパートが損傷したり、脚を切断されなければ走行は可能である。であれば彼女を先に逃し、後日合流した方が生存率は高くなるはずだ。

 また彼は、彼女の身体を並の帰還者とは比べ物にならない強度に仕上げていたのである。

 故に、追手が二人である今なら逃げ切ることはほぼ確実。

 ──そう、彼は考えたのだろう。


「シオ」

「ん、なに……?」

「裏口から出たら真っ直ぐにクラミトンを目指すんだ」

「マスターは、どうするの?」

「僕もそこに行く。だから何があってもそこへ行くんだ」

 

 ──けれど。彼としては、クラミトンに行かせたくはなかった。

 だが特務局が動いた以上、マトモな国には逃げられない事も理解している。だからこそ、あの場所を選んだのだ。

 クラミトンは唯一、安魂教会アニミス・エレクシアの干渉を受けない場所だから。

 あれは法を犯してまで、死者へと関わる事を選んだ者達が築き上げた無法地帯聖域。生者よりも死者を愛した者達の為に産まれた死者の国クラミトン

 故に、ヴィクトール•フランケンシュタインの空想理想が実現した世界とも言われた。


 ──部屋チャンバーは開かれ、雀が謳う。

 新たなる生命の生誕を言祝ぐ為に。

 無垢の怪物よ、声を上げろ。

 我々は稲妻の家族ブリッツ•ファミリエ死者の国クラミトンにて家族仲間を待つ──


 ……これが、死者の国クラミトン宣言産声だった。安魂教会アニミス•エレクシアを始めとした周辺国家は当然これを非難し、廃絶すべく手を組んだ。

 ──しかし、クラミトンはこれを退け自らの国を勝ち取ったのである。

 決して表沙汰には出来ない様な事もあったが、クラミトンはその存在を認められたのだ。本件についてはザバーニーヤの存在が大きいとされるが、その真偽の程は謎である。仮にザバーニーヤが存命であるのなら──クラミトンは楽園と地獄の狭間に生じた外側の世界Chaosと言えよう。


「──何があっても、必ず逃げ延びるんだ」

「……マスターも、一緒だよね?」

「ああ、二人で逃げ延びよう」

 彼女が初めて見せた不安気な表情に、彼は一瞬の戸惑いを覚えた。しかしそんな事に気取られている暇はない。

 こうしている間にも、相手はこちらを捕らえようと動いているのだから。

「走れ!」

 ──彼は近くにあった発煙筒を手にすると、着火と同時に男の方へと投げ込んだ。

 それとほぼ同時に懐から拳銃を抜き、発煙筒へ向けて発砲。着弾と同時に爆発を起こし、多量の煙を発生させる。互いが視認できない程の煙幕の中、彼は彼女の手を取り裏口へと一気に駆け抜けた。

「簡単に逃げられると思いましたか?」

 裏口を開けた瞬間、額へ突きつけられる銃口。二人の前に立っていたのは黒服の女であった。どこかのタイミングで二手に分かれ、裏口へと回り込まれていたらしい。

「くそっ……!」

「大人しく同行してくださいませんか、ルーザー・アンブロシア。私としてもこれ以上罪を重ねるのはお奨め致しません」

 警告と共に引き金へとかけられる指。もしこの場で抵抗すれば、きっとこの女は躊躇わず引き金を絞るのだろう。流石にバイタルパートは避けるだろうが、一度撃たれてしまえば逃走出来なくなるのは確実だ。それ故に彼は動くことが出来なかった。

 仮に近接格闘C.Q.Cを仕掛けるにしても、後一歩が遠い。掴むよりも早く、相手の銃弾が食らいつくだろう。

「マスターから、離れ──っ!」

「VFM-804110001、貴女も馬鹿な真似はしないように。この場で破壊処分されたくはないでしょう?」

 それを察してか、彼女が動く。

 だがしかし、戦闘慣れしていない彼女では話にならない。手を伸ばすよりも早く、箱型銃ボックスピストルを向けられてしまっていた。

 それは対人造人間拳銃Anti F,M Gunの一種であり、超至近距離専用の携帯型小型散弾銃スマート・ショットガン

 射程距離を犠牲に極限まで火力を高めた代物で、殆どの人造人間Frankenstein•Monsterを一撃で行動不能にしてしまう。

 あまりにも武骨なそれを目の前に、彼女も察したのだろう。

「──ご理解していただけたようでなにより。

 それではルーザー・アンブロシア及びVFM-804110001。両名は両手を上げて後ろ手に組み、腹ばいになりなさい」

 銃口を突きつけられた彼女は踏み止まり、ゆっくりと両手を上げた。そのまま数歩下がり、ルーザーへと視線を向ける。しかし何が出来る訳でもない。彼が小さく首を振ると、彼女は視線を元に戻した。

「……シオ、彼女の言う通りにするんだ」

「わかった」



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