第一節 St. Elmos Feuer

Episode.Eins.原罪ver.1.1

 ──tonitrus


 男が待ちわびていたそれは、有史以来解析不明の超常現象として神格化されていた存在である。


 尤も現在となってはそのメカニズムが解析され、再現可能な自然現象とされてしまった。雷から神格は失われ、利用可能なエネルギーの一種となっている。そんな雷の電圧はおおよそ200万~10億ボルトとも言われ電流は1千~20万程度、極稀にであるが50万アンペアにも達した記録が存在する。人類が1から作り出そうとすれば膨大な対価を必要とするであろうそれは、ある存在を起動させるに必要不可欠なエネルギーであった。



「──ようやくだ」 

 某所の屋敷。その地下深くに造られた研究室にて、汚れ一つない白衣に身を包んだ男が落ち着いた様子で呟く。男は幾つかのモニターと操作盤が組み合わさった手作り感満載のコンソールを操作し、モニター上の数値に異常がないことを確認してから操作盤中央にある黄色のボタンを押し込んだ。

 直後、建物全体を微かな振動が襲いなにかの仕掛けが作動する。振動自体は大したことのない物であり、それは数秒もかからず収まる程のものであった。

 そうして再びの静寂に包まれた室内で男はモニターを一瞥し、その先にある寝台──解剖台にも見えるそこに寝かされた一体の屍体レディーレに目をやる。それは多数のチューブと電極に繋がれており、彼女が明確なであることを指し示していた。白磁を思わせる肌には継ぎ目などなく血管が青く透ける程の透明感を誇り、整った目鼻立ちをしたそれは二十歳ハタチ前後といった年頃の娘であった。その毛髪は艷やかな白銀色の髪をしており、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。


 ──とはいえ、この屍体には一つ気になる点が存在していた。


 先天性白皮症アルビ丿を患った者の屍体らしくもあるのだが、どうにも雰囲気が異なっていたのである。まるで自然に産み落とされ生涯を終えた屍体ではなく、まず初めに成熟した器が用意されているような感覚を覚えるのだ。あるいは、造られた無垢の屍体うつわと称した方が自然な気さえする。


 ──男が屍体から操作盤へと視線を戻すと、今度は赤色のスイッチに手を伸ばした。



「お前は屍者レディーレに非ず。

 さりとて帰還者レウェルティでもない──」

 その轟雷は偶然か。落雷を告げる赤色灯が点灯した瞬間、地下に響く程の雷がこの屋敷を直撃したのである。

「──来た!」

 通常であれば停電を起こしその回路を破壊されるだけの機械群は、今までよりも強い唸りを上げて稼働していた。モニターに表示された各種メーターの数値は加速度的に上昇し、定められた既定値へと近づいていく。それを見つめる男の表情は期待に満ちており、その手でスイッチを押す瞬間を今か今かと待ちわびていた。


「──さぁ、目覚めの時だ。無垢の娘よ」

 全てのメーターが既定値を超えた瞬間に男は赤色のスイッチを強く押し込んだ。直後、屍体をモニタリングするディスプレイに映ったのは正常な心電図の波形。断続的ではあるが、屍体の心臓は正しいリズムを刻んでいた。その事実は男の心を大きく舞い上がらせたが、その表情には未だ緊張感が張り付いている。

 ──それは帰還者レウェルティ蘇生きどうが簡単なものではないからだ。

 心臓が鼓動を刻んだとしても目を覚まさないのはよくあること。生者であっても意識を喪失したまま生きる者、俗に言う植物人間と呼ばれるケースが存在するのは周知の事実であろう。

 帰還者それの起動において、最も多いのは通電時における神経回路の損壊による起動失敗だ。落雷のエネルギーは各種機械により調節されているとはいえ、莫大なエネルギーであることに変わりはない。故に調節を間違えると神経経路が破損され、二度と目覚めることはないとされた。

「心電図に異常はないんだ。あとは神経回路ニューロンのファイアリングさえ起これば……」

 最悪の結末を想定した男は祈るような声で呟きながらモニターと屍体を交互に観察していたが、脳波の計測結果をリアルタイムで映し出すモニターに動きは見られないまま。心電図だけが規則正しいリズムを記録し、その他の数値にも異常は見られないままである。

 男の願う通り、脳波にさえ動きがあればあの屍体は目覚めるはずなのだが──



「──叶わぬと、いうのか……?」

 十分、二十分と時が過ぎてもファイアリングは確認されなかった。通常帰還者の起動において、心電図の波形が確認されてから三十分以内にファイアリングを確認出来なければ失敗とされている。仮に神経回路の損傷具合が中等度であれば脳及び脊椎を植え替える事で再起動を試みることは可能だが、その手段は禁忌とされていた。

 その行為は帰還者レウェルティを管理する安魂教会アニミス・エレクシアが掲げるOne body One soulの原則の抵触し、世間に露呈すれば男は社会的地位を失い罪人として扱われる。より詳しく言うのであれば、抵触者は人間社会における権利の一切を剥奪されて安魂教会による監視の下で生涯を終える事になるのだ。

 ──自らの好奇心の為に更なるリスクを負うのか。それとも一から全てをやり直すのか。

 真っ当な人間であれば本件を安魂教会アニミス・エレクシアへ報告し、然るべき手続きを行ってから屍体レディーレを破棄する事を選ぶだろう。


 ──しかし、男はそうしなかった。


 男は全装置の電源を一つずつ落とすと、懐にしまっていた一枚の写真を取り出す。そこに写っていたのは男と二人の女性であり、そのうちの一人は寝台に寝かされている屍体かのじょに瓜二つであった。

 そうして暫し写真を見つめた後に立ち上がり、幽鬼にも似た足取りで屍体へと近づいていく。仰向けに寝かされていたそれをうつ伏せにすると、男は手にしたメスで躊躇いなくその背を開いたのである。

 屍体の肌を円刃刀が滑り赤い軌跡を残したのも束の間、当該箇所を開創鈎で開きその奥へと手を入れた。創部から静かに流れる血は肌に赤黒い軌跡を残し、行き場を失った血液は血溜まりとなり白銀色の髪に染み込んでゆく。無垢な器をじわじわと蝕むように、毛先から赤黒く染まっていくのだが──


 無論、男がそんなことに気を取られることはなかった。その顔に感情は無く、双眸のみをギラつかせた男がは一心不乱に調整と再接合を繰り返していく。一分の迷いすら感じさせない手つきで身体を分解し、たとえ直径数ミリにも満たない神経であっても傷んだ部分であれば的確に切除し繋ぎ治していくのだ。足りなければ予備の臓器パーツを継ぎ直し、起動を妨げる原因となりえるものは迅速に破棄。人として再び動けるよう、最短で繫ぎ合わせるこの作業は最早組み直しに等しいものであった。

 

 ──こうして男が作業を行うこと一時間。


 創部を閉じ終えた後に屍体の汚れを拭き取ったのだが、赤黒く染まった髪だけは汚れを取り切れずにいた。如何なる理由で染み込んだのかは不明だが、それが取り切れないと理解するや否や再起動の準備に取り掛かったのである。

 そうして全ての機器を屍体へと再接続し電源を入れ直すと、機械から低く重い唸りが上がり各種モニターの画面へ情報を出力し始めた。男はそれらを一通り確認した後、再び赤いボタンへと手をかける。


 小さなモニターに示された地図上では雨雲を指し示すマーカーがこれでもかというほどに乱立しており、外は未だ悪天候のままである事を伝えていた。数ある雨雲の中に落雷を示すマーカーが乱発するものがあり、それは真っ直ぐに男の屋敷へと向かっている。

 ──この異常とも思われる天候は数年に一度発生し、宵雷トニトゥルス・クレプスクルムと呼び親しまれていた。

 この夜に落ちる落雷は普段よりも数段強力なものであり、轟雷夜イムベル・フルメンと呼ぶ者達もいる。

 その理由は言わずもがな、帰還者レウェルティの起動に最も適した状況とされているからだ。通常の雷でも起動は可能だがその数と出力は運任せになる部分が多く、出力不足による起動失敗の報告が上がりやすい。それならば多少出力が強過ぎたとしても、リトライし易い宵雷トニトゥルス・クレプスクルムを選ぶのが人というものである──


 ──そうして雷雲群が屋敷に差し掛かった瞬間、途轍も無い轟音と共に赤色灯が点灯し全てのメーターの既定値を超える。それを確認したのとほぼ同時に男は願いを込め、強くスイッチを押し込んだ。



「──物語の深淵より来たれ、無垢なる魂よ!」



 ──強い唸りと共に出力を肥大させた機械群から送られたエネルギーが肉体に火を灯し、再びガフの扉を叩く。


「──頼む……!」

 目を閉じ無意識に両手を合わせ祈りを捧げる男。一体どんな理由があって男が帰還者レウェルティを呼び起こそうとしているのかは不明だが、その想いは一般的な者のそれよりも遥かに強いのだろう。眉間にシワが寄るほど目を強く閉じ、真一文字に結ばれた口。その内に秘めた想いがどれほどのものであれば、極刑にも等しい処罰を受ける程の愚行を犯してしまうのか。それを知るはこの男ただ一人であり、それが語られることはおそらくないのだろう。

 ──しばしの祈りを経て男は恐る恐る目を開き、メインモニターへと視線を移す。そこに映された数値を見た瞬間に男は驚きと歓喜の色を一瞬にして浮かべ、その視線はモニターへ釘付けとなったのだ。





「…………やった、やったぞ!

 私は……私は、やり遂げたのだ!」

 心電図の波形が記録されてから数分もたたずに記録された小さなファイアリング。今この瞬間に産声を上げた小さな灯火たましいは吹けば消えそうな程に弱々しく微細なものであったが、次第に大きなうねりを見せ始め連鎖的な発火ダンスを起こし始めたのである。この事実を前に男は狂喜し、人生で初めての雄叫びを上げたのであった。


 ──こうして灯された小さな火種は轟々と燃え盛る焔となり、その熱は男の胸を焚き付けた。男はモニターから離れると、内より沸き立つ歓喜にその身を震わせつつも慎重に帰還者の頬を撫でた。産まれたばかりの赤児を撫でるように、そっと優しく触れたのだ。

 ──それが目覚めのきっかけとなったのか、産まれたばかりの帰還者それはゆっくりと目を開いたのである。


「……やぁ、初めまして」

「ハじぇ、マ……ェ?」

 目覚めたばかりの帰還者それは男の言葉を復唱しようとしたのだが、どうにも辿々しく歪な発音であった。それはまるで初めて言語に触れた者のようであり、言葉を覚えたての稚児のようでもある。肉体は成熟した大人のそれでありながら、言動は生後間もない幼子という奇妙な状態ではあるが彼女に限って言えばそれが正しいのだ。

「僕はルーザー・アンブロシア」

「ウゥ、ざー……アンヴォ、じぁ……」

「……言葉はゆっくりと覚えていけばいいよシオ」

「シー、……うぉ……?」

「そうだよ。君の名前はシオって言うんだ」

「あー、し……の、なわぁ……エ……」

 この純白の帰還者を産み落とした男──ルーザー・アンブロシアが呼び起こした魂は限りなく無垢なものであった。天界の安らぎも、人界の醜美も、地獄の温情も何一つ知らぬ穢れなき純心の女怪物。


 ──彼女もまたFrankenStein Monsterだ。

 遥か昔、ヴィクター・フランケンシュタインが愚かなる好奇心により生み出した怪物は今再び生まれ落ちた。死を──あらゆる穢を識らぬ純心無垢の清廉な魂は今、確かに産声を上げたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る